この連載がきっかけとなって生まれた気づきの短編集『プルートに抱かれて』が、8月8日に発売されたヘルメス・J・シャンブさん。
今回も、ヘルメスさんお得意の“小説タッチの気づきの物語”をお届けしましょう。
※2冊目の著書『道化師の石(ラピス)』も小説仕立てで、独自の世界観を伝えています。
単なる小説とは一線を画す、新鮮な体験!
『プルートに抱かれて』
ヘルメス・J・シャンブ著/ナチュラルスピリット
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薄暗い路地にて 3
時というものは、気づいたら過ぎ去っているもの。淡い色彩のようにぼんやりとしていながらも、はっきりとその香りを嗅ぐことができるもの。
それでいて、今やどこにも形がない。
幼い頃のケンジは、本が大好きだった。父は夢見がちな読書家で、母は現実主義者だった。
父の消息がつかめなくなった日から、ケンジは現実主義に転向せざるを得なくなった。父のようには生きられなくなったのだ。
中学生の頃からずっと家の鍵を持ち歩いて、小さなアパートに帰宅して真っ暗な部屋のドアを開けるのは、自分の仕事だった。テーブルの上の書き置きを見て、一緒に置かれた千円札で夕飯を取るのもまた、日々の仕事だった。
母が夜に精一杯働いているので、自分もちゃんと仕事をした。母には迷惑をかけなくなかったが、それでも、自分が望んでいる道は、父のような生き方だった。
自分の目の前の道が、突然、何かによって遮られたり、邪魔されたり、つまるところ進路変更を余儀なくされると、誰でも不平不満が湧き起こり、社会や目に入るもの全てに八つ当たりをする。
それは、自分の思い通りの展開にならないからだが、そのもっと深い真理を、あるいは秘密の構造を、当人が知ることはなかった。
そこに恐怖という土台があり、それが支配者だということには目を向けなかったのである。
高校三年の時、「キリスト」と呼ばれた青年に出会ったことで、ケンジの人生は変わった。
それは、海が満潮を迎えるように静かなる変化だったが、確実に彼は変容していった。あの日以来、ケンジはアキオとも肩を並べて歩かなくなったし、タカシと一緒に下校するものの、一緒に遊ぶことは無くなった。
何よりも彼に衝撃を与えたのは、“本が濡れなかったこと”だった。彼はそれを奇跡だと思った。
幼い時、ケンジが愛していた本は、全てゴミ箱に捨てられ、ゴミ収集車がそれを運んで、おそらく燃やされたことだろう。本は自分を救ってくれないと思っていたし、それはある意味では事実だった。
「いくら本を読んでも、バカになるだけ」
母はそう言った。それは、父に対して言いたい台詞(せりふ)だったのかもしれないけれど、それを聞いたのはケンジだった。母は、ケンジに八つ当たりしたのかもしれなかった。
父のような夢見る人を好きになったのに、最後には、夢見てはいけないとケンジに言った。父のようになってしまうから、と。
人を好きになるほど、その人に対して憎しみを持つ可能性が多くなることを、どれだけの人たちが知っているだろう。
ケンジはバカではなかった。彼は少なからずこの事実に気づいていた。だからこそ、人を好きになることには危険が潜んでいることがわかっていた。アキオとの件もまた、同じ類のものでしかない。
あの一件以来、ケンジは少しずつ、昔の純粋さを取り戻していった。
大人になった彼は、中学や高校の頃よりずっと笑うようになった。なぜなら、彼はまた本を読むようになっていたから。
彼はずっと胸に刻んでいた。
「どうしたら、本を濡らさないことができる? たとえ濡れた場所に落としたとしても」
もしも、濡れることがないなら、燃えることもないだろう。不思議なことに、ケンジは大人になって、幼い頃よりもずっと本を愛するようになったし、ある意味では“どうしたらあいつのように、本を濡らさないことができるのか”を、真剣に研究することにしたのだった。
ケンジ、タカシ、アキオの三人は、大人になって、パズルの一ピースのようにバラバラになった。もう、一緒に薄暗い路地を歩くことはなかった。
けれども、それはパズルが完成されていく過程でもあった。
ケンジはアルバイトをして、のちに出版社に就職することになった。彼の心は穏やかで、誰かと争うことはなくなっていったし、母のことも、以前よりずっと大切に思うようになった。
人間というのは、相手の気持ち、その心理心情がよく理解できて初めて、その相手に対して心から優しくできるものである。
なぜなら、相手は自分と全く同じ想いを抱えているからだ。相手は、他でもない自分自身なのである。
