facebookなどをやめてしまってから、質問がメールで来るようになった。
で、このうち、人形作りをしている人の質問があり、youtube動画で回答したのだが、なんとなく説明し足りない気がしたので、いい機会だからここで書いてみよう。

「私は毎日人形を作っています。(略)分身作り的作業の時間が一番心地いいと感じます。けれども地上の素材を使った人形作りは、トゥルパのような精神的分身を作ることとは逆方向なのでは? と最近不安に思いました」。

生命存在は、「下降オクターヴ型」と「上昇オクターヴ型」の二種類がいる。創造の光線の下降をあらわす下降オクターヴ型は、意識や想念を物質化する方向に向かう。それは自己を分割することで、中国の陰陽魚図のように主体と客体に分割して、客体の側は意識が投射されていく対象となっていく。

意識は分割されればされるほど物質に近づくので、やりすぎると自分が物質に閉じこめられたような気がすることもあるが、そもそも生命は7つの層でできており、下に降りて行くにつれて下に閉じ込められるというわけではない。それまでの7つの階段の軌跡は、そのまま残っているのだから。

で、ここで言う「トゥルパ作り」は物質素材を使わず、物質よりも少し振動密度の高い月の成分で作るので、アリスタ・クロウリは「月の子供」と表現していた。
アリストテレスの言う「月上の第五元素」と、「月下の四元素」と言う時、月は意識と物質の境界線なので、物質のような物質でないような中途半端な状態にあり、しかしアリストテレス的に月下の物質としての四元素、すなわち火、風、水、土という四種類では一番上の火に分類もされる。

火の元素の上のほうが月が示す濃いエーテル体、下のほうがレプトンに分類される電子などにあてはまると最近は考える。
これは物質に近づくほど想念に従わない物質となり、上のほうはまだ気分、意欲、熱意、イメージなどに従う物質だということなのだ。電子は想念に従うのか、というと、電子を動かせる人と、動かしにくい人がいる。

で、物質的なものはすべて自己分割によって作るという下降オクターヴ型の人からすると、自分の底部は月の振動密度で十分だと考えるケースもある。
わたしはそのように考えるので、たとえば毎日話したり、交流したりするトゥルパは、エーテルのレベルで十分だ。そもそもトゥルパを作っておくと、宇宙人がそこに降りてくることも頻繁だ。レンタルスーツのように思うらしい。

でも、まだ自分の物質的身体が重すぎて、これが自分の人生の邪魔をしているように感じる人は、月下のレベルにまで自分が浸透していないために、そこが機械的になり、思うままになっていない。
スペア式に言うと「多数の人の共有物」で、ひどくありきたりのものに従わなくてはならない。
それを改善するために、そこまで一度降りたい。そしてそこを柔らかくして、自由に扱うことができれば、鉛を抱えて歩くような気分から解放されていく。

このような場合には、気のレベルで作られるトゥルパでは物足りず、もっとどしんと胃の底に落ちてくるような人形を作りたいと思うのではないか。いわば、わたしは麩だけ食べても満足だが、やっぱりステーキ食べたいと言ってるような感じだ。

しかし、「地上の素材を使った人形作りは、トゥルパのような精神的分身を作ることとは逆方向なのでは?」というわけではないんですよ。

ちょっと前に流行った「二次元の恋人」という言葉があり、山口百恵の息子の三浦祐太朗が「自分は実際の恋人ではなく二次元の恋人がいればいい」と言った。その理由は、現物の異性は自分を傷つける言動をするので、高校生の時に懲りたという話なのだ。
このような時に、なんだだらしない、男は黙ってリア充で結婚し、子供を産んでもらい、家を建て、年金もらって死ぬんだと思う人はいるかもしれないが、物質に同一化している人は、物質的に体験しないことには何一つ満足しない。そこに自分がいると思うからだ。

自分は物質的存在ではないが、しかし地球に生まれてきて地球の物質にちょっと同一化している面もあり、これをなんとかしたいと思う人に、わたしは芸術活動を薦める。

芸術作品とは依存的でなく、何か別のものに寄りかかっていない。そして作品は芸術家が作るのでなく、作品が芸術家を作る。人形作りも芸術活動であり、この中で月下の4元素に手を出し、自分の意図をそこに盛り込む。
つまり創造の精神を月下にまで降ろしてくることで、逆に、下に滞留した成分は上昇してくるという道筋ができるのだ。
物質に同一化した上昇オクターヴ型人間、つまり純粋地球人はこんなことまったく考えないで、死ぬ時にはそのまま地球に埋もれる。一瞬波が立ち、そして消えていくのだ。

質問の続き。
「少し前に人形のアトリエが赤いワインの巨大貯蔵庫になっていて、わたしはアトリエの周りの地下をモグラのように掘って行く夢を見ました。わたしはこの夢をアトリエを心臓にして、地上に血流を通していくイメージと捉えました。
人形作りは小さな柩に精神的なものを閉じ込めるものだと思い込んでいたので、この体が広がるイメージは、今までの自分の考えとは逆方向のものでした」。

モグラは「土竜」と書く。土の中をうごめく竜だ。地球においての4元素の特殊性とは、土の固形物の内部に、それより上位の水、空気、火を封入するものだ。
人間だって、水をためこんだ皮袋だ。
この硬い土の中に潜り込んだ土竜は、土を耕し、柔らかくして、土の中に生命的なものを入り込ませると考えると良い。しばしば血をワインにたとえる例があるが、固形物身体の中をくまなくめぐる液体で、この中に人間の自我がある。
これらはみな月下の4元素に、上位に存在する意識を潜り込ませて、土を柔らかくしていくということだ。人形づくりをしていくうちに、物言わぬ土の塊の人形はだんだんと生命的な気配をもちはじめ、夜中にうろつくようになる。

「人形作りは小さな柩に精神的なものを閉じ込める」というのはすでに説明した地球的習慣であり、土の中に水、空気、火が封入されており、火は月のエーテル体とも共鳴するのだが、この月の気が優勢になり、柩に収まらなくなると、柩の輪郭を打ち破りはじめる。

わたしは子供のころから、何か買い物すると、夢の中にその複製が出現し、複製が出てくることではじめて、そのモノを認めるという癖があった。
この複製は実物よりもサイズが少し小さい。地球の軌道よりも内側に金星があり、地球と金星の軌道の比率が黄金比である1:0.618なので、この少し小さな複製は黄金比の金星ボディとみなすようになったが、きっとこれが人形の中の魂であり、ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」のように、肉体は貝殻で、中身の金星ボディは生命的なものなのだ。
よくできた人形の中にある魂としての金星ボディは、貝殻である輪郭から抜け出して動き回るようになると、これは達磨大師の陽神と同じになる。

「人形作りは地球から離れた後、地上に接点を持つためのミイラ作りと同じようなものと同じと考えて良いのでしょうか。柩は死後にとってなんでしょうか」。

質問者が人形を柩にたとえているようなので、その線で考えると、地球とつかず離れずの接点を持つために、柩、ミイラが作られる。金星ボディは夜中になると家から抜け出してうろつくが、朝になると戻ってきて、魂のない土の塊に戻る。

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