聖者マハヴァター・ババジとのエピソード
パラマハンサ・ヴィシュワナンダ
そのことをお話しする前に、これからマントラをお伝えしたいのですが。そのマントラの意味は「全ての知識はマスターからやって来る」というものです。
(パラマハンサ・ヴィシュワナンダが、15秒ほどマントラを口ずさみながら歌う)
このマントラは、「私たちはこの現実の中で、無知で生きている。無知を取り除いてくれるのはマスターしかいない」という意味です。
一般的には、「教師」や「マスター」という言い方をしますが、この2つには大きな違いがあります。皆さんは混同して、同じもののように捉えています。
教師というのは、教える人。何らかの知識を教える人です。マスターというのは、あなたに本当の宇宙の知恵を与える人で、それも一瞬にして与えます。教師はあなたを変容させることはできませんが、マスターはあなたを変容させることができます。
人生には様々なマスターがいます。私自身もたくさんのマスターに会って来ました。それぞれのマスターがそれぞれの系統のマスターから学んだことを私に教えてくれました。
私自身のマスターは、こちらの写真のマハヴァター・ババジです。
先ほどランチをご一緒した時に、一照さんに「このような深い知識を、一体どこで得られたんですか?」と質問され、私はこう答えました。「実際、私はどこからも学んでいません。ただ、それが目覚めただけです」。
私が5歳の時、マスターが私の前に現れました。先ほど、禅の言葉で、準備ができた時に師が現れるとおっしゃいましたが、全くそれと同じで、準備ができた時にマスターはやって来ます。
あなたがどこにいようと、マスターはあなたの近くにいます。あなたが心の中で、強い願いを持った時、本当に道を探し求める気持ちになった時に現れます。
例えば、「お金持ちになって、必要なものを全部得て、満足した」と思った後で、「ああ、全然これでは幸せではない、もっと何かがあるはずだ」そう思って探し始めた時、マスターは現れます。
ただし、私の場合は特別でした。5歳の時、マハヴァター・ババジに会った時の話をします。
その時、私は毒のある果実を食べて気絶し、口から泡を吹いていました。父はすぐに病院に連れて行き、私が病院のベッドで寝ていると、窓の外に男性が立っているのが見えました。その男性は、子どもたちに甘いお菓子を与えていて、興味を抱いた私は近づいて行き、「なぜ、あなたはこんなことをしているの?」と聞いたのです。
男性は「子どもたちには、こうしてあげているんだ。君にもあげよう」と、私の手にキャンディ一つと、1ルピーをくれました。
私の育ったモーリシャスでは、1ルピーはいろんなものが買える大金です。それがとてもうれしくて、幸せな気持ちでした。
その人はいきなり私の目を見て、「Who are you?(あなたは誰ですか?)」と尋ねました。これは、5歳の子どもに聞くような質問でしょうか? 私は何も答えることができませんでした。
その男性は自分自身の後ろの方を指差し、「あの光が見えるかい?」と言いました。指差している方向には、丘と太陽がありましたが、光と言ってもどのような光を意味しているのか、理解できませんでした。
それで、「見えません」と答えたら、その男性、今思えばマハヴァター・ババジはしゃがみこみ、私の目を見つめながら「もっとよく見なさい」と言ったのです。
2回目に見た時、私は全ての光が満ちているビジョンを見ました。それは、太陽に何重にも光輪が取り巻いているような、ものすごい光でした。その光を私に見せた後、「これが君なんだよ」と言われたのです。そのビジョンがどれくらい続いたのかは思い出せませんが、ものすごく素晴らしい体験でした。
そうこうするうちに、母と叔母がやって来ました。男性は私に会釈をすると、あっというまに消えてしまったのです。「今、あの男の人にキャンディと1ルピーをもらったんだよ」と話したら、「あぁ、それはおじさんでしょう」と言われ、取り合ってもらえませんでした。モーリシャスでは、男性は誰でも「どこかのおじさん」なのです。
その後、歯医者に行ったら、同じ男性が現れました。マハヴァター・ババジは、いつも私とともにいました。そして私が14歳の時、彼が何者なのかという本当の姿を、明かしてくれました。
それ以降、私はサティア・サイババなど、様々なアバター(神の化身)、偉大な聖者に会うようになりました。マスターはあなたの人生に必ずいます。あなたが気づいていようといまいと、あなたにはマスターが必ずいます。
マハヴァター・ババジはヒマラヤにいる偉大なヨギであり、5000歳で、今も生きています。彼は、グルの中のグルと呼ばれています。運が良ければ、これからもずっと生き続けるでしょう。
少し、おしゃべりし過ぎました(笑)。
青山
そちらの絵(飾られている写真)というのは?
