初著書『神の使者』(河出書房新社)で、難解と言われる非二元の世界を解き明かしたゲイリー・R・レナードさんが、奥様であるシンディさんとワークショップ開催のために4月に来日されました。
ゲイリーさんは、『奇跡のコース』(ナチュラルスピリット)の学習者の学びを強力に推し進めた立役者として知られます。今春刊行された4冊目の著書『イエスとブッダが共に生きた生涯』(ナチュラルスピリット)にまつわるお話を中心に伺いしました。
*『奇跡のコース』は、他には『奇跡講座』(中央アート出版)がある。

イエスとブッダが教えた永遠不変の真実

イエスとブッダがイエスとブッダとして生まれ変わる前には、どういう人たちと交流し、どういう人生を送っていたのか?
2人の過去生には以前から関心があったので、僕の聖霊でもあり教師でもある存在「アーテン」と「パーサ」が次回現れたら、ぜひ聞こうと思っていました。
でも、いざ現れると聞き忘れることが続いて、ようやく聞けた内容が最新刊『イエスとブッダが共に生きた生涯』です。
簡単なやりとりで終わると思っていたのに、1冊の本が書ける内容だったのには驚きました。ちょうど僕の著書3部作が完結したばかりで、まさか、また本を書くとは思ってもいませんでしたしね。

イエスとブッダは何度も一緒の人生を送っていましたが、アーテンとパーサが話してくれたのは、そのうちの重要な6回です。2人は文化圏の異なるいろいろな地域に転生し、さまざまな教えを学びました。
アーテンとパーサいわく、イエスとブッダは時代背景や文化背景がどれほど異なろうと、いつも一貫して同じことを口にしていたそうです。
つまり、この世は幻想であって、真実はその奥のベールの向こうにあり、僕たちは幻想である夢から覚めることができる、というものです。それが「悟り」であり、「エンライトメント」です。
非二元に関して妥協のない2人の姿勢は、「自分も彼らのように妥協なく真摯に学びを進めていこう」という励みを与えてくれました。読者のみなさんにも、そう思ってもらえる内容になったと思います。

非二元というのは、「人の世」と「神の世」の二つの世界があるとする二元の世界の中で、神の世だけを唯一の真実として、そちらを選択することです(*)
「コース」によると、神の世以外の世界を認めることで、二元になる。どちらか片方を選ぶ行為は二元の世界にしかないため、どちらかを選ぶところまでは二元の世界にいる。神の世を選んだ後で、初めて非二元となりえる。
自分がどちらを信じ、どちらに意識を向けるかで、体験する世界が変わってきます。どちらの信念を選ぶかを決めるのは、自分です。

ブッダは、この世は一時的なものであり、無常であるとして、その代わりに「変わることのない真実を選ぶことができる」と言いました。
イエスは、砂の上に建てた家と岩の上に建てた家を引き合いに出して、岩の上に家を建てた人を「賢い人」と表現しました(マタイの福音書7, 24-27)。
この場合の砂というのは、時間の中で移り変わるものの象徴です。この世は常に変わり続けるので頼りにならないから、その代わりに、変わることのない永遠の真実を見つけなさいと言ったのです。

2人が信じなかったこの世という幻想

アーテンとパーサによれば、もともと同じであった2人の教えが違うものになったのは、彼らの没後に教えを受け継いだ人たちが、教えを言葉にする過程で解釈がずれていったためだと言います。
イエスが亡くなってから150年後くらいに、キリスト教の分派グノーシスが生まれました。彼らは「寝ている間に見る夢」と「起きている間に見る夢」は同じだと表現したり、彼らの教えが書かれた『The Gospel of Truth』という書が、『奇跡のコース』(以下「コース」)と内容が似ていたりと、イエスの教えを比較的理解できていたようです。しかし、グノーシスはキリスト教の中では異端とされています。

ブッダの教えは「真実はひとつである」という、いたってシンプルなものなのに、経典は100巻にも及んでいます。洗練された教えであることは間違いありませんが、もともとの教えからすると内容が薄まっていると言わざるを得ません。

僕にとってイエスは、7、8歳の頃から“心の中で話しかける友だちのような存在”でした。なぜかはわかりませんが、何かがあったときには助けてもらえる気がしていたのです。
教会に熱心に通う信者にはならなかったものの、イエスとの友好関係はずっと続いていました。今回、イエスの過去生を聞いて、幼い時分からの親近感の理由がわかりました。過去生で友情を培ったおかげだったのですね。

