
3月半ばから、毎日のように朝の6時あたりにyoutube動画を作っていた。
これはウィンドウズのホワイトボードというアプリに、液晶タブレットで文字を書き、ウィンドウズ10にもともと付属している動画キャプチャー機能で録画するもので、編集作業はゼロ、そのままアップロードしている。
で、毎日のように、自分が見た夢を説明することからスタートしていたのだが、毎日40分近く話をする場合、題材は夢から始めるのが一番いいのではないかと思ったからだ。
youtubeの話は15分くらいが適切だと思うが、話し始めると、どうしても40分くらいの長時間になってしまうのは、わたしがお年寄りになったからだと思う。
何年か前から、本を読むというのはほとんどしていない。読むにしても一冊読むのは難しく、大体とびとびに数行読むだけだ。
なので、考えるための刺激としての情報は、この物質世界から採取する比率が比較的少なく、何かを調べることもそう多くない。
情報源は夢から得ているという状態で、これは何もしなくてもいいので気楽な感じがするかもしれないが、反対に精神コンディションの管理をする必要があり、説明が難しいが、常にあらゆるものが自分から湧き出してくるという姿勢をキープする必要はある。
夢なら大体、毎日新テーマが打ち出される。
いままでの経験からすると、前の日とかに話したりした内容に関連して、次の話に進むというような夢を見ることが多く、たとえば、ある日の夢で、木星が爆発するように拡大し、これが30個くらいの色とりどりの世界を作り出したという夢を見た。
箱の中に区画が作られ、この中にいろいろな形のチョコレートが詰まっているような映像だ。
次の日か、あるいはその次の日の夢では、これはプレアデスの散開星団のことを語っているらしいということだった。
その次の日には、ある女性がインドとインドネシアと日本を結ぶような三角形の区域に、このプレアデスが入植したような地域を未来に作り出すという夢を見た。
ある人が、わたしの見た未来のプレアデスの三角形区域のことについて、「それは、麹の酒を造った地域にあてはまっているのではないか」とメールしてきた。
そもそもわたしはプレアデスは、地球に人類の集まる社会を作り出した元凶だと思っていた。農耕を始めて、穀物や炭水化物を増やす、すると人口が増え、定住し、都市を作り、休みなく働き、稼ぐ人々が生まれる。
なので、プレアデスは糖質の多さをあらわすと考えていたのだが、麹の酒の領域はわりとそれにマッチしている。
ずっと前には、ニューヨーク、特にマンハッタンはオリオン座をそのままコピーしたようなものではないかという夢を見たのだが、昔から「星座をそのまま地上に模写する」という習慣はあり、有名なのはエジプトのピラミッドで、ナイル川を天の川に見立て、そのそばのオリオン三つ星にピラミッドをあてはめるというものだった。
ピラミッドには、シリウス、三つ星、トゥバン(りゅう座アルファ星 )などに向けた穴がある。日本の「坂越」の近くの川は、北斗七星の形になるように治水工事がされているが、秦河勝の使途たちの手によるものだ。
話が脱線したが、夢はこのように連続的に話が続くことが多く、夢の内容を起点にしてyoutube動画を続けると、話題切れを起こしにくい。
そもそもわたしがyoutubeに目をつけたのは、作った公開動画は誰をターゲットにしているかわからないという点だ。
誰でも働きかけをするときには、ターゲットのイメージがある。でも長い間、本を書き続けて、だんだんターゲットのイメージがわからなくなったのが最近のことで、苦肉の策として、しばらくは対話形式の本を書いていた。
つまり、ターゲットを自分で作り出し、そこで話題を回していくというものだ。
いままで講座なども、特定の人々が集まり、そこで話をしていたのだが、どうしても同じ人々が集まる傾向が生まれる。
わたしは同じ人々が繰り返しやってくるのがあまり好きではない。同じ人々が場を作り、そこにお出かけすると、自分が身柄拘束された気分になってしまうので、なんとかこのチームを解体しようと思ったりすることが多くなる。
で、youtubeのように、誰に話しかけているのかわからない、という体制だとかなり気楽な気分になれる。知識の源は、どこからやってきたかわからないような夢。そして発信した先も、漠然としてよくわからないyoutube。
入り口も出口も限定性が少ないのは、もしかしたら活動としては理想的なのではないかと思う。
夢の話に戻すと、情報源を夢にすると題材は無尽蔵になってくるのは当たり前だ。
睡眠に入ると、人間の意識は身体から外に出ていく。睡眠中は身体を動かさないので、常に活動しないことには存在できない意識は、身体から外に出て、身体の外に広がっているエーテル体に乗る。
