あけましておめでとうございます。悟りをテーマに活動している、ドルフィニスト篤です。
皆さんは、今年をどのような年にしていきたいでしょうか?
今回も、私の師匠であるマスター・ゲート氏の教えを交えながら、日常の中で目覚めていくためのポイントを、悟りの観点から綴っていきます。
※文末で「スタピチャンネル」の動画もご紹介しています。

「風の時代」に軽く自由になっていくには

激動だった2020年も終わり、新たに2021年を迎えました。
占星術では昨年の冬至にグレートコンジャクションを迎え、「土の時代」から「風の時代」へと移り変わりました。

これまでの「土の時代」では、お金、権威、物質などが重視されてきましたが、これからの「風の時代」では、霊性や精神性が注目されていくとのことです。
これは別の言い方をすれば、今までは重く、しっかりしたものが重視されてきましたが、これからは軽く、自由になっていくということです。

そうなるにはどうすればいいのか、その秘訣をお伝えしましょう。

全ては私の中にあると洞察する

マスター・ゲート氏は、次のようにおっしゃいます。

皆さんはご両親から生まれました。
すると、ご両親によく似るでしょう? 「そっくりだね」とか、人から言われたりしますよね?

皆さんは神様から生まれました。だったら、神様に似るんです、「そっくり」な感じに。
皆さんは、まさに神様のそっくりさんです。

神様の能力とは何でしょう?
全てを創造することです。全てを「在る」ようにすることです。

それなら、全てを「在る」ようにする、全てを創造する方のそっくりさんは、やはり同じように神様のそっくりさんらしく、自らが全てを創造し、全てを選択できます。

皆さんは、神様のそっくりさんです。神様の自由意思とそのままそっくり似ているので、神様の自由意思そのものです。
そんな皆さんの選択した「私」、創り出した「私」、判を捺した「私」、皆さんが規定した「私」、それが今の皆さんたちです。

だったら皆さんは、ここにどんな洞察をしますか? 自分の創造したものを享受してみてください。自らが、感じてみてください。

皆さんは神様の立場にいるんですから、何か特別に心配する必要はないはずです。
まっすぐに神様の立場を求め、その神様の立場に洞察を起こし、その立場で一度生きてみてください。
被造物の立場でそんなにも何かを念慮なさらずに、神様の立場に戻ってください。

神様の立場を、こんなふうに考えてみてください。

「私の作品を享受しよう」
「私の作品に忠実でいよう」
「他の作品と比較するのをやめよう」
「私の作品に満足しよう」
「私の作品に感謝しよう」
「私の作品を花咲かせよう」
そう考えることで、全てのことが皆、解決されるんじゃないでしょうか。

「他人の作品を避けずにいよう」
「他人の作品をコントロールしようとするのはやめよう」
これ以上、何が必要でしょうか? 誰かの作品に、必要以上の関心を持たないでください。

「私の作品だけを見よう」
「疑問が起こったら、疑問を作っている私を見よう」
「疑問に影響を受けずにいよう」
「私は疑問を作り出す者だ」
「私の中に混乱がやってきたら、私の現実に混乱が創られる、それを創り出した元々の位置に行ってみよう」
「私の中がもどかしければ、私の現実にもどかしさが創られる、それを創り出した元々の位置に行ってみよう」

神様としての位置に行けば、皆、全てを理解でき、全てを受容でき、全てを包容することができます。
皆さんは、全てを創り出した、まさにその位置にいます。常に皆さんは、その位置と共にいます。

その位置にいれば、ストレスを受ける必要があるでしょうか? ストレスを創り出す以前の位置にいるのですから。
恐れなんか必要でしょうか? 恐れを創り出す以前の位置にいるのに。

神様としての位置に行くことは、全ての根源に行くことなのに、皆さんにとって果たして何が問題になるでしょうか? 問題を創り出す以前の位置にいるというのに

問題が創り出される以前のその位置にいて、恐れが起こる以前のその位置にいて、混乱が始まる以前のその位置にいる──
さぁ、もっと気になることがありますか?