パラマハンサ・ヴィシュワナンダ
マハヴァター・ババジを描いた絵は、世界中にいくつもありますが、本物はこれです。
この絵には、ちょっとしたストーリーがあります。ある時、私はババジに呼ばれて、ヒマラヤに出向きました。
そこには彼の弟子がいて、300歳くらいのヨギでした。マハヴァター・ババジの弟子の中では、若い方です。その方がこの絵を持っていて、見たとたん「絶対欲しい」と思いました。
ただし、マハヴァター・ババジからは、「絶対、これを印刷してはいけない。複製してもいけない」と言われたのです。彼は厳しい方です。私は懇願しましたが、「ダメだ」と言われて、受け取ることができませんでした。それで、あきらめてドイツ(バクティ・マルガの本部)に戻ったのです。
それから数日後、あるコンピューターの中にこの画像が現れました。どこからやって来たのか全くわからず、モニター画面に突然、現れたのです。でも、私はどこから来たのかがはっきりわかっていたし、この画像を複製してはいけないとは言われてなかったので(笑)、それからはこのように使わせてもらっています。
先ほどの、青山さんの質問に答えると、学校の勉強という意味では、私はマハヴァター・ババジの弟子として、これからも勉強はずっと続けますし、それが自分のダルマ(サンスクリット語で義務、生きるべき道)と思っています。
私自身は16歳の時に、学校で勉強するのはやめて、「学ぶのであれば個人的に学ぼう」と決めたのです。
──ありがとうございます。青山さん、よろしかったでしょうか?
青山
マハヴァター・ババジは、スワミにいろんなことを具体的にお教えになりましたか?
パラマハンサ・ヴィシュワナンダ
決して教えてくれたことはありません。マスターからどのように学ぶかと言えば、マスターの前にただ座って沈黙しているだけで、一切言葉を使わず、テレパシーで全てのものを受け取ります。
つまり、マスターという存在に触れるだけで十分であり、それが恩寵と呼ばれるものです。あなたに準備ができた時、あなたがそれを扱えるように成長した時、その恩寵はやって来ます。あなたが扱えない状態の時には、与えられません。
私が創立したバクティ・マルガでは、「アートマ・クリヤ・ヨーガ」を教えています。
2001年、マハヴァター・ババジは、私に「人々に、クリヤを教えてください」と言ったのですが、「NO」と断りました。その時は、それを学ぶ準備ができている人がいないと感じ、やりたいという気持ちも生じなかったので断りました。
その後、2003年に彼から再び「人々に対し、クリヤをやってください」と言われた時、私はその時の人類の意識の状態を感じました。人々は、あれもこれも興味がありそうだったので、「人々は、自分の興味のあることをすれば良いので、クリヤは必要ないと思う」と、この時も断りました。
2005年、再び同じことを言われた時、「YES」と答えました。人々の準備ができたと思ったからです。
このアートマ・クリヤ・ヨーガがどのようなものであるかを、どうやって私が知ったかと言えば、その内容が私の中に〝自動的にダウンロード〟され、ファイルが自動的に入ってきたのです。それで、人々に教え始めました。
藤田
ババジは、スワミを選んだと理解してよいのでしょうか?
パラマハンサ・ヴィシュワナンダ
そういう言い方もできます。マハヴァター・ババジは、可能性が開いている人のもとに、恩寵という形で訪れます。
ここにいる人たちの人生にも起こり得るのかと言えば、準備ができているかどうかによります。その準備とは「サーダナ」、つまり、スピリチュアルな修行が必要であることが、まず一つ。
それから、それを心の底から求める強い気持ちがなければなりません。ただし、強い気持ちというのは、一切の期待を持たないこと。これは大変難しいことです。心の底から乞い願うけれど、一切期待しないのですから。
マハヴァター・ババジが言っているのは、「心の底から3回、気持ちを込めてその名前を呼んだら、その人のもとに必ずやって来る」ということです。
アートマ・クリヤ・ヨーガを行う時も、3回、マハヴァター・ババジの名を呼べば、必ず来てくれます。夜、寝る時も、ちゃんと来てくれています。それに気がつかないのは、あなたの方なのです。マスターとの様々な体験の中には、夢も含まれます。夢というのは現実と同じで、マスターはあなたの夢を通して語りかけることがあります。
※お話は次回3回目へと続きます。お楽しみに!
『JUST LOVE ただ愛のみ』
シュリ・スワミ・ヴィシュワナンダ著/山下豊子訳/ナチュラルスピリット