こんにちは。悟りをテーマに活動している、ドルフィニスト篤です。
今回も、私の師匠であるマスター・ゲート氏の教えを交えながら、日常の中で目覚めていくためのポイントを、悟りの観点から綴っていきます。

自我は生き残ろうとして自分自身を騙す

前回の記事では、自覚し、悟りに至る道で、徹底的に自己分析することの大切さについて書きました。
はっきり知りたくなくて、曖昧なままにしていた自我を徹底的に分析して、その正体を知り、受け入れていくということを──。

自我にとって、その正体をはっきりさせて明らかにしてしまうことは、自分の存続が危うくなるので、非常に都合が悪いことです。
向き合わず、正体をはっきりさせないようにするために、外の事象や湧き起こってくる考え、感情、欲求などに関心を向けさせ、自我自身の存在を放置させるようにしてきました。

しかし、発心する心を持って、自我を徹底的に分析しようとすれば、自我の正体は自ずと明らかになるようになっています。
自我の正体をはっきりさせると、自我は消えていく運命にあります。
なぜなら、自我は本当の私ではなく、もともと実体がないからです。

「私はもうわかっている」
「分析するような自我はない」
「私は大丈夫!」
「周りのせいで、私は悪くない」
「全ては私が悪いからこうなった」

このように自我は、もっともらしそうな理由を持ち出して、本質から目をそらさせるようにして居座ろうとします。
自我は巧妙に生き残ろうと、自分を守るために絶対的なもののように見せかけたり、正当化してきて、自分自身も周りの人も騙そうとするのです。

そうして守りを固めていくうちに、いつの間にか頑なになり、傲慢になって、他を排除しようとする心が大きくなります。
しかし、強い意志を持って向き合うことで、自我の正当化に騙されることなく、見通すことができるようになるのです。

徹底的にエゴを排除し、頭の中を空けてみる

マスター・ゲート氏は、次のようにおっしゃいます。

悟りにおいて、最も科学的な方法が、禅です。
徹底的に自己否定を通して、全てを否定することを通して、自分のエゴを抹殺するのです。

すると、皆さんはこう言うかもしれません。
「エゴを抹殺するのもエゴではありませんか?」
そのように言うなら、そう言うこともできます。
しかし、二つがともに爆発するのです。

エゴを殺すのも、エゴです。
そのようにさせる努力が、二つをともに爆発させます。
だから、それは本当に画期的な方法です。
悟るために、人類最高の知恵と称するに値します。
全てを否定することで、全てが幻想に過ぎない、上っ面に過ぎないと悟るのです。

そのために、自分を放棄してしまい、自分の全てをみな燃やしてしまい、「私」が死ぬのです。
「私には何もない」と。

そうすると、エゴがまた巧妙に「いや違うよ? これもあるよ、あれもあるよ」と言ってきます。
そうしたらそれを、最後の最後まで否定しないといけません。

注意するべきは、エゴが言ってくる言い訳に騙されないことです。
天才的なエゴに、絶対に騙されないようにするのです。
エゴは、どうにかして皆さんがエゴを放棄し、捨て去ることをできないようにします。
なぜかと言うと、エゴは自分が生き残らないといけないからです。
だから生存本能のために、皆さんをとても巧妙に、何であろうとエゴを捨てられないようにします。

その時に気持ちをしっかりと持って、そのエゴさえ捨てるのです。
そうしたら、虚しさを感じるかもしれない。
その「虚しさ」にまたエゴが混じるので、それも捨てます。

「そうしたら、本当に残るものがあるだろうか?」
それも捨てます。

エゴは、天才的にずっと皆さんを苦しめるでしょう。
捨てさせないようにさせます。
そうしているうちに「こんなふうにしていて、私はバカになるんじゃないか? 植物みたいな人間になるんじゃないか?」「何か間違っていたらどうしよう」
という不信感や、疑いが生まれてくるかもしれません。

それでも捨て続け、死んでみるのです。
死ぬと言っても、肉体的に死ぬわけではなく、精神的活動をやめるということです。

断食も、肉体にとって、時にはとてもいいです。
食べ物を空にするのです。

同じように自分が持っている概念、観念、考え、絶対的に信じている信念・・・それらを果敢に捨てて、杯を空けるように、頭の中を空けてみるのです。
果敢に捨てることで、無所有になってみるのです。
今までわかったことも全て捨ててみるのです。
捨ててこそ、初めて明らかになることがあります。

想像してみてください。
全てのことが 「私」からみな開かれていけば、どれほど自由でしょうか?

 

自我はこのようなことが好きです。
正義や恩義、義理、義務、責任、大切な信念、絶対的な真理、論理、愛着、コントロールすること、知識や情報、経験、物語、モノを所有することなど──。
なぜなら、それを隠れ蓑にして生き延びることができるからです。

自我をていねいに解体し、手放していく

自我は、馴染みのある、もっともらしい大義名分や結論を持ち出して、「私」を騙してきます。

そういうものだ、常識的には・・・
どうせ・・・
やってもしょうがない、意味がない
幸せだから必要ない・・・

当たり前のように使っているその言葉が、すでに自分を檻に閉じ込めている証拠です。
そして、それを根拠に人を判断し、それにそぐわない人を嫌い、排除したいという心が働きます。

そのような気持ちを疑うことなく簡単に同意し、習慣的に反応するのではなく、意志を持って少し距離をおいてみるのです。
自我に洗脳され、騙されて、真剣にやってきたことをはっきりと自覚することで、自然に手放すことができます。

これは別の言い方をすると、自分の中から湧き起こるどんな「考え」に対しても自己同一化せず、超然として深刻にならないということです。
このような新しい習慣を身に着けていくことが大切です。

これは一見すると冷酷で、人間性を否定していくことのように感じると思いますが、「本当の私」はそういった「考え」から超越していて、すべてを包容しているのです。

逆に自我が執着し、大切にしていることが、実は利己的な打算や計算だったことが見えてきます。
その事実をプライドとしては認めたくなくて、落胆したり、ショックを受けるかもしれませんが、自我とはそういうもので、自我には何ら問題はないのです。
ですから、そんな自我を認めてしまっても失うものはなく、全く怖がる必要がありません。

このように、分析することで明らかになった自我を勇気を持ってていねいに解体し、手放していくのです。
徹底的に手放し続けることで、自我が消滅する時がやってきます。

 

 

ドルフィニスト篤
ドルフィニストアカデミー主宰。京都大学理学部物理学科卒業。京都大学院理学研究科物理学専攻、修士課程修了。2001年より、イルカのスピリットをチャネリングする綾子夫人と共に、イルカのように生きる「ドルフィニスト」を提唱し、全国にて講演活動を行い、人々の目覚めやヒーリングに従事する。現在は悟りのコミュニティにおいて、鋭い論理と慧眼で悟りへと導いている。著書『悟りハンドブックー〈私〉を思い出すこと、それが悟りです!』(ナチュラルスピリット)。

 

ドルフィニストアカデミー
http://www.dolphinist.jp/
http://iru-iru.jp/

『悟りハンドブック』
ドルフィニスト篤著/ナチュラルスピリット

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悟りのマスター、マスター・ゲート氏の活動情報はこちら
101キャンドルライト
http://101candle.jp/

『悟りの錬金術』
マスター・ゲート著/アン・テファン訳/ナチュラルスピリット

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