PICK UP REPORT 3/藤野正寛さん
身体の声に耳を澄ます
社会人経験の後、京都大学に編入学し、大学院で瞑想と脳科学に関する研究を行っている藤野さん。マインドフルネス瞑想と慈悲瞑想のメカニズム等を解明しつつ、それらを身心の健康のために役立てる活動に取り組んでいます。自身の瞑想の実践を通じて得たのは、自己の価値観を変容させられる瞑想の醍醐味だとか。そのためのポイントを、脳科学の観点から紐解きます。
仏教における苦と、その苦と向き合うために必要な自己観
髪を頭頂で結った個性的なヘアスタイルに、シンプルな服装で現れた藤野さんは、その場に溶け込むようなさりげない存在感が印象的な方でした。そのさりげなさを反映するかのように、脳科学研究をベースにしながらも、まったく堅苦しさのない内容に、参加者は興味深く聞き入ることに。
苦と自己観、大人の神経可塑性、身体感覚に目を向けることの意義などをテーマに、世界的な脳科学研究を多々紹介しながら、藤野さんが解説していくというスタイルです。
スピーチは、旅の話から始まりました。
「僕は旅が好きで、旅からいろんなことを学んできました。そして旅をしながら、自分にとって良い旅の定義とは何かということを考えてきました。今では、その定義とは『行きの飛行機よりも、帰りの飛行機のほうがワクワクしている旅』です。
会社を辞めてからの僕は、大学に入り直す前に6ヶ月かけて世界一周の旅をし、いろんな修行をしてきました。行きの飛行機ではもちろんワクワクしていましたが、帰りの飛行機ではさらにワクワクしていたんです。それは、『この6ヶ月の修行の旅で様々な体験をし、その体験で起こったことを大学で研究できるんだ』と考えていたから。
つまり、6ヶ月の旅が大学での研究の準備になっていたんですね。そして現在、そろそろ大学院を卒業する時期ですが、大学に入る前よりもワクワクしています。この考えを広げていくと、『ひょっとしたら、生まれてきた時よりも、死んでいく時のほうがワクワクしていたとしたら、それは良い人生だったと言えるのではないか?』と考えるようになりました。
このような物の捉え方ができるようになるための1つの方法が、仏教瞑想ではないかと考えています。その鍵が、苦との向き合い方にあります」。
藤野さんは苦の捉え方を、仏教の教えと関連づけてこう語ります。
「仏教における苦は、"心の痛み"とかよりももっと広くて、"不満足"を意味しています。そう考えると、ゴータマ・ブッダが人生は苦(不満足)に満ちていると言っている意味が、少しわかってきます。
ゴータマ・ブッダは、その苦には原因があり、原因がなくなれば苦もなくなり、その原因をなくす方法があると言いました。
その原因をなくす方法が、仏教瞑想です。僕は教育心理学を専攻していますが、原因を特定し、原因をなくす方法があるというところに、まさに学びの過程と成長の機会が組み込まれていることがわかります」。
さらに、学びの過程に入るための鍵についてのお話が続きました。
「スポーツでも学問でも、人が学びの過程に入るためには、難しいことや困難なことを好きになるということが大切です。自分が打てないボールや解けない数学の問題と向き合うことで、成長できるからです。そのような難しいことや困難なことと向き合える人たちは、『自分は変われる』『苦は学びの機会』という自己観を持っていることがわかっています」。
このことについて、世界的な研究がいくつか紹介されました。
「スタンフォード大学の研究者による発表では、"自分の能力は拡張的で変われる"という自己観を持っている中学生の数学の成績が、伸びていったことが示されています。また、注意課題時の脳波を測定した研究では、"自分の能力は拡張的で変われる"という自己観を持っている大学生は、注意課題でミスをした時に、それに注意を向けることで、次の課題のエラーが低下することが示されています」。
そのような自己観は、苦と向き合う時にも大事だそう。
「ミスや解けない問題は、それに注意を向けないと、その原因も分からないし、解決方法も身に付きません。これは人生における苦という問題でも同じなんですね。苦は、人間的に成長できるチャンスなんです。そのような苦が出てきた時に、それに注意を向けず避け続けている限り、それを受容できる能力は育まれません。
ある出来事によって苦が生じた際に、苦にきちんと注意を向けて、それに巻き込まれない方法や、ありのままに受け入れる方法が身に付けば、次に似たような出来事が起こっても、それに振り回されることはなくなっていくわけです。
