あけましておめでとうございます。
悟りをテーマに活動している、ドルフィニスト篤です。
今回も、私の師匠であるマスター・ゲート氏の教えを交えながら、日常の中で目覚めていくためのポイントを、悟りの観点から綴っていきます。
一年の始まりは基本に立ち返る時
新年を迎えて、この一年をどのように過ごそうかと、思いを巡らせていらっしゃることと思います。
「コロナ禍で中断していたことを再開しよう!」
「昨年できなかった趣味を充実させよう!」
「この機会に内面を探究してみよう!」
など、どのように過ごすにしても、基本をしっかり踏まえておくことは重要です。
一年の初めに、基本に戻って、どのように過ごすかを自分自身に問う時間を作ってみると、いいスタートが切れるのではないでしょうか。
最初のボタンを掛け違えないようにしたいものです。
暗闇で針を失くしたおばあさんが気づくべきこと
マスター・ゲート氏は次のようにおっしゃいます。
韓国では、会話において「主題を把握しなさい」と言う時があります。
この言葉は、「身の程を知りなさい」「自分の境遇を考えなさい」 という意味です。
その言葉を聞くと、相手は萎縮したり、卑下したりするかもしれませんが、求道においてこれより適切な表現はありません。「主題を把握しなさい」という言葉は、すなわち、「自分自身をよく見なさい」ということであり、「自分自身の現在地を省察しなさい」ということです。
外形的な「私」を見るのではなく、内面の「私」を見て、「私」の意識の現住所を省察しなさいということです。あるおばあさんのたとえ話があります。
そのおばあさんは、部屋の中で針を失くしてしまいました。
なくした針は、当然、部屋の中にあるのであって、部屋の外にあるわけがありません。
けれども、おばあさんは、部屋に灯りがなくて真っ暗で見えないからと、月の光が煌々と照らしている部屋の外で針を探そうとして、いつまでたっても見つからないのです。このたとえ話において、部屋が暗いのは、部屋に灯りがついていないからです。
部屋は「私」です。「私」を見ようとしないから、部屋が暗いのです。灯りは、私に対する「自覚」です。「私」を見ようとする時、「私」が見え始めます。
「私」を見ることから、「悟り」すなわち光が生ずるのです。
けれども、ほとんどの方はこのおばあさんのように、自分自身を見ようとしません。
自分自身を見ないので、部屋は暗くあらざるを得ないのです。
彼らは部屋を見ることを諦めます。そして、外に目を向けるのです。このように、あきれ返るようなナンセンスなことをしているのに、そのことを理解せずに、部屋が暗いことを正当化して、外に視線を向けるのです。
誰が?
何を?
どうやって?
なぜ?そんな根本的な主題を把握せず、しようともしないのです。
主題を把握できていないことのすべては、浮雲であらざるを得ません。
人々はそのような漠然とした蜃気楼を、外で探しているのです。
人生を歩むうえで、自分が何を求めていて、何をしたいのか、常に気づいていることは重要です。
そして、なぜそれを求めて、したいと思っているかにも気づくように努力することで、時間を浪費するような回り道をしなくてすみます。
外側にあるものを追い求めると回り道の人生に
世の中のほとんどの方は、お金を始め、世間で価値があると思われているもの、評価されているものを追い求めて生きています。
それが悪いと言っているわけではありません。
しかし、盲目的にそうしている時、自分がなぜそれを求めているのか、したいのか、考えることなく、気づくこともなく、時間ばかりが過ぎていくことになります。
回り道、それが人生だと言えばそれまでですが、世の中に流されたままで生きていく時、いつの間にか世の中に対する被害者意識・犠牲者意識が生まれているのです。
最初は被害者意識があることに気づかなくても、時間が経つにつれて、世の中に対する恨みや憎しみ、復讐心が募ってきます。
価値があるとされ、評価されていることを追い求め続けても、その見返りとして世の中が自分に幸せを与えてくれるわけではないと知るからです。
自我は、自分自身を見るよりも、外側のキラキラしたもの、権威付けされていて、もっともらしいもの、すごそうなもの、愛されそうなものに飛びつこうとします。
外側からくる刺激が、「私」を幸せにしてくれそうに錯覚してしまうのです。
でも、それは一瞬で流れ去っていくことを誰もが知っています。
そうやって、浮雲を掴もうとしているだけなのです。
そして、それが流れ去った後には、何も残らずに、また追い求めることになります。
自分自身を探求するほど欲しかったものが得られる
自分自身を知っていくこと、悟りを得ていくことは、「今ここ」という刹那でありながらも、時間を超えた永遠を悟ることでもあります。ダイレクトに「私」を見ることになるので、至福がすぐにやってきて、追い求める必要がなく、回り道の無意味さに気づきます。
外側で起こる現象や内面で起こること、どちらも浮雲で、幻想であることが次第にはっきりしてきます。
自分自身を知ることは、自分に正直に接すれば接するほど、揺るぎないものとなり、被害者や犠牲者もなく、裏切られることがなくなります。
そのように、欲しかった信頼という見返りが、まっすぐに返ってきます。
世の中に合わせようとすればするほど、それに振り回される人生になってしまいます。
しかし、自分自身に照準を合わせると、誰であっても、何であっても、自分を振り回すことができないことがわかるのです。
ドルフィニスト篤
ドルフィニストアカデミー主宰。京都大学理学部物理学科卒業。京都大学院理学研究科物理学専攻、修士課程修了。2001年より、イルカのスピリットをチャネリングする綾子夫人と共に、イルカのように生きる「ドルフィニスト」を提唱し、全国にて講演活動を行い、人々の目覚めやヒーリングに従事する。現在は悟りのコミュニティにおいて、鋭い論理と慧眼で悟りへと導いている。著書『悟りハンドブックー〈私〉を思い出すこと、それが悟りです!』(ナチュラルスピリット)。
ドルフィニストアカデミー
http://www.dolphinist.jp/
http://iru-iru.jp/
『悟りハンドブック』
ドルフィニスト篤著/ナチュラルスピリット
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悟りのマスター、マスター・ゲート氏の活動情報はこちら
101キャンドルライト
http://101candle.jp/
『悟りの錬金術』
マスター・ゲート著/アン・テファン訳/ナチュラルスピリット