神保町の吟遊詩人・マーソロミューです。
「CDが売れない時代」そんなセリフも聞き飽きるくらい、音楽業界は不況である。
しかしそれも言い方ひとつ。「良いアーティストがいなくなった」「人々の興味が他のモノに映った」「音楽自体のパワーがなくなった」・・・etc。
理由は多々あるのか、それとも「CDが売れないという現象がただ起こっているだけ」なのかは誰にも分からない。それは他のもの、本や車や家、何でも同じことだろう。
ただ存在しているだけの美しさに溶け込める瞬間
あらゆる事象の中でも、「音」は人の知覚にダイレクトに響く。
人それぞれの“思い込みフィルター”を通したとしても、「音」が持つ波動は宇宙創生の根源的なエネルギーが含まれているのだ。
それでは「素晴らしい音」とはどんなものだろうか?「素晴らしくない音」はあるのだろうか? もちろん、そんな問いはナンセンスだ。そんな境界線はどこにもないからだ。
しかし、あらゆる分別や境界線を超えて「心を揺さぶる」瞬間はある。荘厳な夕陽に出会ったとき、赤ちゃんの柔らかな肌にふれたとき、災害時に見ず知らずの人と助け合うなど・・・。
それはつまり、“自我が消え、無私になる瞬間”なのだ。自我がいないとは何て素晴らしいのだろう!どこへも向かわず、何者になる必要もないのだから(笑)。
ただ存在しているだけの美しさに溶け込むとき、人は愛そのものになり、宇宙と一体となる。
前置きが長くなったが、そんな感覚を呼び覚ましてくれる、スターシアからの久しぶりの新譜『Lumière 』を紹介したい。
ナチュラルでダイレクトな感動を伝える『Lumière』が紡ぐ音
作曲を手掛けるのは“光の画家”ChieArt。サウンドプロデュ—サーには、映画音楽も手掛けてきた高橋全を迎えて制作された。
ピアノの優しいメロディーラインを主旋律に、時には本当に森の中にいるように、時には宇宙まで意識が拡大するような12曲のインストゥルメンタルを収録。
本来なら「癒しのヒーリングアルバムが完成!」とお伝えるのが定石だが、それはやめておく(笑)。そもそも分別するものではないし、ここでは聞く方のフィーリングに委ねたい。先入観を植え付け、誘導するのもナンセンスだ。
ChieArt(チエアート)
画家。手で描くオリジナリティあふれる画風は“光の画家”として評価を確立。国内での個展他、パリ個展、ニューヨーク個展、イタリア現代美術国際ビエンナーレ、スペイン、スイス、スウェーデン、メキシコなど海外での展覧会も多数。精神科医など多くの医師からの支持も厚く、絵画を特別なものでなく“心と対話する身近な道具”として活用してほしいと『眺めるアートセラピー』を提唱。
長年の個人的活動として日本国内他、ミャンマー、インド、ベトナム、カンボジア、ニュージーランドなどの孤児院や学校、病院などで絵画を通した社会貢献を続けている。独特の感性で綴る文章には定評があり、東洋経済新報社、PHP 研究所、角川書店、PARCO出版、角川マガジンズ、フォーユー(日本実業出版社)、マキノ出版、ヒカルランド、ナチュラルスピリットなどから著書多数。
個人的に僕は音楽活動をしていて、ロックからクラシックまであらゆるジャンルの音楽を聴いて育ってきた。すべてが素晴らしい「音という現れ」であり、「イマイチなアルバムだな」なんて時もあるが、それすらも楽しんでいると言える。人の魂を通して現れた音なのだから。
昔はジャケ買いで出会い、うっかり手元にきてしまったイマイチなCDがよくあった。
だけど、「もったいないから」と聞き込むうちに、最初は気づかなかった箇所が聞こえて(感じて)くることもあり、思いがけずお気に入りの1枚になることだってあったのだ。
ダウンロード、聞き放題が主流になっている今、開始10秒で「気に入られ」なければ、永遠にリプレイされることはない(言い過ぎ?)。すべてが合理化最優先で進む時代。
最終的には「人の存在が不必要になる」未来へ進みかねない。
なのでここら辺で、ちゃんとCD盤で購入し、ゆったりした気分でプレーヤーのトレーに乗せ、曲が始まるのを眺めようじゃないか。誰も急かしてはいないのだから。
『Lumière』はもちろん、イマイチなアルバムではない(笑)。
制作側としては、素晴らしいと思うものしか皆さんに提供していないが、どう感じるかは聴いた人のハート次第だ。
『Lumière』が紡ぐ音が、太鼓の音色や打ち上げ花火の音、小川のせせらぎに触れたときのような「ナチュラルでダイレクトな感動」を、皆さんの中に喚起することを願って。
この記事を書いた人
営業部・マーソロミュー