私がしているのは、「常に自らの内に全てがある」という話です。「自らの中で全て解決できる」という話です。
皆さんを除外したところで、「私」という自分の中の神性を除外したところで、「私以外に何かがある」という、そんな幻想から抜け出ましょうと言っているのです。

全てを結局は私の中で解決し、全ては私の中の問題だと認識し、全ては私の中にあると洞察するんです。
・・・これがこの話の要旨であり、核心です。

あれやこれやと探さないでください。「私」という自分の中の神性を除外して、「私」を排斥した何ものも真実ではありません。
ただ、「私」だけが真実なのです。

全てを自分が創り出しているしくみ「一切唯心造」を理解する

ゲート氏の教えの根幹にあるのは、「すべての現実は、私が創り出している」ということです。
これを禅語では、「一切唯心造」と言います。
さらに言い替えれば、私とは「神」であり、創造主だということです。

これが真理だと正見し、はっきり確信することが悟りですが、知識では知っていても、いざ現実において受け入れがたい問題が起こるとどうでしょうか?

「すべての現実は、私が創り出している」と正見できなくなり、誰かのせいにして、非難したり、拒絶したくなるものです。
この現実の全てを創り出していることに満足し、感謝できればいいのですが、自我は不足や不満、恐れや不安ばかりが目につき、それに基づいたストーリーを作り上げ、我欲による都合のいい現実を作って、コントロールしたくなるのです。

なぜ、そのようになってしまうのかというと、現実はどうしても重く、固定的で、問題は簡単に解決できないように見えるからです。
ですから、すぐにその被害者になってしまい、「全ての現実は私が創り出している」とは信じることができません。
その不信が、自分の外側にあるものへの期待や依存、裏切り、拒絶、孤独、空虚感を創り出していきます。

私たちはその痛みから逃げるために、痛みを自分から分離させるために、頭の中にストーリーを創り出して、自己正当化を始め、防衛するようになります。そして、それが周りとの比較を生み出し、競争を生み出していきます。

このように創造主である私たちは、自我を温存させ、正当化するためのストーリーを無限に創り出して、そのストーリーと同一化してきました。
ですから、現実には問題がたくさんあり、複雑なように見え、その中で生きることは、まさに重さを体験することでした。

現実ではなかなか軽やかに進んでは行けない、という印象があるかもしれません。
しかし、実際は自らで複雑さや重さを生み出しているだけで、本来、霊性や精神性というのは、簡単で、シンプルで、軽やかなのです。

重苦しい現実に引っ張られないために

今までは外側の世界ばかりを見てきたかもしれませんが、それをやめて、自分の内側を見るようにして、問題を直視していくことが解決法になります。
その時、今まで排除してきた痛みと直面することになりますが、排除しようとしてきた痛みも“私から生まれたもの”なのです。

その痛みを受け入れた時、問題は「私」次第で、問題にしていたのも「私」であり、複雑にしていたのも「私」であったことがわかり、問題に実体がないことが腑に落ちてきます。
そして、「すべての現実は、私が創り出している」ということを受け入れられ、信じられるようになっていくのです。

そのように、不信ではなく、信頼を持てるようになってくると、安心することができ、実際は問題がなく、恐怖や不安を持つ必要がないことがわかっていきます。
自我とは“痛みに対する抵抗のストーリー”に過ぎず、実体がないので、消えていく運命なのです。

今までは、現実をそのまま真に受けしまったので、その被害者となり、重い体験を選択してきましたが、これからは神様の立場に立って、現実に引っ張られることもなく、重く捉える必要もないのです。

風の時代は、はっきりと目覚めた意識で存在することで、軽く、自由でいることが可能です。

 

 

ドルフィニスト篤
ドルフィニストアカデミー主宰。京都大学理学部物理学科卒業。京都大学院理学研究科物理学専攻、修士課程修了。2001年より、イルカのスピリットをチャネリングする綾子夫人と共に、イルカのように生きる「ドルフィニスト」を提唱し、全国にて講演活動を行い、人々の目覚めやヒーリングに従事する。現在は悟りのコミュニティにおいて、鋭い論理と慧眼で悟りへと導いている。著書『悟りハンドブックー〈私〉を思い出すこと、それが悟りです!』(ナチュラルスピリット)。

 

ドルフィニストアカデミー
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『悟りハンドブック』
ドルフィニスト篤著/ナチュラルスピリット

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『悟りの錬金術』
マスター・ゲート著/アン・テファン訳/ナチュラルスピリット


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