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松村潔のアナザーワールド/vol.8 人と地球のインターバルとノストラダムスのサロスサイクル、12個の地球

ノストラダムスは、地球上のほとんどの人は自分の未来を作ることができず流木のように生きていると語っていた。
とはいえ、これはかつて活躍し、資料に残っているノストラダムスの言葉でなく、ドロレス・キャノンがQHHTセッションで接触した、今はマルチコスモスに住んでいると言われるノストラダムスの言葉だ。
わたしの記憶の中でのノストラダムスとは、サロスサイクルや日食の達人だ。これだけの説明ではまったく意味が不明なので、詳しく説明することにする。

グルジエフが西洋に持ち込んだエニアグラムの理論でもあるのだが、オクターヴはそれ自身では進展することができないところがあり、宇宙法則を模写したともいえる7つの音階で説明すると、ミとファの音の間、シとドの間の半音の場所でオクターヴは行き詰まる。
人生にチャレンジしても、たいていはある段階で進めなくなり、そのままだと挫折して、また出発点に戻ってしまう性質があるとグルジエフは説明する。

これは長く生きているとわかるはずで、結局多くの場合、何も達成することはできず、最終的にはただ生きているというだけか、何か適当なことをしてお茶を濁すしかないはめになるというのは多くの人が理解しているはずだ。
自分に嘘をつくことはできず、結局何もしていないということを認めないわけにはいかないだろう。

で、この隙間を「インターバル」と呼び、エニアグラムでは、外部にあるオクターヴの介入により、その助けを借りてミとファ、シとドの間の隙間を乗り越える。
わたしはこれを、横波としての陰陽のかかわりに対しての、縦軸的な介入というふうに説明する。で、特徴としては、それまでの地平線からは、この新たな付加ショックは見えてこないのだ。
次元が上にあるからという説明では実感的につかみにくいので、虫が大地を這って進んでいることに対して、上空から鳥がやってきたというイメージで考えるといいのかもしれない。

つまり、今までの日常の意識の連続の中では、このインターバルショックはまったく見えてこず、時間の連続、空間の因果律を断ち切るような形で介入する。
で、ノストラダムスが言う、ほとんどの人は流木のように生きているというのは、日常の意識の連続で考えてみると、この「より上位の次元の力」の介入するべき瞬間に、意識喪失を起こし、行き詰まりを突破する力を持てないでいるということなのだ。それまでの意識の連続の平面で自分の自我を作っているから、縦軸的な介入の瞬間に自分を保っていることができない。
グルジエフ式に言うと、「たまたま不在だった」のだ。夢で体験したことを全部忘れてしまうようなものだ。

グルジエフの説明だと、オクターヴの流れは機械的に進んでおり、ここではいかなる進路変更も許されない。が、インターバルの瞬間は、ちょうど電車のレールのポイントが切り替わるようにコースを変える自由意志が許される。
ただし、今までの日常意識の連続の中で考える自由意志とはまったく違う。日常意識の連続の中で感じる自由意志とは、カレーライスが好きな人がココ一番に行くようなもので、それは自分の機械的習性をそのまま押し切ることなので、多くの人が考える自由意志とは、自分の自然的本性の奴隷となることであり、これは真の意味での自由意志とはまったく反対の意味を持つ。

肝心の時に意識的になり、わたし式の言い方だと「意図の一撃」を撃ち込むと、オクターヴの複合はその方向に進んでいく。ノストラダムスはその使い方の達人であり、未来を変えていくという力を発揮しているのだ。
わたしはノストラダムスの死のさいの状況の記録を読んで、彼が仙人だったということを理解したが、仙人とは要するに「不死の人」だという意味だ。それは時間と空間を意図的に乗りこなす。

この意図の一撃を打ち込むことの可能なタイミングは、地球の自転・公転の時計に準じて考えてみると、まずは歳差活動の26000年単位。
これはプラトン年と言われる。その12分割が2200年のプラトン月だ。72年はプラトン日で、これは人の一生に相応すると考えられる。つまり、人の生まれと死の瞬間とはインターバルであり、この時に本来その人は自分の意図を撃ち込まなくてはならない。
死ぬ瞬間は著しく重要な時で、その時に近親者や医者に邪魔されてはならないだろう。

これをさらに分割すると、ノストラダムスがもっとも得意とするサロスサイクルの18年単位がある。生まれた時、18歳、36歳、54歳あたりが重要な切り替え点と考えると良い。これはヒンドゥーのアーシュラマに似ている。

もっと分割してみると、もちろんサロスサイクルに従属する日食がある。となると、さらに分割すると新月だ。
よく「新月にお願い事をする」というメソッドがあるが、問題は、このお願い事が日常意識の連続の中で思いつくものばかりで、もう説明したようにオクターヴ進行は「平常運転のレベルではいかなる変更もされない」ということからすると、日常意識の連続の中でのみ成立可能な願望というのは、この新月に打ち込もうとしても、ほとんど聞き入れられないということでもある。
生活の平面にはないレベルの願望ではないので、ドバイに住みたいと言ってもこれは無視される。生活平面に対しての縦軸として介入というのは、対人関係での感情とか思いなどもほとんど無効なので、恋愛成就も新月に馬鹿にされるだけかもしれない。

新月サイクルをもっと細かく分割すると、一週間で、インターバルの隙間は日曜日にある。細分化すると、火曜日の夜、木曜日の夜もこれに従属する。これはエニアグラムを一週間にあてはめた時に、そのように考えられるということだ。
日曜日には、平日の意識の連続を持ち込んではならない。なので仕事はしないほうがいいし、西洋なら、この時に教会に行ったりするのも好ましい。神父さんの言葉は意図の打ち込みだ。

もちろんサイクルが短いほど影響は小さく、大きなものほど根底的にコースを変えるという力がある。人の一生が72年単位ということは、この72年よりも小さなサイクルは、個人の一生の内部コースに影響を与えるものであり、72年のインターバルは転生コースに影響を与える。

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