わたしはこれまで長く解説・説明の本を書いてきたが、象徴を解説する時に、たとえばひとつの象徴は100の事物性に落とし込むことができると考えた時、この100について全部説明することはない。
占星術はきわめて象徴的な体系で、惑星もまたサインにしても、それは具体的な何かを示すことがなく象徴的なことしか表現しない。
たとえば「金星は具体的にはこんなことに対応します」と説明を始めると、金星の意味は100では足りない。だから、占星術のホロスコープで未来のことを予知しようとすると、はずれるのが当たり前だ。
たいていの読み手は自分が記憶している100のうち、ひとつかふたつとか3つに当てはめるので、実際には100のうち違う結果になることも多い。
なのでホロスコープを読む正しい姿勢とは、「具体的な説明に落とし込まないままに象徴的に語る」というのが正しい。100に分解する前の言葉で説明するのだ。
「イエスは13歳前後に女性教師に連れられてアレキサンドリア図書館に留学した」とエドガー・ケイシーは説明している。この留学は、もっぱら占星術を学習するためのものだと言う。
この場合、わたしが思うに、この象徴的なものを象徴的なものと組み合わせて考え、決して具体的な説明には落とさないというような使い方を学習していたのだと思われる。イエスの語った言葉を記録した聖書を読むと、そうした用法が目立つからだ。
占星術はギリシャ以後、個人のことを考えるツールになった。つまり、具体的な説明に落とし込まなくてはならないという方向性を打ち出した。個人の人生は何もかもが具体的で、事物的なのだから。
個人とは事物という意味なのだ。占星術は個人の欲望を満たすために使うメソッドになった。しかしここで具体的な落とし込みがないと、誰のメリットにも貢献しない体系に戻り、それは本来の占星術の姿に戻ることになるだろう。
わたしは占星術に関しての本をたくさん書き、たぶん日本の中ではもっとも本を多く出した人だと思うが、占星術の示す象徴的なものを具体的な言葉では説明しきれないというのは、いつも気にかかっていた。
たとえば月の遠地点である「リリス」について、あるいはまた「ヘカテ」について説明しようとした時、これらを具体的に解説した直後に、それは嘘の説明になってしまうのだ。