最近まとめようと思っているテーマは、サビアンシンボルをアカシックレコードのデータとして活用しようというものだ。サビアンシンボルとは、占星術の12サインの一度ずつに「詩文」がついているもので、ひとつのサインには30個のシンボルがあるということになる。

わたしはだいたい30年くらいにわたって、このサビアンシンボルの本を書いていたので、複数のサビアン本があり、しかも年数によって少しずつ解釈が変わっていった。
ディーン・ルディアは、このサビアンシンボルの内容の不均等性、不規則性を考えて、サビアンシンボルにはアカシックレコードが断片的に入っているのではないかということを主張していた。

90年くらいの本では、わたしはその説を否定したが、最近はその考えは正しいのかもしれないと思うようになった。
ただしサビアンシンボルは、そのままではアカシックレコードにはならない。それと、断片的にアカシックレコードが反映されているのでなく、すべてがアカシックレコードの反映だ。そもそもが、12サインというものがアカシックレコードの基盤を表している。

アカシックレコードという言葉は、宇宙の図書館のような意味で、そこにあるデータはいつまでも失われることがなく、宇宙の始まりからすべて記録されているという話だ。
この言葉を使ったはじまりはブラバツキーか、あるいはシュタイナーなので、神智学用語ということになる。アカーシャのエーテルは、第五元素のことを示しており、この第五元素を分解すると、四大元素が作られる。
この定義はアリストテレスが説明しており、月の上に第五、月の下に四元素があると言う。

時間と空間は、第五元素が四元素に分解した時、作られる。第五元素では、まだこの時間と空間が作られておらず、普遍性、永遠性の中にあるので、そこに書かれたものは風化せず、失われることがないという理屈になる。
人間は時間の中に生きているので、過去があり、これから未来を作っていくと考える。
だが、時間のない世界では、過去から未来すべてがすでに最初から存在し、特定の時間の中に生きる人間は、この中を歩いているので、これから未知の未来がやってくるように思う。

つまり視野が狭いために、自分の置かれた地図の全体が見えてこないのだ。断片化され、自分の位置情報を俯瞰できないところにいるから、自分の先行きがまったくわからないどころか、全体の中の位置づけによって決定される目的、意図も不明なまま生きる。
目的や意図というものは、単独で自発的に発生するものではない。位置が分かれば目的もわかるというものなのだ。「ここは新宿区」というのも、他の区に取り囲まれてこそ、新宿区という定義がある。

サビアンシンボルは、エリス・フィーラーという詩人が作ったもので、このシンボルにはエリス・フィーラーの人生の中で形成された記憶、好み、知識、時代性、偏見などが盛り込まれており、このままではサビアンシンボルを、アカシック領域のデータとしては活用できない。
いわば、エリスの手垢のついた文章なのだ。

シュタイナーは、象徴と事物を切り離すということを主張していたが、それでいえば、サビアンシンボルから時代性が高い事物性、具象性を切り離し、純粋な象徴性のみを抽出すれば、それは正しくアカシックレコードの内容になる。

問題は空海も言うように、感覚は真実ではないが、真実にたどり着くには感覚を使うしかない、という事実があるからだ。
言い換えると、永遠性の中にある第五元素の内容を、人間の脳は直接認識できない。それは、下にぶら下がる四元素のどれかと結合しなくては理解できないということなのだ。
そして、四元素は時間と空間の栄枯盛衰の中にあり、常にローカルで、時代性を持つものなのだ。

たとえば、しし座の3度に「髪型をボブにした女」というシンボルがある。エリスの活躍していた時代、1925年ころには、ボブの髪型は最先端とか、奇をてらったもの、まわりから浮いた存在というふうに映ったのではないか。

わたしはサビアンシンボルについて正しく活用するには、“度数の数字の意味を骨子として考えること”を薦めていた。
3の数字はそのサインの純粋な活動原理を示し、生物学的年齢を無視して生命力を主張する性質だ。
これは火の元素であるしし座が、肉体を示す土の元素に反発した姿だ。なのでルディアはこのシンボルを、ヌーディストというような表現に置き換えたが、実際には、ボブの髪型もヌーディストもいらない。

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