重度の脳障害により、肢体が不自由になりながらも、リハビリによって意思疎通が可能になり、その突出した表現力で「奇跡の詩人」と呼ばれた、日木流奈さん。
前回に続き、今回も叡智とユーモアたっぷりの流奈さんのメッセージをお届けしましょう。
流奈さんからのメッセージ
──人は何をしに、この地球に生まれてくるのでしょう?
私が小さいときに母に聞かれて答えたのは、
「楽しむため」です。
妹は、「遊ぶため」と答えていました。
私は楽しいことが好きです。遊ぶことが好きです。
自分一人で動くことはできませんから、
家族や友人に私が楽しめることを提案して、
じっと待ちます。
提案に乗るか乗らないかは、周りの人次第ですが、
そこには“熱き戦い”があります。
「連れて行ってくれないと原稿書かないぞ」とか、
「遊ばないと原稿が書けない」と言って脅すのです。
このあいだも、周りに熱く語って
遊園地行きをゲットしました。
──人はどこから来て、どこに向かうのでしょう?
「生まれて、死ぬ」というのが、この現実の世界です。
死んだあとの話は、
仮に私が知っていたとしても、真実とは限りません。
「死後の世界とは、こういうものかもしれない」
とおぼろげに感じているだけでいい気がします。
死というものに向かって生きるには、
“今生きているこの世界でどうやって生きるか”
を考えていく必要があります。
楽に生きることです。
そのためには、
どう生きればいいかを模索することが大事です。
子どもの頃から刷り込まれたものには、
自分をがんじがらめにするだけの
ナンセンスなものが多いと学び直すことが、
楽に生きるコツかもしれませんね。
それを教えるために、いろいろな人が
ワークショップを開いているのでしょう。
私の周りにも、
ワークショップに参加する人がたくさんいました。
そういう人たちに、
「せっかく私と友だちになったのだから、
その時間とお金を使って一緒に遊ぼうよ」と
提案してみたりもしましたが、
選択するのは本人なので、
「納得するまでやってみれば?」とも伝えました。
ワークショップは、生き方を模索している人が
真剣な思いを抱いて行く場所ですから、
参加するのも悪くない方法だと思います。
ただ、そこに依存してはいけません。
「それがないと不安」となる前に、
卒業しなくてはなりません。
「長く続けてはダメ」と一概に
言っているわけではありませんよ。
瞑想やヨガのように、自分に合っていれば
長く続けても大丈夫なものもあります。
「それがないとダメ」という依存状態が問題なだけです。
ワークショップの主催者も、
参加者が依存しないように配慮してもらいたいですね。
一人ひとりが自分なりの方法を見つけることが、
本当の意味でその人を自立させ、
幸せにすると思いますから。
私から人に説くことはありませんが、
質問があれば、知っていることをお答えします。
それにしたって、
先人たちがすでに言い尽くしたことばかりで、
私は現代に生きる人たちに合った形で
伝えているにすぎません。
言葉は、受け取った人次第であり、
その人とともに自然に育っていくものですから、
私が何かをしているわけではないのです。
だから、私は自分が言ったことも
全部手放してしまいます。
言いっ放しです。
ワークショップで指導する人たちも、
“依存されることに、依存する恐れ”があるので、
参加を考えている人は、
その団体が依存させようとしているかどうかに
アンテナを張っておく必要がありますね。
あとは、いいとこ取りをしてサヨナラしましょう。
参加費は払ったのですから、
義理立てする必要はありません。
私の本音は、友人たちと楽しく遊びたいだけです。
それには、一人ひとりが自分で
幸せを身につけてもらわなくてはなりません。
世界が平和でないと、
私が本当の幸せを手に入れることはできないのです。
そういうしごく単純な理由から、
私はこうしてしゃべっているわけです。
「風が吹けば桶屋がもうかる」の理論ですね。
流奈の本を読んだ人が「ありがとうございました」と言いに来てくださっても、「私の本を手にとったのは、その人が変わろうとしたからであって、変わろうとした時点でその人は自分で自分を救っている。だから私のおかげではない」と、すごくきっぱりしています。
流奈の本を何年も前に読んだときはなんともなかったのに、「カウンセリングを受けて、幼い頃のトラウマを解消したあとに読んだら、涙が出た」と話してくださった方もいました。結局、言葉というのは読む側の気持ちやこれまで学んできた事柄によって受け止め方が変わるので、流奈のほうから「こういう意味だよ」と伝えるほどのものではないと言います。「言いっ放し」という言葉にはそういう意味が含まれていますね。
その一方で、「あの人、私の言葉、聞いちゃったものね」とニヤッと笑ったりします。「聞いた言葉はその人の中に残るので、そのときではなくても、いつか心に響く日がくる。今回はたまたま縁があって自分が伝えたけれど、それが自分である必要はなくて、他の人でもかまわない」と言います。
そのあたりの手放し方が、半端ではありませんね。本人はそれよりも、“ひたすら楽しいことをしたい、遊びたい”というのが生き方として徹底しています。
──心がつらいとき、苦しいときはありますか? どう対処していますか?
一瞬、苦しいときがありますが、長続きしません。
すぐに忘れてしまいます。
息ができなかったら苦しいです。
でも、今は息ができるので楽です。
意地悪を言われたら傷つきます。
でも、今は言われていないからつらくないです。
みんな、自分から苦しい状態を続けています。
今はもうない苦しみを、思い続けるから苦しいのです。
頭が良すぎます。記憶力ありすぎです。
苦しいときのことをそんなに覚えていては、
人生がもったいないです。
「相手にも事情があるから仕方がないんだけど・・・」と夫と流奈に話を聞いてもらったら、流奈が「バカヤロー!でいいんじゃない?」と言うんです。「え? バカヤローって思ってもいいの?」「相手に言う必要はないけど、約束破られたんでしょ?」って。目からウロコでした。私は人付き合いが苦手なうえに、いい人間になりたかったから、「人を責めてはいけない」「人に怒りを抱いてはいけない」と自分を律していましたが、一気に楽になったのを覚えています。
その後は、同じことが起きると「ああもう! なんで来ないのよ! バカヤロー!」と遠慮なしに心の中で言うことにしました。そうしたら、次の機会にその人から「この間はごめんなさいね」と言われても、何のことはさっぱりわからなくて。「バカヤロー」と言った時点で、怒りは完全燃焼したんですね。忘れられない出来事です。
(記事を書いた人/佐藤惠美子)
日木流奈
ひきるな/1990年2月11日、横浜市に生まれる。極小未熟児(1480グラム)、先天性腹壁破裂の状態だった。直後の三度の手術のストレスにより脳にたまった水が脳を圧迫し、脳障害となる。新生児けいれん、点頭癲癇の発作が出る。1991年、抗けいれん剤の副作用で白内障となり、両眼の水晶体を摘出。1992年、ドーマン法のプログラムを開始する。1994年、グレン・ドーマン博士の人間能力開発研究所の診察を受ける。1995年、文字盤によるFC(ファシリテイテッド・コミュニケーション)で、他者との意志の疎通が可能となる。1998年、自伝・詩集を手作り本『想ふ月』を自費出版。著書はほかにも『月のメッセージ』(大和出版)など。