こんにちは。悟りをテーマに活動している、ドルフィニスト篤です。
今回も、私の師匠であるマスター・ゲート氏の教えを交えながら、日常の中で目覚めていくためのポイントを、悟りの観点から綴っていきます。

「私」とは肉体の主ではなく奴隷?

コロナ禍の中、読者の皆さまも、衛生や健康に気を遣っていることと思います。
ここで突然の質問ですが、皆さんは起きてから寝るまで、自分の身体のことをどのように意識していますか?

何度かの食事をとって、仕事に出かけて、育児をして、掃除をして、買い物に出かけて、友人と会って、散歩をして、昼寝をして・・・、そんなふうに、人は一日中、何らかの活動をして、身体を動かしていたりするものです。

その時、身体は当然自分の思うように動くもの、コントロールできるものと思っているのではないでしょうか。
身体は自分自身だと思い込んでいるかもしれませんし、あるいは、私は肉体の主(あるじ)だという感覚を持っているかもしれません。

しかし、一日の活動をよく振り返ってみると、食欲や睡眠欲、性欲などの肉体を生存させようとする本能的な欲求だったり、あるいは、肉体から派生した「私」という自我意識、プライドを守ろうとする欲求から活動していることがほとんどだと思います。

ということは、私とは肉体の主人ではなく、むしろ肉体からやってくる思考、感情、感覚、欲求(自我)に支配され、奴隷のように生きていることが見えてきます。

虚空に行くには肉体から徹底的に自由になる

マスター・ゲート氏は、次のようにおっしゃいます。

皆さん、結局は何を悟るかというと、実は「虚空を悟る」ということなのです。
それは、「私」という存在を虚空に接近させ、虚空に到達するということです。
肉体は消えていくもの。
死んで肉体が消えても、精神は残る。

ということは、まだまだ精神に閉じ込められている。
その精神からも抜け出さなければいけないし、霊魂からも抜け出さないといけない。

そして、真なる「無」に行くのです。
それは「無」ではなくて、「私」の本性というものですが。
それは決して「ない」という概念ではなくて、虚空のような本質です。
本質を虚空と表現することさえ完全ではないけれど、虚空がなければ、この世には何も存在し得ません。

ここで大事なことは、皆さんが「虚空になる」と言ってなるのではなく、もうすでに、代わり得ない虚空そのものだということ。

であれば、皆さんがしなければいけないことは何でしょうか?
それは、「私」自らが拘束して、束縛して、閉じ込めているものから脱出しようと努力し続けることです。

すべての考え、感情といったものたちは、どこから来るのでしょうか?
肉体からやって来ます。
それは、精神的なものですらない。
ただ取るに足りない、肉体的な考え、肉体的な感情に過ぎないものです。

肉体というものは、いつ、いかなる時に消え去るかわからない。
だから、それは真実なものでも、永遠なものでもない。
肉体は、本当に大したものではないじゃないですか。

皆さんはその真実に気づいたのだから、肉体的な感情、肉体的なストレスから、影響を受けてはいけない。
自尊心、恥ずかしさというような肉体的な感情、感覚を一掃するのです。
肉体的な観点から来る感情や考えを、皆さんが屈服させて、そこから影響を受けなければ、自然と精神的なものからも自由になれるのです。

まずは、肉体的なものから徹底的に自由でなければならない。
それが、虚空に行くための最初の関門です。

「私」が、私自身をずっと縛り続けていたのです。
肉体的な考えが、最も太い紐となって、「私」を縛り続けてきました。

昔から、「死者の知恵にならえ」と言います。
死んだ人に、何の知恵があるというのでしょう?

その言葉の意味は、こういうことです。
「いつ、いかなる時に死ぬかわからない私たちの肉体というのは、風前の灯火のようなもの。
一瞬にして消え去るかもしれないこの肉体から、ストレスを受けても良いものだろうか?」。

 

「私」という個人が存在しているという感覚は、実は肉体からきています。
本来、肉体は、神である「私」が創り出した被造物であり、主体ではなく対象に過ぎないのですが、自分自身を肉体だと思い込み、同一視することで、他人との区別が生まれ、必然的に“私という個人がいる”という錯覚が生じるのです。

防衛に走る自我意識と内も外もない虚空意識

肉体は、栄養を取らなければ衰弱するし、傷ついたり、死んでしまうので、自分自身を守るための生存本能が生じました
さらに肉体を守るために、「危険ではないか?」「不利な状況にいないか?」と敏感にキャッチするために、「私」という自我意識、プライドが生じました
これは目には見えませんが、ある形態を持っていて、元々は肉体に帰属するものです。

このように、肉体から生まれる欲求は、外側に影響されやすく、傷つきやすい肉体や自我意識を守ろうとする防衛本能であり、利己的なものなのです。
ですから、私と私以外、内と外という分離を生み出し、好き嫌いや優劣を創り出し、個を守るために正当化したり、敵を攻撃し、排除しようとしたり、逆に自虐したりするわけです。
すべては、肉体と自分自身を同一視したところから始まったストーリーなのです。

私の本性である「虚空」は、内と外、敵と味方という概念や区別がもともと存在せず、守るという発想すらありません
また、それらの概念に影響を受けることもありません。
有形、無形のあらゆるすべてを創造し、あるがまま維持し、受容、許容、包容し、消滅させる意識があるだけです。

あらゆる考え、感情が存在することを許していて、そこには自由があります。幻想の行為者が肉体を移動させたり、コントロールするという幻想の自由ではなく、本質的な自由です。

「私」の本性である虚空に目覚めていく

ですから、肉体やそこから派生した自我意識は本質ではなく、束の間に創られた泡のような幻想であって、それからストレスや影響を受ける必要がないということです。

生きている間に肉体的観点に縛られたまま、肉体が真実だと思い込んでいると、死後の世界でも肉体的観点に縛られ、輪廻することになります。

肉体がある間に、形あるものが幻想であることに気づき、それらに対する思い込み、錯覚、執着を手放し、形のない「私」の本性である、虚空に目覚めていくことが大切です。

身体を大切に扱いつつ、肉体意識に縛られて狭小な観点になっていることに気づき、その束縛を手放し、「私」の本性である虚空を思い出していきましょう。

 

 

ドルフィニスト篤
ドルフィニストアカデミー主宰。京都大学理学部物理学科卒業。京都大学院理学研究科物理学専攻、修士課程修了。2001年より、イルカのスピリットをチャネリングする綾子夫人と共に、イルカのように生きる「ドルフィニスト」を提唱し、全国にて講演活動を行い、人々の目覚めやヒーリングに従事する。現在は悟りのコミュニティにおいて、鋭い論理と慧眼で悟りへと導いている。著書『悟りハンドブックー〈私〉を思い出すこと、それが悟りです!』(ナチュラルスピリット)。

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『悟りハンドブック』
ドルフィニスト篤著/ナチュラルスピリット

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『悟りの錬金術』
マスター・ゲート著/アン・テファン訳/ナチュラルスピリット

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