17世紀のイギリスの大占星術師による名著『クリスチャン・アストロロジー』(ウィリアム・リリー著、太玄社)の翻訳を手がけ、ご自身も占い師と風水師としての顔を持つ田中要一郎さん(写真右)。
そんな田中さんが、占い界の重鎮クラスのゲストを招いてスペシャルトークするのが、この企画。
7回目のゲストは、占星術師でコーセイ占星学研究所の所長、橋本航征さん。タクシー運転手から占星学に目覚めて、プロになって今年で40年。関西の出身とあってか、お笑い芸人顔負けのジョークを交えながらの、笑いの絶えない対談となりました。
2人の占術の専門家による、ディープな世界をお届けしましょう。

タクシーの運転手から占星術師になった理由

田中 占星学に興味を持たれたのは、いくつの時でしたか?

橋本 1974年ですから、24歳の時ですね。

田中 あ、僕の生まれた年ですね。

橋本 当時、僕はタクシーの運転手やっていたんです。

田中 えー、そうだったんですね。占いに興味を持たれたきっかけは?

橋本 幼友だちがトラック事故の外傷が原因で亡くなって、身近な人が死ぬという経験があまりなかっただけに、すごくショックで。
ドライバー仲間に姓名判断について研究してた人がいたので、亡くなった友人の名前を「診てもらえるかな」って教えたら、その人が名前を見るなりびっくりしながら、「えっ! 頭に傷がつく名前だ」って言ったんです。

田中 へぇー。

橋本 そのことがきっかけで、最初に「姓名判断」の本から読み始めたんです。当時、超能力者のユリ・ゲラーが来日したことでオカルトブームが巻き起こり、雑誌にタロットの付録がついたりしてました。
世をあげてのオカルトブームでしたね、1970年代の日本は。

田中 そういう時代だったんですね。

橋本 で、僕は目が悪くなってきていたんで、目標にしていた個人タクシーをあきらめて、プロの占い師になろうと思って、姓名判断と数霊とタロットから勉強してみたんです。

田中 占星術じゃなかったんですね?

橋本 「占星術は難しそうだな」と思って、最初は避けたんです(笑)。
でも、姓名判断、数霊、タロットは、霊感とかインスピレーションとが必要だから、どうも自分向きではないとわかって。もっと理屈があるほうがいいなと思って、同じ年に「占星術をやってみようかな?」と。

田中 そうでしたか。

占い師デビュー後、守り続けた自分スタイル

橋本 占星術の本もあまりなかった時代でしたが、占星術を独学し始めたんです。
そうこうしているうちに、27歳になった1977年に、門馬寛明先生が僕の地元の神戸・元町のカルチャースクールで教え始めたので、学ぶことにしました。
門馬先生のもとで2年間みっちり勉強をして、1979年からプロになって、今年でちょうど40年目です。
この間、なんとか占星術だけで生活してきましたね。

田中 はぁー、40年はすごいですね。

橋本 その代わり、最初の1年間は所得が低いから栄養失調になって、脚気(かっけ)にもなりましたけどね(笑)。

田中 そんなに大変だったんですね(笑)。

橋本 いや、「勉強さえしておけば、後は客が勝手に来る」って思ってますやん、こっちはね。デビュー当時は、そういうおとぎ話の国で生きていたからね。
でも、マンション6階に部屋持っていて、待てど暮らせど来ないっていう(笑)。

田中 どういうきっかけで、お客さんが来始めたんですか?

橋本 最初の1年間の収入は9800円だったんです。それで「こうなったら夜の街に出て行こう」と決めて、神戸、大阪、京都の街角でやったけど、やはり度胸が足りないんですよ。やらなきゃと思っても、「嫌だなぁ」と踏ん切りつかなくてね。

そこで、ひらめいたのが、有馬温泉のホテルに出向く出張占いなんです。週3回で結構、多くのお客さんを鑑定できました。
今思えば、大して儲かってはいないけど、鑑定したお客さんがリピーターになってくれて、マンションの方にも足を運んでくれたりしてね。

そうこうしているうちに、「神戸の占いの店」という、一ヵ所に13人の占い師を集めたお店ができて、名物スポットになったんです。そこに入ってから、少し生活が楽になりましたね。

田中 何年頃ですか?

橋本 オープンしたのは1982年4月です。

田中 そこで収入が安定したんですね?

橋本 そうですね。でも僕はプライドが高いから、嫌なんですよね、そこも。
なんていうか、「遊郭」みたいでしょ。客がフロアーを練り歩きながら占い師を品定めして。こっちも「いかにも当たりますよ」っていう雰囲気を作って、客を待って。
客に見初められないといけないわけだから、もう、ものすごく嫌でしたね(笑)。しかも当時、僕は32歳ですからね。若く見えるから客は来ないんです。

田中 やはり、若さというのは占い師にとっては・・・。

橋本 ダメ! ちょっとボケが始まってそうなくらいがいい(笑)。

田中 あはは。

橋本 ああいう場では、客は見た目で判断しますからね。結局、2年で「こんな遊郭、嫌だ」ってなって。

田中 遊郭ではないですけどね(笑)。

橋本 感覚としてはそんな感じでした。でも、そこに来ていたお客さんに事務所の住所の入った名刺を渡していたので、マンションに来てもらえるようになったんです。

田中 なるほど。有馬に続いて、リピーターさんが増えたわけですね。

橋本 そう。あと、カルチャースクールの先生も始めていましたからね。それ以来、いろんなスクールで教えるようになって、今も神戸で教えています。
でもね、カルチャースクールは嫌だから、「もう、生徒を集めないでほしい」って頼んでいるところなんです。

田中 あの・・・、さっきから「嫌」ばっかりですね(笑)。

橋本 スクールの先生でも、収入的に見合うならいいんですよ。

田中 あ、そういうことですか。

橋本 もうずっと前から辞めたかったけど、辞めたらうちの奥さんが怒るから(笑)。

田中 あはははは。

橋本 占い師っていう、訳のわからない仕事をしているから、カルチャースクール講師っていう肩書があると、世間的な信用がつくわけですよ。

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