こんにちは。悟りをテーマに活動している、ドルフィニスト篤です。
今回も、私の師匠であるマスター・ゲート氏の教えを交えながら、日常の中で目覚めていくためのポイントを、悟りの観点から綴っていきます。

強迫観念を呼び覚ます死へのイメージ

読者の皆さんは、「死」に対して、どのようなイメージをお持ちでしょうか?

人生の終わり、やりたいことができなくなる、喪失、静止、すべての終わり、肉体の消滅、終末、身近な方の「死」などを通して、多くの方が悲観的でネガティブなイメージを持っていらっしゃるのではないでしょうか?

「死」がネガティブなイメージになってしまう理由の一つは、生きている間に築き上げ、得てきたモノや関係性、記憶、アイデンティティなどを全て失い、何もない虚無になってしまうという強迫観念です。

それはイメージに過ぎないのですが、生きている人間にとって、「死」はまだ体験したことがない未知の領域なので、「死んだらどうなるかわからない」という曖昧さ、わからなさがさらに不安や恐怖を呼んで、その強迫観念を増幅します。
それに耐えられずに、日常を忙しく過ごすなどして、それを潜在意識に抑圧して回避しようとしたりするのです。

死を理解することは生を充実させること

マスター・ゲート氏は、次のようにおっしゃいます。

皆さんは生きること、つまり、人生を何だと思いますか?
私にとって生きるとは何であり、生きるとはどうすることか?
生命とは何だろう?
このような基本的なところから、熟考しなければなりません。

死がある、ということが生きることです。
私たちの生きる生の中に、すでに死が含まれているのです。
ですから、死というものも生の反対ではありません。
生の一部分で、一緒にあるものなのです。

しかし、皆さんは死を、生から分離させてしまいました。
だから、生きていながら、一度も死について考えたことがありません。
皆さんが生きていると思っているその生は、一瞬にして死に変わるかもしれないということです。

死というものは何でしょうか?
それは、私の持っている全てを捨てないといけません。
私自身さえも忘れないといけない、捨てないといけないのです。

皆さんは今、このように現れているものだけが私だと思っていて、生きているものだけが私だと思っていますが、一瞬にして消え去るものも私であり、死ぬのも私なのです。
死んでいくのも私なんだということを、ずっと続けて心に刻んでいないといけません。

そのことを、昔、智恵深い人はこういうふうに言いました。
「本当にあなたが知恵深く生きていこうとするならば、いつも死者の観点をともに持ちながら生きなさい」。

それはどういう意味かというと、死を理解しながら、受け入れながら生きなさいということです。
では、そのように理解し、受け入れたら、皆さんの生きている姿はどのように変わっていくでしょうか?
それは、皆さん自らで考えてみてください。

「私はいつでも死ぬことができる」
「私はいつか、ここから消えてしまうかもしれない」

その現実を受け入れて生きるなら、自分が今生きている姿に、どれほどあきれてしまうでしょうか?

「意味ある生き方をしなければいけない」と思って生きるようになるはずです。
「生きていながら何をしなければいけないか?」ということを、わかるようになるのです。

これは本当に簡単なことです。
このように簡単なことを無視して、死を外に追いやるから、皆さんの生は無意味になり、意味のないことに執着し、それらに捕まえられてしまうのです。

亡くなって、横たわっている人を見てみてください。
死んでしまったら、ただの塊なのです。
これが現実だということです。

体が大きくて、よく食べる人は長生きするように見えますが、死というのは誰にも公平に適用されるのです。
たくさんモノを持っているお金持ちも、死を免れることはできません。
立派な顔立ちをしている人も、然りです。
権力・名誉、そういったものは何の力もなくなるのです。
そうなることが、まさに現実だということです。

だからこの現実を皆さんが直視するなら、他人を観るのではなくて、当然自分だけを観ることになります。
そして、「私がどのように生きなければいけないか、息をしながら果たして何をしなければいけないか?」、それが当然、わかるようになります。

 

肉体の観点からすると、「死」は、私たちが大切にしている全てを奪い去っていく敵であるというイメージがあるので、「死」を忌み嫌い、「死」に抵抗して、「死」と戦わなければいけないと思い込んでいます。
「生」は、どんなにあがいても「死」に向かっていく運命なのですが、自我はそれに抵抗して、潜在的にずっと「死」を拒絶し続けるのです。

本当の生とは、死と自分自身を知っていくこと

ですから、どこかで「死」は避けられないことに気づいていながら、「生」は「死」への抵抗、戦いであるかのようにお金を稼ぎ、モノを持ち、家族を作り、自己実現することを夢見て、人生を忙しく駆け抜けて行こうとします。
内面を探求すること、反省すること、沈黙すること、静止することは「死」を思い出させるので、タブーとなります。

そして、「今」に満足することなく、理想の「生」と比較して、常に不足感を作り、その不足感に追い立てられながら、「前進している」という錯覚のもとに忙しく過ごすわけです。
そのようにして、いつの間にか「生」にばかり執着し、「死」についてじっくり考える余裕を自分に与えません。

しかし、私たちが築き上げ、価値あるものと思い込んでいるものは、「死」を目の前にすると、何の価値も持たないわけです。

私たちの「生」は、果たして前進していると言えるのでしょうか?
ただただ人生と戦い、翻弄されているだけではないでしょうか?

本当の「生」とは、何かを築き上げ、何かを得るという幻想の物語ではなく、「生」とは何か、「死」とは何か、自分自身のことを知っていくことです。
「死」と戦うことは、自分自身と意味もなく戦うことだと知ることなのです。

自分自身を深く知るようになると、このような観点に至ります。

「陰」と「陽」の二極のように、「生」があれば「死」がある。
「生」と「死」は対立するものではなく、共にあるもので、切り離すことができない──。

すると、「生」にだけ執着することができなくなってきます。
「死」を迎えたら、自我は全てを失い消えてしまうと怖れていますが、その自我自体が、「死」を迎えると消えてしまう実体のないものです。

「死」に対する抵抗、怖れを手放し、「死」を受け入れていく時、「生」や「死」を超えていくことができます。

 

 

ドルフィニスト篤
ドルフィニストアカデミー主宰。京都大学理学部物理学科卒業。京都大学院理学研究科物理学専攻、修士課程修了。2001年より、イルカのスピリットをチャネリングする綾子夫人と共に、イルカのように生きる「ドルフィニスト」を提唱し、全国にて講演活動を行い、人々の目覚めやヒーリングに従事する。現在は悟りのコミュニティにおいて、鋭い論理と慧眼で悟りへと導いている。著書『悟りハンドブックー〈私〉を思い出すこと、それが悟りです!』(ナチュラルスピリット)。

 

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『悟りハンドブック』
ドルフィニスト篤著/ナチュラルスピリット

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101キャンドルライト
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『悟りの錬金術』
マスター・ゲート著/アン・テファン訳/ナチュラルスピリット

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