悟りをテーマに活動している、ドルフィニスト篤です。
今回も、私の師匠であるマスター・ゲート氏の教えを交えながら、日常の中で目覚めていくためのポイントを、悟りの観点から綴っていきます。

手放す生き方と悟った生き方の違い

これまでの連載では、悟りにおいて手放すことの重要性を強調してきました。
世間的には、価値あるものを手に入れることが重要視されがちですので、手放すことに価値を置くのは稀です。
しかし、「悟るためには手放すことだ!」と、手放すことに執着して追い求めると、それもまた偏った生き方になってしまいます。

創造すること、手に入れることが幻想ならば、手放すこともまた幻想です。
手放すというと、所有することや、やりたいことをするのを諦めて、どこか消極的に生きることのように聞こえます。

しかし、悟りは逆で、積極的にやりたいことはやって、本性のまま、ありのままにいるということです。決して消極的な生き方ではないのです。

山が訪れてくれるのを待ってはいけない

マスター・ゲート氏は次のようにおっしゃいます。

 

人は自分が変わるより、他人や世の中が自分に合わせて変わってくれることを望みます。
しかし、これは柿の木から自分の口に柿が落ちてくることを、口を開けて待っているような「怠けた心」です。
私が山を呼んだのに山が訪ねてこないと、御託を並べているだけの「愚かな心」です。

そんな心では、自分の欲求が満たされないことを悔しく思い、その原因を自分の置かれた環境と世の中のせいにするだけです。
それが高じると、「運命」だの「カルマ」だのと、しょうもないことを言い出したりします。
「まだまだ私には時が満ちていない」「私はあまり運に恵まれていない」などと言って、運命を恨んだりします。

山が訪れてくれるのを待たないで、自分が山を目指して旅立つこと。素敵な経験が訪れることを待たないで、自分がその経験を目指して旅立つことです。
柿の木から柿が落ちるのを待たないで、自分が木に登って柿をとって食べるくらいの、積極的な心構えを持ってください。

巣の中に、餌を待つ小鳥がいます。
その小鳥は、今すぐ飛ぶことはできないにしても、自分が空高く飛べる羽を持った鳥であることを忘れたりはしません。

人生は、誰かのために、あるいは、ある目的のために存在するわけではありません。自分自身が自分の人生の主人として、それを享受できる能力と力を持つべきです。
これからは、ただじっと待っていないで、「そこに向かって進んでいく心」で生きてみてください。
皆さんにとって、これが最も重要な生の哲学になるべきです。

 

誰もが自分の現実の創造主であり、自分の意志で現実を自由に選択して、創造することができます。
そのことが認められず、自分の創造性を否定する時、不足の幻想に陥ってしまい、自分を見失います。
それは、本性をまっすぐ見れないことで、不足という考えに囚われて、偏った幻想に陥っているということです。

もし、やりたいことがあるのに、環境や状況が整うまで待っているのならば、その態度を改めるべきです。
ましてや、他人や環境に遠慮して、やりたいことを我慢したり、抑圧しているのは、自分の創造性を無視していることになります。
創造性を無視するということは、自分のことがわからないままで放置することであり、自分に対する確信が持てないままになります。

やりたいという「欲」を抑圧したままにしておくと、次第に恨みが蓄積されて、病気になったり、貪る心を作っていくことにもなるのです。

積極的に自分の現実を創り出すと自己尊重感が増す

「自分のやりたいことなんて、大したことがなく、子どもじみていて恥ずかしい」と思うかもしれませんが、やりたいと感じている自分自身を尊重してあげるのです。
やりたいことに対する自分へのジャッジは、世の中から影響を受けたものなので、それに耳を貸さなくてもいいのです。

そうやって自分の味方になってあげて、主人の座を明け渡さずにやりたいことに意志を行使し、不足という幻想を打破して、積極的に自分の現実を創造するのです。
自分からやりたいことをして行動する時、結果が期待したようにならなくても心は満たされて満足するものです。
なぜなら、誰かの犠牲になったり、考えの奴隷になるのではなく、「私」を優先し、尊重できる私に変わったからです。

「私」が変わることによって、自分の創造性(積極性)を認めて心が満ちてくると、自分の創造性に対する感謝があふれるようになります。
すると、外側のことに影響を受けにくくなり、外側のことを分け隔てなく受け入れやすくなります。
ハートが開いてくるのです。
外側のものに依存することが少なくなるので、「欲」に振り回されることもなくなってきます。

感謝できる「受動的な心」を持つと意識の統合が起きてくる

やりたいことがうまくできない時、それを現実のせいにして拒否したくなります。
また、やりたいことがあるのに遠慮や我慢をしている時、それは自分の選択なのに、外側のせいにして殻に閉じこもりたくなったりします。

これは人に対しても同じで、自分の思い通りにならない時、その人のことが嫌いになり、拒絶したくなります。この時、心の中で「私と現実」「内と外」を分離・分断させてしまいます。

しかし、心が満たされて感謝できるようになると、反発心、嫌悪感、拒絶感が自ずとなくなってきます。
心に余裕や柔軟性が生まれ、遠慮や我慢をするのではなく「ありがたいな」と自然に現実を受け入れ、享受できる受動的な心を持てるようになるのです。
この時、何かに固執したり偏ることなく、中道を生きるようになり、分離から統合が起こってきます。

「受動的な心」とは、消極性とは違って、積極的に自らを変幻自在に変化させることで、この宇宙をあるがまま受け入れて許容できるということです。
受動的であることと、積極的であることは相入れないように感じますが、両立できるのです。

 

 

ドルフィニスト篤
ドルフィニストアカデミー主宰。京都大学理学部物理学科卒業。京都大学院理学研究科物理学専攻、修士課程修了。2001年より、イルカのスピリットをチャネリングする綾子夫人と共に、イルカのように生きる「ドルフィニスト」を提唱し、全国にて講演活動を行い、人々の目覚めやヒーリングに従事する。現在は悟りのコミュニティにおいて、鋭い論理と慧眼で悟りへと導いている。著書『悟りハンドブックー〈私〉を思い出すこと、それが悟りです!』(ナチュラルスピリット)。

 

 

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『悟りハンドブック』
ドルフィニスト篤著/ナチュラルスピリット

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『悟りの錬金術』
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