先週末のゲイリー・レナードさんの取材、そして昨日今日のアラン・コーエンさんのワークショップを通して、『奇跡のコース』から見た「この世の幻想性」について得るところがあった。

この世が幻想ならば、この世については何も期待できず、絶望しかない。この世のどこにも希望はない、と思ってゐた。
仏教(小乗仏教)では、「諸行無常」の世界であり、「四苦八苦」という苦しみしかない世界だ。

『奇跡のコース』では、この世は内側の投影だといふ。
内側が変はれば、この世界も変はる、と。

この世界が幻想だからといって、絶望と見なくてもいいのだ。

大乗仏教の「常楽我常」の認識へと転換すればいい。
『奇跡のコース』では、エゴの知覚からキリストのヴィジョンへの根本的な知覚の転換だ。

「諸行無常」の世界でありながら、「常楽我浄」のものを認識していればいいのだ。

「憂き世」から「浮き世」への転換ともいへる。

この世界を絶望と見ず、永遠の相としてみれば、内なる安らぎが生じ、絶望も消える。

(今井)