パズルの一ピースが、自分の本当の居場所を見つけてそこに留まると、どんな諍いもなくなるように、彼は大人になって自然と争うことから離れていった。誰かを傷つけたり、攻撃したりする必要性がなくなった。
なぜなら、彼らは共に自分の居場所を見つけて、そこに安住を見出したからである。人間が真に平安を見出すには、何よりも自分の居場所、あるいは自分の在り方を発見しなければならないのだ。
タカシは、父が勤務する会社に就職した。彼は面接官にこう告げた。
「人生のパズルを完成させて、その完成図を見てみたいのです」
アキオが自分を顧みて、自己を修正するまではかなりの時間を要した。けれども、それは不可能ではなかったし、救いの手というのはいつでも完璧なタイミングで訪れるものである。
それぞれの人生がバラバラになるように見えても、それが完成に近づいているということが、よくあるものだ。そして、それが人生である。
ケンジにとっての奇跡とは、本が濡れなかったことではない。それは、ただの珍しい現象でしかなかった。けれども、確かにそれは一般的に奇跡と呼ばれた。
だが、ケンジはよく理解していた。本当の奇跡とは、真実の生き方に修正しようとするアイデアである、と。
水に触れても、本が濡れなかった、という事象が奇跡なのではなく、その事象により、「一体、真実とは何か?」と考え始めること、そして強制的ではなく、無為自然に人生の道が修正されていくことが、真の奇跡と呼べるものなのだ。
それは一種のアイデアであり、このアイデアには数限りない表現が存在する。
それは、父がおもちゃ会社に勤務していたことかもしれないし、家出をした父がこっそりと、息子に一冊の本だけを残して行ったことかもしれない。
その本が母の手によってゴミ箱に捨てられても、ケンジはその題名を忘れることはなかった。それは記憶に深く刻まれ、時が来るまでじっと眠りについていただけだった。
大人になったケンジは、出版社の営業をしていたが、ある時、ふと青空を見上げた。
そして、あの日を思い出し、あの日を振り返った。
あの日、帰宅した彼は、暗い部屋でじっとベッドに横たわっていた。テーブルの上の書き置きと千円札はそのまま手つかずだった。
彼は、じっと闇を見つめて決意した。翌日、彼はキリストと呼ばれる青年を、放課後の校庭の脇に呼び出した。
「なあ、ひとつだけ、聞きたいんだ」とケンジは尋ねた。
青年は、じっと彼の瞳を見据えていた。
「どうしたら、本を濡れないようにすることができるんだ?」
すると青年は、初めから彼の質問とその答えがわかっていたように言った。
「君が本当に知りたいのは、そういうことではなくて、一体どうしたら幸せになれるのか? ということだけじゃないのかな? そして、もしも幸せになる方法がわかったなら、きっと本の問題も全て解決するんだよ」
彼は、あえて控えめに言ったようだった。
「なあ、奇跡とはなんだ?」ケンジは尋ねた。
すると、青年は、にこりと笑みをこぼして答えるのだった。
「今、こうして会話をしていることだよ」
青空を見上げた大人になったケンジには、その青い空や白い雲を超えて、そこにただ燦々と輝く、目には見えない真実の光が見えてくるようだった。
そしてその真実の光は、太陽が自然に自分に光を与えてくれているように、自分もまた、母や友だちや、あるいはそんな区別差別なく、自然に人に優しくしたいと思うようにしてくれた。
不思議だが、これがきっと、奇跡というものなのだと彼は理解した。
彼は青空に懐かしい青年の顔を思い浮かべた。ただそれだけで、彼に気持ちが通じるように思えたのだ。
ヘルメス・J・シャンブ
1975年生まれ。30代前半、挫折と苦悩を転機に、導かれるように真理探求の道に入る。さまざまな教えを学び、寺で修業し、巡礼の旅に出るが、最終的に「全ては私の中に在る」と得心、悟入する。数回に分けて体験した目覚めにより、ワンネス(一つであること)を認識し、数々の教えの統合作業に入る。「在る」という教えは、これまでの師たちの伝統的な教えであるため、師たちの名前を借りて「ヘルメス・J・シャンブ」と名乗り、初著作『“それ”は在る』を執筆。 その後『道化師の石(ラピス)』も刊行。現在は、ナチュラルスピリットでの個人セッションなどで、探求者たちに教えを伝えている。
https://twitter.com/hermes_j_s
https://note.com/hermesjs
『道化師の石(ラピス) BOX入り1巻2巻セット』
ヘルメス・J・シャンブ著/ナチュラルスピリット
『 “それ”は在る』
ヘルメス・J・シャンブ著/ナチュラルスピリット