地球は12個あるという説があり、もしこの地球が危なくなってきたら、ここと違う地球に移動するのがいいのではということをお勧めしてきた。
少し前に短編で「隣の地球へ」というものを書いてnoteに掲載したが、6月になって、実際にこの隣の地球に行ってみようと思った。行かないことには空論になってしまうからだし、外から見るのと、実際にその地球に行って内部から見るのはかなり違うはずだ。

この場合、ノストラダムスに案内してもらおうと思った。というのも、ノストラダムスはかなり詳しそうな気がしたからだ。
とはいえ、このノストラダムスは、ドロレス・キャノンがQHHTで接触したノストラダムスであり、書物で知られるノストラダムスとは違っている。
ドロレス本によると、彼はそもそも異次元との交流などにもっとも興味があったという話だ。彼は予言詩で有名だが、これはノストラダムスからするとそう重要ではないということは前から知っていた。

異次元との接触に興味があるというと、伝説のヘルメスと同じで、ドリールの書いた『エメラルド・タブレット』という謎本では、ヘルメスは異次元に移動することにもっとも興味を持っていた。
これはそもそもヘルメスが「越境の神」と言われることから、素直に納得できる。
基本的に異次元移動は、アルニラム意識のお家芸で、アルニラムとリンクしているアンタレスは「天の八衢(あまのやちまた)にいる」と言われる猿田彦と結び付けられているが、ヘルメスはアルニラムというよりはアンタレスから来た人というイメージでもある。

辻の神様である猿田彦は、西欧では境目の神メルクリウスであるが、ヘルメスは商業の神でもあり、そもそも商業とは越境することでなされる。海のない京都にニシンを持ち込んだのも商人で、彼らがいないとニシンそばなどは作れなかった。

以前、QHHTのセッションをはじめて受けたとき、プラクティショナーがずっとノストラダムスの話をしていて、そのときにはノストラダムスは水晶を見ていたと話していた。
わたしは本で知っているノストラダムスがデルフォイの水盤を使っていたと書いていたのを記憶していたので、水晶ではないのではと言ったのだが、プラクティショナーは譲らなかった。
でも、最近ドロレス・キャノンのノストラダムス本を翻訳している人の話によると、ノストラダムスは、異次元の存在からもらった鏡を使っていたという話があり、このプラクティショナーはこの英語本を読んでいるはずなのに水晶と言い張っているのは妙だと思った。

セッションの前に、彼女がノストラダムスの話ばかりをしていたので、結局わたしのQHHT体験では、わたしはノストラダムスのところに行ってしまい、わたしは水晶か何かを見ていたノストラダムスの背後の暗闇にいた。しかし、ノストラダムスには気がつかれたくなかったので、前に進まないことにした。
このときから異次元で接触するノストラダムスに親しみが湧いてしまい、今回、隣の地球に移動するときに、「ちょっと手助けしてくれないか?」と依頼したのだ。はっきり言ったのでなく、なんとなく期待したというところだ。

で、この地球に降ろした感覚を引っ込めて、トンネルを移動すると、ノストラダムスがいる隣の地球に到着したが、そのとき、目の前に「銀色の小箱」が置かれていた。
わたしはこの銀の小箱に興味津々で、それに見入ったが、背後に大きなノストラダムスが立っていたことは、次の日に思い出した。
すでにノストラダムスは人の形、人格などを捨てていたので、この隣の地球では巨大化していて、髭のおじさんのような風貌ではなかった。

あとで気がついたのだが、わたしがQHHTで、水晶を凝視するノストラダムスを背後から黙って見ていたのを知っていたらしく、今回は、銀の小箱を凝視するわたしの背後に黙って立っていたのだ。
水晶と銀の小箱はずいぶんと違うが、銀の鏡と考えるとそう違和感はない。

その後、ノストラダムスに接触したことが原因で、移動のトンネルが図太くなり、日常的に筒抜けになった感じがある。
筒抜けになると会話は成立しない。むしろ混じってしまい、自分が考えたのかノストラダムスが考えたのか不明になっていく。
ノストラダムスと自分を区別するには、互いに人格が必要で、これはトンネルの中に置かれた間仕切りということにしている。

人格を捨てた人に間仕切りなんかない。ノストラダムスとか、死後のドロレス・キャノンはあきらかに人格を捨てているので、彼らとわたしを区別するには、わたしが人格という間仕切を作らなくてはならないが、あまり必要性がないとも思う。
区別するべき確たる理由がないのだ。

この体験を細かく分析すると、隣の地球に移動するときのマニュアルを書くことができると思う。
でも、自問自答してみたのだが、「果たして自分は隣の地球に移住する気があるのか?」という点では、隣の地球であれ、やはり地球であり、これは息苦しい環境には違いないと思った。あまり本格的に移動する気はしない。
これはわたしが敷居の上に立つ存在だからで、他の人は違うかもしれない。

ストレスのない地球というと、魅力的な場所だと思う。わたしはQHHTのときには同時に四つの地球をレイヤーのように重ねて見ており、ひとつだけでなく同時に四つ重ねるのならば、そこに興味を持つことができるが、ひとつと言われると「幽閉」という言葉を思い出し、気乗りしなくなる。

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