だからといって、いきなり難易度の高い苦と向き合うのはよくありません。それは、掛け算ができないのに微分積分の問題に挑むようなもの。まずは、簡単な苦と向き合いながら、少しずつ難易度の高い苦にも向き合っていくことが大切です。
『でもそれって大変じゃない? やればやるほど難しい苦と向き合わなくなっていくのでは? それってやる意味あるの?』と思われるかもしれません。僕はやる意味があると考えています。それは、全ての人が避けられない一番大きな苦である『死』が、いつか必ず自分の前に現れる時が来るからです。
そのために、身体の痒みなどの小さい苦から始めて、徐々に人間関係などによって生じる苦などとも向き合いながら、苦をありのままに受け入れていくトレーニングをしていくわけです」。
大人になっても脳は変わる〝神経可塑性〟
藤野さんが特に熱く語ったのは、脳の〝神経可塑性〟の研究について。神経可塑性とは、大人の脳も変化し続ける性質を有し、いくつになっても脳は成長できることを意味するそう。
「20世紀までは、成人の脳は固定化して変化しないと考えられていました。でも、1990年代になり、MRIやPETといった、脳を外部から観察できる装置が開発され、脳は構造的にも機能的にも変化できるということが徐々にわかってきたんです。
脳が変化するためには、2つのことが重要です。
1つは、『体験的な訓練をすること』。これは肉体を伴う体験でもいいし、心的なトレーニングでもかまいません。例えば、街の地図を覚える時に、単に場所と地名を記憶するのではなく、実際に街の中を車を運転しながら記憶したり、運転していることをイメージしながら記憶することで、脳の場所に関わる海馬が大きくなることがわかっています。
もう1つは、『対象に注意を向けること』。猿を対象とした研究では、同じ聴覚刺激にさらされても、その刺激に注意を向けている猿だけが、聴覚野が大きくなることが示されています。つまり、成長するためには、注意を向けるということがとても大切なんです」。
どこに注意を向けるかは〝その人の価値観が関係している〟という、このような考えさせられる言葉も。
「僕たちは常に、効果的に処理できる量をはるかに上回る量の情報にさらされています。そのような中で、自分にとって意味のある情報や、価値のある情報に注意を向ける必要があります。
そのような注意を向ける背後には、意図が働いています。例えば、中国語を勉強しようという意図を持っていると、街を歩いていても、自然と中国語が耳に入ってきたりします。このような意図の背後には、その人の価値観が横たわっているわけです。
『自分は変われる』『苦は学びの機会』といった自己観を持ち、苦と向き合いながら成長していく中で、価値観が変わっていくーー。すると、意図が変わり、注意を向ける方向が変わり、脳が変わっていくんです」。
より良い意志決定をするための身体感覚への気づき
一般的に、マインドフルネスの定義は広範囲ですが、藤野さんの場合、〝次々と生じている今この瞬間の経験に対して、受容的な注意を向け、ありのままに気づいている意識状態〟と定義しています。
「今この瞬間の経験とは何か、がとても大事です。代表的なものが2つあります。
1つは呼吸。そしてもう1つが、身体感覚。仏教では、『眼耳鼻舌身意』といって、5つの身体の感覚器官と1つの心の感覚器官に、外部・内部の刺激が接触すると、必ず身体感覚が生じると言われます。そのことを、皆さんにも体感していただきます」。
藤野さんの指示に従って、簡単なエクササイズを行いました。
リラックスした状態で、黒板を引っ掻く音をイメージし、身体にどのような感覚が生じるかを味わいます。数名が、このエクササイズの感想をシェアしましたが、人によって快・不快を感じ取る体の部位は様々でした。
「身体感覚が現れるのは、どの部位ですか? 頭で感じる人、耳で感じる人、歯で感じる人、背中で感じる人など、人によって違います。また、音を耳にした時だけでなく、その映像を目に接した時、そのイメージが心の感覚器官である『意』に接した時にも、同じように身体感覚が生じます」。
このような身体感覚は、大切な人を思い浮かべた時や嫌いな人を思い浮かべた時、さらにはご飯を思い浮かべた時でも生じ、人はそういった身体感覚を使って、意志決定をしたり、振り回されたりしているそう。
「どのレストランに行こうかと決める時に、全ての情報を集めることはできませんよね? 限られた情報をもとに、限られた時間で、自分の経験に基づいてなんとなく決めると、ベストじゃないけどベターな結果に辿り着ける。こういうことを、日々やっているわけです。