エーテル体はいくらでも拡大できるので、銀河の果てまで行くこともできる。エーテル体に乗ったアストラル体は、身体から遠く離れて宇宙的な体験をするのだが、この大きな特徴というのは、地球の大地に縛られていないということだ。
「人間は六方向の圧力均衡の中で静止している」とシュタイナーは言うが、それは真実ではない。人間は地球の大地に押し付けられ、そこから自由ではないので、六方向圧力を象徴する立方体の中心に居座るわけにはいかず、均衡を取るとしても、四方向均衡しかできていない。
これは、正しい判断ができない状況にあるということで、知性活動は地上的なものに縛られ、完全均衡としての立方体の中空にいる時に得られる知識、推理、情報、あるいは感情などに遠く及ばない。
偏見と錯誤の中に埋もれて生きているのだ。
しかしながら夢では、意識は大地に押し付けられておらず、中空に浮かんでいくので、夢の中では客観的な知識を得ることができるのだ。
知識という点では、わたしは地上的に生きている人の知性は「迷いの知性」と言っている。誰かと話したり、本を読んだり、いろいろ調べても、常に「比較の知性」、あるいは「二極化の知性」から抜けられず、何も真実はわからない。
真実の知識を得るには、身体から遊離して、立方体の中心に居座るしかない。
で、身体から離れると、そもそも人間は個体とか個人とか人格などから離れていく。個人とか人格は大地に押し付けられ、物質的存在になったときにのみ成立できる。
ので、夢では肉体に閉じ込められているときだけ有効な「個人同士の違い」というのが消えてしまい、個人を超越した普遍的なエーテル体体験として、共有される内容が増えてくる。
なので、わたしがyoutube動画をアップロードすると、何人かの人が、「同じ夢を見ました」とか、「シンクロしました」とか、「自分の疑問点が(わたしの)動画を見ることで解決しました」という発言が増えてくる。
たとえばわたしは魚の群れを見たとき、魚の一匹ずつを本体だと思っておらず、魚の群れ全体をひとつの生命体とみなすことが多い。
魚の一匹はその細胞のようなものだ。魚の一匹を本体だと思うのは、人間が個体の自分を自分とみなしているからで、それがすべてに当てはめられるので、魚の群れを見ると一匹の魚を本体だと考えてしまう。
身体から離れた夢体験では、人間個体の知覚でなく、魚の群れと同じような集合体体験になり、ここでは知識や情報は共有される。
そもそも客観的な知識は個人が所有できず、多くの人と共有されたものになるのは当然で、目覚めて肉体の中にあるときには、常に断片的でいびつな情報しか手に入らない。
もちろん夢の場合、身体から離れた地球人同士の意志疎通だけでなく、そこに宇宙知性が加わって来たりするし、金星人とか、月の軌道上にある巨大なステーションに住む人々、シャンバラの人々などが混じりこんでくる。
ただ、すべての人と共有されるのでなく、恒星クラスターとかでマックスの集団性となり、共通の性質を持つ人々がダイレクトに意志疎通するようになってくる。
恒星クラスターと言っても、ひとつの恒星と言うよりも、複数の恒星がマトリクスになったものもある。共通の人には共通の匂いがあり、わたしはそれをアルシオン臭いとか、オリオン臭いとか、アルクトゥルス臭いと言ったりする。
たとえばアルシオンは、りゅう座やアルクトゥルスと結びついているルートも太く、このようなクラスターの中では似たような精神を持つことが多い。
人間型のように個体として存在する生命、宇宙人などは、惑星に住んでいる。
たとえば、プレアデスのタイゲテの惑星から来たと言われるセムジャーゼも惑星に住んでいる存在だ。
ただし、あのようなヨーロッパの女性の姿をしているわけではなく、セムジャーゼ自身が、地球人にショックを与えないためにこんな姿を「偽装」していると述べている。
セムジャーゼは、地球人は宇宙を認識するには性格が弱すぎると言っているが、たぶんセムジャーゼの実際の姿を見せるだけでも、ショックを受けて精神がおかしくなるのではないか。
タイゲテの惑星は地球と似て、牛や馬もいて、牧場もあるし、ここの人々はかなり頻繁に地球に行き来しているらしい。
しかし恒星には、人型とか生命型の個体は存在しえない。そこにいるのは、ロゴスを体現化した図形のような存在、あるいは光の固まりだ。
わたしがスピカに行った時、「地球に戻る時に自分を連れて行け」と言ったスピカ人がいて、わたしはその存在を背中に乗せて地球に戻ったが、その存在の形をどうしても思い浮かべることができず、気配、匂い、概念的なイメージしか描けない。
また、わたしの背中に手を乗せていた感触はくっきりと残っており、その軽さの感触はいまでも忘れることができない。にもかかわらず、形がわからない。
