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占い師・田中要一郎の占術談義/4回目〈占星術家&タロット鑑定師〉いけだ笑み: ホロスコープでリリスの位置を調べれば、自分の中の「社会不適合になりやすい部分」が判明します

17世紀のイギリスの大占星術師による名著『クリスチャン・アストロロジー』(ウィリアム・リリー著、太玄社)の翻訳を手がけ、ご自身も占い師と風水師としての顔を持つ田中要一郎さん(写真右)。
そんな田中さんが、占い界の重鎮クラスのゲストを招いてスペシャルトークするのが、この企画。
4回目のゲストは、占星術家であり、占い師の育成や研究会の主宰や執筆など多岐にわたる活動をされている、いけだ笑みさん。シンボルを読み解くことが得意で、星占いが好きすぎるという、いけださんの熱い想いが全開の、なごやかな対談となりました。
2人の占術の専門家による、ディープな世界をお届けしましょう。

長年の情報収集で増え続けた占星術の蔵書

田中 いけださんと知り合ったのは、『クリスチャン・アストロロジー第3書』を出した後でした。
そもそも僕は東洋系の占いを学んでいたので、西洋系の占いの知り合いがいなかったんです。それで、自分を知ってもらおうと、3年ほど前に、いろんな方にお会いしました。
「ホラリー占星術の本を出されたいけださんにも、ごあいさつしたいなぁ」と思って、東京にいらしたときに、知り合いの方に声をかけもらってお会いすることになったんですよね。

いけだ そうでした。

田中 現在は、鑑定よりも講義や執筆が中心ですか?

いけだ 鑑定は、ゆるゆるとやっています。事務所という拠点がないので、メールかスカイプですけど、鑑定はしたいんです。

田中 したいんですね。研究者の方は講義や研究のほうをしたいという方が多いですが。鑑定をしたいのは、新たな発見をしたいからとか? 人と知り合うことでいろんな人生を知りたいとか?

いけだ いやぁ、コミュニケーションが苦手ですし。でも、自分は占い師だから、やりたいんでしょうね(笑)。

田中 生徒さんも、たくさんいらっしゃいますしね。

いけだ そのおかげで、最初から「先生」と言われるぬるま湯でやらせてもらえています。だから逆に、街頭で見知らぬ人と向き合っていらっしゃる人を、尊敬してるんです。

田中 では、自宅にいる時は、ほとんど占いの研究の方をされているんですか?

いけだ 研究というほどには・・・。研究されている方って、ラテン語や中国語などの原書にも目を通されていますよね? 私、そこまではできないんですよ。アラビア語もラテン語もダメで、英語もブロークンなんです。

私は帰国子女だから、英語を読めなくはないですけど、結局、日常会話の延長レベルです。なので、学術文献の研究みたいなのではなく、自分がその時に直面していることを追求します。例えば、恋愛や人間関係で「好きな人の『月』が10ハウスにある。では、『10ハウスの月』ってどんな意味あるの?」となって、松村潔さんや鏡リュウジさんの本を読むことになります。
それをすると、もっと知りたくなるんです(笑)。基本的に情報がいっぱい欲しいタイプなので、Amazonで買えるような洋書を買い、「月が10ハウスにある場合」の解説部分から読み始めます。そこだけ読んで終わり、というパターンです。

田中 ははは。

いけだ その時に気になっていたこと、例えば「リリス」の情報なら、そればかり読んでいるから、「その本、持っているでしょう?」と突っ込まれると、「いや、数行しか読んでないです」って言うしかなくて(笑)。
そういう本が山積みで、本棚には洋書がバーっと並んでいるから、本棚を見た人は「うわぁ!」と驚きます。

田中 そうですか(笑)。でも、いけださんは帰国子女ですよね?

いけだ その経験があるから洋書を読んでいるだけのことで、誤解されて、占星術を研究してると思われがちなんです。本当はそんなことないのに。

アメリカと日本の行き来で培ったシンボリズムへの感性

田中 生まれはどちらですか? 何歳の時に海外へ?

いけだ 生まれたのは大阪の松原市です。父の仕事の関係で、7歳でアメリカの東海岸で暮らすことになりました。父の任期が終わったので、1年半ほどで帰国しましたが、小学1年生の期間が抜け落ちていたので日本語が書けなくて。
向こうでもそうでしたが、“ついて行かれへんのが当たり前”という中でやっていたんですね。父は言語学者だったので、実験的な意味もあり、私も姉も向こうでは日本人学校ではなく、現地の公立学校に入れられたんですよ。
学校での私は、「声を聞いたことがない、しゃべれない子」とみんなから思われていました。急に英語がしゃべれるようになったのは、日本に帰国するちょっと前です。

田中 英語を吸収したんですか?

いけだ なんとなく。最初に覚えた言葉は「ブランコに乗る」というセリフですけど。
ある日、公園に座ってたら「ワニゲラスィング」とずっと言われたんです。「ワニゲラスイ、って何?」って思って父に聞いたら、「Do you want to get on the swing=ブランコに乗りたいですか?」と教えてくれました。東海岸の英語は、youが聞き取れないんです。

田中 アメリカ英語は、音が変わりますよね。

いけだ あの時、相手は私の意志を確認したかったんですね。「ワニゲラ」が私の英語の始まりでした(笑)。
これが、「象徴言語」というシンボリズムの世界につながっているんです。父が言語学者だけあって、私としては「シンボリズムから情報を引き出すことに関しては、任せておけ」です。わからないものを“雰囲気でわかっていく”というのは、向こうに行った時も、帰国してからもそうでした。
高校は1年だけ日本に通って、そのあとアメリカに行って、いったん帰国して、また向こうの大学に行って、みたいな繰り返しでしたから。

タロットカードの景品が占いの世界へと導いた

田中 占いの世界に入ったきっかけは?

いけだ 西洋占星術です。子供の頃からシンボルやサインが好きでしたが、本格的な「ハウス」や「アスペクト」を学んだのは、子供を2人産んだ97年くらいです。

田中 向こうの大学から戻ってきて、何もしなかった時期もあったんですか?

いけだ 大学はついていけなかったから、遊んで日本に帰ってきて、23歳で結婚して。バイトくらいはしたけど、就職はしたことなくて。

田中 タロットはいつくらいから?

いけだ 小学生の頃から。私、バックギャモンのゲームがすごく好きで、小学生の時に大会に出まくって、景品をもらうのが趣味だったんです。大体の場合、景品はジグゾーパズルやルービックキューブ、UNOなんですけど。
主催してたキディランドが輸入してたおもちゃを、もらいつくしてあきてきた頃に、ライダー版のタロットをもらいました。普通のカードゲームの感覚で持ち帰って、箱を開けたら小さな小冊子が入っていて。

田中 英語の小冊子ですよね。

いけだ そう。それを見て「占いやんか〜!これで未来がわかるねんや!」と、めっちゃトキメキました。
「骸骨だったらどうしよう」って、ビビりながらカードをめくってたあの時期が、人生で一番当たりまくってましたね(笑)。ビギナーズラックというか。

田中 占い師って多くの方がそうですよね、あの現象、なんなんでしょうね? 初めてやる時、めちゃくちゃ当たるじゃないですか。占いの道に引っ張り込むような感じで(笑)。

いけだ 小冊子を読みながらいろんなことを占ってましたが、ドンピシャでものすごく具体的なことを的中させました。
だから余計にのめり込み、今度は、当時タロット占いで有名だった木星王先生の御著書を買ってきて、愛用してました。

田中 本格的な趣味になっていったんですね。

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