こんにちは。悟りをテーマに活動している、ドルフィニスト篤です。
今回も、私の師匠であるマスター・ゲート氏の教えを交えながら、日常の中で目覚めていくためのポイントを、悟りの観点から綴っていきます。

プライドを維持するほど自分が弱くなる

前回の記事では、自尊心(プライド)について書きました。

自我は、周囲からの承認、愛、信頼、許可をもらうことで、自尊心(プライド)を満足させられたら、パワフルで強くいられると勘違いしています。
ですから、外側から「もらう」ことばかりを意識して、自分の価値を探し、価値ある存在だと認めてもらえるように仕立て上げます。
そのためには、表向きは愛想良くしながらも、自尊心(プライド)をかけて競争相手と争いまで起こしたりします。

しかし、そのようにしていると、「もらう」ことばかりに意識を注いで、肝心の承認、愛、信頼、許可が得られないまま、ただ翻弄され、エネルギーを浪費することになります。
場合によっては、愛を装いながら愛を奪おうとするようになり、自分がやっていることの矛盾に精神が引き裂かれてしまいます。

自尊心(プライド)は、“外側からそれらをもらい続けないと存在できない”という不足でできているので、それを維持しようとすればするほど、自分が弱くなってしまうのです。
外側に承認、愛、信頼、許可があると錯覚し、自分の内側にあることを忘れて、信じられなくなっているのです。

しかし、本来、それらは内側に無尽蔵にあって、「今この瞬間」に意識を向ければ、簡単に心の中に創り出すことができます。

「私」を山の中に置き去りにして得られるもの

マスター・ゲート氏は、次のようにおっしゃいます。

私の正体・アイデンティティとは何だろう?」と、焦って問い詰めても、すぐに答えが出るというわけではありません。
最初は、そのように難しくするのではなく、ただ、一人で過ごしてみましょう。
誰とも一緒にいずに、どのような考えも連れて来ないで・・・
徹底的に、私一人になってみるのです。

そのように、「私」を本当に一人にさせておくと、周りに木があったとしたら、「木も私も同じだ」と思うようになります。
私」の考えが介入してこなくて、私」を意識しないので、ただ、木と私」は同じだと感じ取れるのです。
だから、徹底的に一人で過ごしてみるということを練習してみましょう。

山に登るのであれば、私」のすべてのものを横に置いて、捨てて、登って行きましょう。
一人になったら、どこの誰も介入させずに、どのような考えも介入させずに、徹底的に私」を一人ぼっちにさせるのです。
私」という存在すら意識しないようにします。
そうすれば、そこにある木や草と私は同じだと感じるはずです。
そのように、私を置きっぱなしにしないといけません。
自我も置きっぱなしにすると、自我が力を発揮することができません。

私」が何かを掴んで、引き寄せようとするとき、自我も発動するのです。
だから徹底的に一人でいるのです。
一人ぼっちにさせるのです。
そうしたら、私」とそこにある木や草や石が区別できないのです。
そのようになると、周りにある木や草や石が意識できなくなるように、私」という存在も意識できなくなります。
そこまでいくことは、決して難しいことではありません。

そのようにして、徹底的に一人でいる練習をしてみましょう。
一人でいるというよりも、そのまま私」を放り出すのです。
私」を山に連れて行って、そこに放り出すのです。
山まで引っ張って行って、そして山で捨てるのです。
放り出したらどのようなことが起きるか、見ていてください。

そうしていると、ある瞬間、「あ! 私がいない、どこにいる?」と私」を探すことになるのです。
周りには木や草がたくさんあるけれど、そのうちの一つになってしまったのだから、私」というものを探さなければいけない感覚になるでしょう。
人によっては、このような考えをするでしょう。
「私が消えた、今。私が消えてしまった。あぁ、私は誰だろう? 私が見えるはずなのに、見えない。私がいる存在として感じ取れるはずなのに、感じ取れない。でも、はっきりと私は意識しているじゃないか。私は誰だろう?」

そのように、自然に経験として、私」に対する洞察が起こるようになっています。
これは誰であろうと、皆さんができるようになっています。
なぜなら、皆さんには、今、捨てるものがあるからです。
皆さんには、捨てることのできる自分がいるのだから、山に行って、自分を捨てればいいのです。

 

この話は、山のすそ野で暮らしている出家者向けなので、近くに山がないという方は、ネットやスマホから距離を置いて、一人で過ごす時間を取るだけでも良いでしょう。

一人で過ごしてみると、最初は雑念などの考えで頭が一杯になるかもしれません。また、孤独感や分離感を強烈に感じるかもしれません。
このように湧いてくる考えに翻弄されて、意識が散漫になるかもしれません。
それでも、粘り強く考えから離れるようにして、考えを手放し続けてみてください。

「私」に対するこだわりを解き放ち、本性に目覚める

考えがどこから生じてくるかというと、「私」に対するこだわりからです。
このこだわりが自尊心(プライド)であり、自我の核となっています。

しかし、「私」がどんなにこだわって、違うと主張しても、本当は山にある木や草や石と「私」に区別はないということです。
見る側、見られる側、主体と対象の区別がないのです。
区別があると考えているの、自我なのです。

勝ち負けを気にして、他人をコントロールしようとするのではなく、また自分の心の弱さから逃げたり、閉じこもったり、抑圧するのではなく、それを治めて自分に勝利する・・・。
特別な私になるために戦うのではなく、その欲を手放して、「私」に対するこだわり、偏り、執着を解いていく。
優越でもなく、劣等でもなく、何者でもない私、ただ在る私を受け入れる・・・。
何者でもない、何も持っていない、考えでもない、でも、明らかに存在している私・・・。

そうやって、私の本性に目覚めていくのです。

考えなどの自我は、私たちの本性を覆って、見えなくして忘れさせます。
その自我を手放していくと、必然的に本性が現れ出てきて、その強烈さを味わうことができるのです。

 

 

ドルフィニスト篤
ドルフィニストアカデミー主宰。京都大学理学部物理学科卒業。京都大学院理学研究科物理学専攻、修士課程修了。2001年より、イルカのスピリットをチャネリングする綾子夫人と共に、イルカのように生きる「ドルフィニスト」を提唱し、全国にて講演活動を行い、人々の目覚めやヒーリングに従事する。現在は悟りのコミュニティにおいて、鋭い論理と慧眼で悟りへと導いている。著書『悟りハンドブックー〈私〉を思い出すこと、それが悟りです!』(ナチュラルスピリット)。

 

 

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『悟りハンドブック』
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『悟りの錬金術』
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