オリオン方向から来た、わたしが「埴輪宇宙人」と呼ぶ存在は、わたしと似た身長だったので、オリオン方向のどこかの惑星に住んでいるはずだ。
で、先ほど書いた魚の群れのような集合体は、惑星に住む生命体と、恒星の光の固まりの存在性の中間にあるようなもので、グルジエフ式に言えば「全惑星意識の存在」と考えるといいのではないか。
惑星をたくさん集めたものが全惑星意識だが、正確には、惑星の集合の隙間が本体だ。惑星がスープの具。全惑星意識がスープにあたる。
魚の群れを見る時にも、魚の一匹に目を向けず、魚と魚の間の空間を見る。
この集合体生命は、もちろん惑星に住んでおらず、惑星と惑星の隙間の空白の空間にいる。太陽グリッドを「インドラネット」と言うが、この網目の上に住居があり、グリッドを移動している。
象徴的には、「樹の上に住む存在」と考えるといいかもしれない。
地球人は大地に家を建てて住むので、この全惑星意識の人の存在性を理解しにくいし、まず視覚的に見ることができない。
眠りに落ちて人が身体から抜け出すと、エーテル体グリッドの上を移動するアストラル体になるが、ここではこの集合体、全惑星意識の存在たちにもっとも接触しやすい。
個体とか人格から抜け出すので、そこに、だれだれさん、あの人、あの存在という区別がしにくい。
そもそも存在に名前をつける習慣は地球にしかないので、名前をつけることも不可能だ。
わたしは夢でいろんな存在と話をするが、その時、ともかく区別がつきにくい。金星から来た人とか、シャンバラの人とか無理に言っているが、彼らは混じったりする。集合の形を変えたり、ヴェシカ・パイシスのように集合Aと集合Bが混じって、中間の集合Cになったりする。
で、この所在不明の存在がいきなり何か説明したりするし、この説明をしているのは誰か、と聞くこともない。
前回、ノストラダムスと会ったと書いたが、正確には、蛸の足のような一部がかつてノストラダムスだったことのある実体であり、個体ノストラダムスそのものではない。
そしてわたしから見ると、ノストラダムスが重要なのでなく、大切なのは本体だ。というのも、意図の出どころはそこだからだ。
もちろんノストラダムスはそのことを知り抜いていて、死んだ直後に応身である「全惑星意識的本体」に戻った。
全惑星意識の中で不活性の黒ずみができると、それが惑星になる。同じように、全惑星意識としての実体の一部が地球に降りて個体になったりする。
でも、こうした個体よりも、やはりわたしから見ると、この「全惑星意識的集合体」こそが生命の実体であり、毎日夢の中で会話したり、何か言ってくるのは彼らだ。
いつも、夢の中で誰かが何か言った時に「いったい誰が言ったんだ?」と気にならないこともないが、大体それを追及はしない。
すでに説明した夢の話に戻ると、木星は爆発するように拡大し、仕切りで分けられた30個くらいのコスモスに広がった。
その内容に関係したものとして、わたしの「太陽中心のヘリオセントリック・ホロスコープ」では、木星の近くにアルシオンがあり、アルシオンはプレアデス星団のひとつで、この星団は肉眼では7つくらいしか見えないが、ガリレオは望遠鏡で35個発見したと言われている。
この場合、木星とプレアデスを関連づけるには、わたしのヘリオセントリックの図で、木星がアルシオンに重なっているという条件が必要で、そうでないと、木星の爆発的広がりがプレアデス散開星団に結びつかない。
しかも爆発というキーワードは、アルシオンの近くに、アルゴルがあるということも関係する。アルゴルはクンダリニとか、リリスに関係すると言われている恒星だ。
このヘリオセントリックのホロスコープは、特定の時期、特定の地域に限定した肉化存在でないと作られないので、「全惑星意識から、地球上のどこかに存在する個体に降りていく」という通路を通じて成立する話だ。
でも、わたしも個体を持たないことには、そもそも地球を認識できない。
ついでに言うと、ロバート・モンローは、体外離脱で故郷のプレアデスに100回近く行ったと書いている。
この時に、自分の居場所が空白になったハチの巣のような光景を見ているのだが、わたしはこのイメージも利用して、仕切りがあるチョコレート箱の光景になったのだ。
この夢は、「今後、プレアデス星団のひとつひとつに行ってみてほしい」と要求しているわけだが、たぶんわたしはひとつかふたつしか行かない。
話が行ったり来たりしてわかりにくいが、宇宙人に人型のノルディック型がいるという話は、なかなか理解しがたいものがある。