ブッダのことは、20歳頃にヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』を読むまでは、あまりよく知りませんでした。本はおもしろかったのですが、最後までブッダについて書かれてある本だとはわからなかったくらいです。

イエスとブッダが他の人たちよりも早く目覚めたのは、2人の学びに妥協がなかったこともありますが、他の人たちほどには幻想を信じていなかったことが、一番の大きな理由でしょう。
本に書いた最初の生である“2700年前の日本”でも、周りの人たちほどにはこの世の存在を信じていませんでした。
そういった意味では、イエスとブッダはそれぞれの時代で学んだ教師たちよりも、一歩進んでいたように思います。たとえば、2人がギリシャの哲学者プラトンの弟子だった時代には、一気に魂の故郷へと帰るところまで道を進めたいと考えていたのに対し、プラトンはそこまでは考えていませんでした。

聖霊はマインドを通してコミュニケーションをとる

イエスには、今も話しかけています。アーテンとパーサには、特に質問したいことがあるときに、心の中で尋ねます。
ブッダに話しかけることはありません。でも、仮に話しかけても答えは同じでしょう。アーテンにしてもパーサにしても、イエスにしてもブッダにしても、僕にとって聖霊であることには変わりはなく、誰が答えても同じなのです。

彼らは必要があれば姿を現しますが、単にそれは聖霊が身体という形態で現れているにすぎません。その形態が変わったとしても、スピリットであることに変わりはなく、スピリットの領域になるとみな同じです。

聖霊はたいていの場合、僕たちのマインドを通してコミュニケーションをとります。誰でもぽっと考えが浮かぶことがありますよね。聖霊の声は、だいたいそういう聞こえ方をします。
たまに違う表現方法を使ったほうがいい場合には、天使の姿や聖母マリアの姿で現れたりすることもあるでしょう。
カリフォルニア州にあるシャスタ山では、ここ数十年の間に100人くらいの人がセイント・ジャーメイン(サン・ジェルマン)に出会っているそうです。そのことを、最初の本を出したときに読者が手紙で教えてくれました。
いずれにせよ、アセンデッド・マスターが現れたという話はあちこちにあり、誰もが何らかの形で聖霊と交流があるということです。聖霊は誰にとっても、最善の形で働いてくれます。

イエスもブッダもユーモアがあり、笑うことが大好きでした。ジョークを口にし、この世をあまり深刻にはとらえていませんでした。
深刻にとらえること自体、この世を本物だととらえていることになりますからね。それでは赦(ゆる)すことができません。
コースの教えである「赦し」は、幻想に真実味をもたせる代わりに幻想を聖霊に渡し、誤ったとらえ方を真実に置き換える、というものです。そういう「赦し」は、笑い飛ばしながら行うくらいが、ちょうどいいのかもしれませんね。

(この記事を書いた人/佐藤惠美子 通訳/幸田良隆)

ゲイリー・R・レナード
マサチューセッツ州ノースショア生まれ。プロのギタリストとして成功する。1987年から「調和ある修練」の期間に「呼び声」を聞き、人生の方向転換が始まった。1990年始めにメイン州に移り、そこで強いスピリチュアルな目覚めを体験する。また、啓示を受け、9年の歳月をかけて『神の使者』を執筆。その後、続編である『不死というあなたの現実』(ともに河出書房新社)と『愛は誰も忘れていない』(ナチュラルスピリット)を刊行して三部作を完結。現在は南カリフォルニアに在住し、執筆活動を続けながら、世界中で『奇跡のコース』の講演を行っている。
http://www.garyrenard.com/

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次回の来日は2021年4月頃の予定です
ゲイリー・レナードさんの来日に関する最新情報は
こちらをご覧ください
https://chronicstudents.com/events/acim

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『イエスとブッダが共に生きた生涯』
偉大な仲間の転生の歴史

ゲイリー・R・レナード著/ティケリー裕子訳/ナチュラルスピリット

『愛は誰も忘れていない』
人生への答えがここにある
ゲイリー・R・レナード著/ティケリー裕子訳/ナチュラルスピリット