実は、その〝なんとなく〟決めているところに、身体感覚が関わっているのではと考えられているんです」。
感情に振り回されて物事を決めることの危うさについては、このような示唆が。
「自分の感情に気づかない間は、それに振り回されて意志決定をするわけです。例えば、朝、家を出る前にパートナーと喧嘩をしてから会社に行き、部下からミスの報告を受けたとします。
普段であれば、怒ることはないのに、つい怒ってしまうのは、身体が朝から怒りモードになっているから。怒りに関する身体感覚が生じていて、その感覚を使って意志決定をしている状態です。
何かを決める時、人は無意識に影響している要素も踏まえて、意志決定をしています。その中には、今やるべきことに関係のない情報も混在しているわけです」。
そういったことを、様々な実験を例にして説明していきました。
●揺れる吊り橋の上で女性に出会うと、吊り橋でドキドキしているだけなのに、その女性が好きだからドキドキしているのだと勘違いしてしまう(有名な実験ですね)。
●大学生に「生活満足度」を聞く実験では、晴れの日に聞かれた人に比べ、雨の日に聞かれた人のほうが、生活満足度を低く答える。
ただし、最初に天気を確認してから生活満足度を聞くと、雨の日に聞かれた人も生活満足度は低くならない。つまり、外部の状況を意識していない時は、外部の状況に振り回されて意志決定をしているが、外部の状況を意識することで、外部に振り回されずに意志決定ができるようになることが判明。
●多くの人に見受けられるのは、「基本的な感情とともに生じる身体感覚」が共通していること。例えば、怒っている時は頭に血が昇っている感じ、愛情を感じている時は全身が暖かくなっている感じなど。
ちなみに、藤野さん自身が重要な意志決定をする際によくするのが、「10日間のヴィパッサナー瞑想」に参加することだそう。
刺激のあるものを食べず、余計な話もせず、インターネットなどの情報に触れず、余計な刺激を減らして過ごしていると、身体の感覚がどんどん静かになり、身体の奥深くにある身体感覚に気づけるようになる。そして10日間があけた時に、〝それぞれの選択肢を考えた時に生じる身体感覚に耳を傾けてみる〟そうです。それは、「湖の表面を凪いだ状態にして、そこに選択肢の石を放り込んでみるようなもの」だと言います。
奥深くにある身体感覚に耳を傾けると価値観が変化する
身体感覚と価値観の関係については、このようなお話が。
「身体の声に耳を澄ましていくと、判断基準が変わるんです。今やるべきことに関係しない情報に振り回されることなく、今やるべきことに関係する情報を使って、意志決定をしていく。これがマインドフルネスな意志決定です。
このように、自分の身体感覚に耳を傾けていくと、粗雑な身体感覚ではなく繊細な身体感覚に基づいて意志決定ができるようになります。それはつまり、価値観が変わっていくことに他なりません」。
最後に、藤野さんは、自身の思いをこう語りました。
「身体の声に耳をすませながら、徐々に自分の価値観を変えていく。その価値観に従って、意図を持ち、注意を向ける方向を決めて、人生における学びを深めていく。それによって、少しずつ不満足を受け入れられるようになるーー。
それを続けていくと、『いつか、自分の前に死が現れた時に、ひょっとしたらありのままに受け入れることができるかもしれない』と思うようになりました。ロールプレイングゲームでは、ラスボスをクリアしたらゲームは終わるけれど、ラスボスに会うのはワクワクします。
ひょっとしたら、自分の人生でもラスボスという死に会えることが、ワクワクできることになるかもしれない。それが良い人生にもつながっていくかもしれない。それが、仏教瞑想の醍醐味なんじゃないかと思っているわけです」。
「どうでしたか? 僕のスピーチを聞く前よりも、聞いた後のほうがワクワクしてくれているとうれしいです」。
多岐にわたる研究成果が盛り込まれていたにもかかわらず、どれもがスッーと頭に入ってくるという、濃いながらも軽やかな味わいの講演内容。
きっとそれは、藤野さんのソフトで淡々としたスピーチ力と、会場に満ちたマインドフルネスな雰囲気の成せる業だったのでしょう。
(この記事を書いた人/Y-MAYUMI)
「Zen2.0」実行委員会では
来年もこのフォーラムの開催を予定しています
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