プレアデスの宇宙人セムジャーゼが30代地球人女性に似ているから、そのような話が出てきたのかもしれないが、そもそもそれは偽装だと本人が言っているし、地球に住む人々は、この人の形が自然的に出来上がったものだと思い込んでいるが、これは意図的にデザインされたもので、必ずしも理想的な形とは言えない。
人は神の姿に似せて作られたという話はでたらめだ。
この人型は、アトランティス崩壊後のエドガー・ケイシーが言うところの「犠牲の神殿」でデザインされたもので、これからも形を改造されて、もっと優れてスマートなものに変わると思われる。
たとえば動物に比較して未発達の嗅覚は衰えて、エーテル的な気配を感じる嗅覚に集約され、結果として鼻がなくなり、松果腺から延長された穴が、丸く平坦な顔にへこみを作る。
また、身体も左右均等でない平たい体形に変わると言われている。
今の人の形は必ずしも合理的でも美的でもないので、この形と同じ宇宙人がいるとは信じられない。
洋服のデザイナーは休みなくさまざまな洋服の形を考えているが、これは身体をデザインできないので、うわべだけで工夫しているわけで、犠牲の神殿では人の形そのものをデザインした。
物質を想念で加工できるようになるのならば、手は必要がないし、実際に宇宙人で手が退化したか、腕ごと存在しないスタイルは多数ある。むしろ、そのほうがノーマル。
大地に押し付けられないのならば、大地と人体の間の緩衝材としての足も必要がない。物理的なサウンドを聞く必要がないなら、耳も不要だ。
わたしは習慣上、宇宙人の形を見ると、その形から特徴を読む癖がついている。これもいらない、これもいらないと省略を続けると、円錐型とか球体の生命の形、筒などになる。わたしが一番よく見ている形はこれだ。
移動する人々は筒型になりやすい。手足は必要がないので、これを手足がついた龍と勘違いしないでほしい。
全惑星意識存在からすると、個体の形は、自分を部分化した時に仮にとる姿なので、長期そこに宿るわけでもなく、形のことはそう気にならないのかもしれないが、ただ自分の身体の中にある細胞の単位の形は工夫しようとするだろう。
それによって知性、感情などの癖が変わってくるからだ。
プレアデスは、地球でさまざまな形の人体を作り出す実験を繰り返し、それがある程度うまくいった人々がインド、インドネシア、日本の三角形に分布するのではないかと思う。
リサ・ロイヤルは、最大規模のプレアデスの基地が広島の南の海の中にあったと言うが、これが撤去されたわけでもなく、三角形地帯を仕切っているのではあるまいか。かつてはそれを、ニライカナイと呼んだ。
と言っても、未来の一部の人々はこの三角形地域に長く住むのではなく、避暑地のような形で活用し、同時にほかの地域にも住むというようなスタイルをとるのではあるまいか。
30個くらいのバラエティあるチョコレートの入った箱は、まるでディズニーランドみたいなものかなとも思う。
このバラエティを否定して、全部同じ色にしようとする中国はいずれ影響力が衰退するのではないか。
中国はいつでも自然消滅を繰り返すので、今回も同じような状況になるのでは。増長して、そして限度を超えた時に内部崩壊する。香港の事態を見ていると、その予兆はあると思う。
恒星意識は全惑星意識には降りることができるが、惑星に住む生き物には降りにくい。
風通しのいい情報流通を考えると、全惑星意識を重心にする生き物になるのが一番いい。
肉体を持つと、恒星との関係が断絶しやすいので、定期的に全惑星意識に戻らなくてはならない。半々で行ったり来たりがいい。
死ぬまでに、毎日夢の中で彼らと交流し、死ぬ時に、そのまま全惑星意識存在にシフトするのが、人間が努力するべき方向としてベストではあるまいか。
もし死ぬ前に、隣の地球に連れて行ってもらうのならば、あるいはシャンバラに連れていってもらう場合も、それに必要なことはすべて全惑星意識存在との交流で得ることができる。
地球上のどこの本を探しても、手がかりは皆無に等しいので、知識はダイレクトに手に入れるほか手だてはない。
松村潔
まつむらきよし/1953年生まれ。占星術、タロットカード、十牛図、エニアグラム、ライフシンボルなど、 いくつかの手法を活用して講座・研究会などを開催。アカシックリーディング等でも、タロットカードや占星術を併用すると安定性が高いという考えから、ツールの複合性を提案している。『わたしの運命がわかる地球星座占い』(角川書店)、『ディグリー占星術』『三次元占星術』(以上、説話社)、『土星占星術講座』(技術評論社)など著書多数。
http://www.tora.ne.jp/
『夢を使って宇宙に飛び出そう』
存在の4つのフェイズを縦横無尽に探究する
松村潔著/ナチュラルスピリット
『分身トゥルパをつくって次元を超える』
秘教の体系と神秘体験から見出した不死の身体とは
松村潔著/ナチュラルスピリット

