重度の脳障害により、肢体が不自由になりながらも、リハビリによって意思疎通が可能になり、その突出した表現力で「奇跡の詩人」と呼ばれた、日木流奈さん。
前回に続き、今回も叡智とユーモアたっぷりの流奈さんのメッセージをお届けしましょう。一問一答的なたくさんの質問に対し、果たして、流奈さんの名回答ぶりは・・・。
流奈さんからのメッセージ
── この現実世界を超えた何か大きなもの、大きな存在はあると思いますか?
あると思っています。感じてもいます。
誰でも感じていますよね?
── 瞑想のような、意識を拡大させる時間はとっていらっしゃいますか?
普段は人の話を聞く一方の生活をしているので、
そういうときにしていると言えば、しているのかな。
でも、意識してやっているわけではありません。
意識的に取り組んでいる行者のような人たちとは
違う感覚なので、むしろ、
何もしていないと思ってください。
── 人間にとって一番大切なものは何でしょう?
一番かどうかはわかりませんが、息をすることです。
私は呼吸が浅いので、
てんかんの発作をよく起こします。
ですから、息をすることがとても大切だと知っています。
呼吸が浅いと、心も苦しくなりますからね。
息をすることは、生きることにつながります。
少しスピリチュアルな話になりましたね。
── 今年の目標はありますか?
今年といわず、
“いかに父をだまして遊びに行くか”ですね。
── 日々、心がけている大切なことは?
楽しむこと。
── 今、関心のあること、ハマっていらっしゃることは?
変わらず、「温泉」です。
── 好きな言葉はありますか?
昔は「ゆかいは宇宙を救う」と言っていましたが、
今は「温泉」です。
── 自分をどういう人間だと思いますか?
「人が好きな人間」です。
本当は「女性が好き」と言いたいところですが、
誤解されると困りますからね。
── 自分を、どんな子どもだったと思いますか?
子どもらしい子どもでした。
母からは「チョ〜子ども」と言われていました。
文字盤を「ね・む・く・な・い」とバシバシっと指差したあとに、パタッと寝ることもありました。子どもは眠いとぐずって、よくそういうことをしますよね。まさにそれです。
流奈は早くから知識を言葉に換えて伝える力があったから、「特別な子」とよく勘違いされますが、私は子どもの中の子どもだと思っていました。
流奈はたまたま小さいときに、リハビリの一環として大量の知識を得る機会があったし、学校に行かなかったため、人と比べられることなく育ったので、思いをストレートに伝える力が強くなった気がします。
── 妹さんはどういう存在ですか?
妹が生まれる前から好きな存在です。
妹が生まれてみんなの関心が赤ちゃんに向く中、「流奈くん、寂しくない?」と誰かが聞いたら、「自分が寂しいのは、みんなと一緒にかわいがることができないこと」と言っていました。みんなが妹のそばに寄ってあやしているときに、その仲間に加わって一緒にあやすことができないのが寂しい、という意味です。「自分の子どもを持つことができないから、自分がかわいがることのできる存在が生まれたのは、すごくうれしい」とも言っていましたね。
── ふだん、本はどのくらい読まれていますか?
・・・(流奈さん、急に熟睡中)。
今は、月に数冊程度です。以前より1頁を見ている時間が長くなって、読むスピードが遅くなったみたいです。活字であれば漫画でも何でも読みますが、私たち親に余力がなくて昔ほどは読ませてあげられていないのが現状です。最近は画集を見たり、展覧会に行ったりしています。
── お気に入りの食べ物はありますか?
・・・(熟睡中)。
── 流奈さんは以前、「数学の世界は美しい」と言っていましたが、数学の世界から新しい発見はされましたか?
(数分の眠りから目覚めて)
単純に、数字そのものが楽しいです。
── 眠っているときは夢を見ますか?
夢とは私にとって、
起きている時に実現していくもののことです。
だから私の夢は、眠って見るものの方ではないんです。
でも、寝ているときに見る夢は愉快なものばかりです。
歩ける夢も見ますよ。
しゃべっている夢も見ます。
脳障害を持つ者ゆえの願望でしょうね。
── 最後に、一言いただけますか?
今できることを、
めいっぱいやり尽くすのが、私の生き方です。
遊びもめいっぱいです。
私は聞いてくれる人がいなくてはしゃべれませんから、
今こうして話を聞いてもらえるのは
ありがたいなあと思っています。
大したことはしていませんが、
それが、いろいろなプロセスを経て
意志の疎通をはかれるようになった者の
役目といえば役目かと思います。
親が死んだら
(文字盤を読んでくれる人がいなくなるので)
こうしてコミュニケーションをとることも
難しくなりますが、
そうなっても不幸ではないでしょう。
そのときはそのときで、
別の楽しみを見つけ出します。
みんなも自分のできることを
めいっぱいやって生きるのがいいと思います。
過去の辛かったこととかを思い出すよりも
今、向き合っていることに焦点を当てたら、
人生がもっと楽しくなります。
でも、私と正反対のタイプの夫には、私には絶対言わないような厳しいことを言います。人をよく見ているんですね。へこまないタイプの人は、厳しい言葉でもいい方向に捉えてちゃんと変わっていくので感心します。私と違って夫は謝るのも苦手なタイプでしたが、流奈には、そういう人が謝れるようになることが、どれだけ大変かもちゃんとわかっています。
友人の中にも、謝ることに照れを感じてしまう人がいて、「誰が先に謝れるようになるかな」と楽しんでいます。できないからダメ、というのではなく、どれも人それぞれの段階だからと問題にしません。何かがあって遠回りすることになっても、「それも段階だし、行くところは一緒だから問題ない」と言います。
「自分を愛することが世界を救う」と流奈は断言し、「人のためと思ってやっていると苦しくなるよ。まずは自分を好きになるところから始めないと」と言います。最初はそのスタートとゴールが遠すぎて結びつかなくても、経験を重ねていくうちにだんだんとつながってくるんですよね。流奈の言わんとしていることが見えてきて、その言葉の深みが増してきます。
自分を愛していない人に「今やりたいことは何?」と聞くと、何も口から出てきませんが、流奈にしてもお友だちにしても、「やりたいことを10個あげてみて」と言うと20も30もピックアップします。
自分への愛し方が半端ではないなあと感心します。「自分を愛することが世界を救うと口八丁で言っているのではなく、本気なのね」とよく思います。
(記事を書いた人/佐藤惠美子)
日木流奈
ひきるな/1990年2月11日、横浜市に生まれる。極小未熟児(1480グラム)、先天性腹壁破裂の状態だった。直後の三度の手術のストレスにより脳にたまった水が脳を圧迫し、脳障害となる。新生児けいれん、点頭癲癇の発作が出る。1991年、抗けいれん剤の副作用で白内障となり、両眼の水晶体を摘出。1992年、ドーマン法のプログラムを開始する。1994年、グレン・ドーマン博士の人間能力開発研究所の診察を受ける。1995年、文字盤によるFC(ファシリテイテッド・コミュニケーション)で、他者との意志の疎通が可能となる。1998年、自伝・詩集を手作り本『想ふ月』を自費出版。著書はほかにも『月のメッセージ』(大和出版)など。