こんにちは。悟りをテーマに活動している、ドルフィニスト篤です。
今回も、私の師匠であるマスター・ゲート氏の教えを交えながら、日常の中で目覚めていくためのポイントを、悟りの観点から綴っていきます。

釈迦の言葉「人生は苦なり」の意味

私たちは、人生の様々な経験を通して感情を味わいます。
お釈迦さまは、「人生は苦なり」とおっしゃいました。
人生には幸せや喜び、達成感などもあるのに、なぜ、そのようにおっしゃったのでしょうか?

「人生とはこんなものだ」と達観している人は別として、ほとんどの人は「こんなことしたい!」「あんなチャレンジをしたい!」と夢や理想があるものです。

しかし、現実に目をやると、人生すべてが思い通りになっているという方は稀ではないでしょうか?
たとえ思い通りになっても、叶った瞬間には一時的に達成感や喜びがあるかもしれませんが、やがて消えていきます。
そして、叶えようとして頑張った反作用として、心の疲弊感や苦しみを受け取ることになるのです。

お釈迦さまがおっしゃったのは、私たちが外側の現実を思い通りにして幸せを得ようとしても、結局は外側から幸せを得られることはなく、むしろ苦しみを刈り取ることになるということです。
人生を思い通りにしようとすればするほど、叶わないという絶望や虚しさを体験し、苦しみという負債を抱えることになるのだと──。

このように、人生を思い通りにコントロールしようとすればするほど、皮肉なことに計算通りにはいかず、苦しみという心の負債や借金に人生を翻弄されてしまうのです。

心の中にある2タイプの借金への向き合い方

マスター・ゲート氏は、次のようにおっしゃいます。

皆さんは、いつも心に借金を持っている。心に借金というものが多いんだよ。
いつも借金を持っているんだが、返さないといけない借金もあるし、受け取るべき借金もある。
返すことのできない借金があるなら、それは辛いし、受け取るべき借金が受け取れないのも辛いことだ。

それを最もうまく解決するには、どうすれば良いだろう?
それには、私が誰かに返すべき借金、そして私が誰かから貰わなければいけない借金、それを帳消しにするんだ。きれいに整理するということだ。それが可能なんだ。
私の心さえ動けば
「ああ、もう私は受け取らなくてもいい」。

そして、他の人が私にした借金さえも、当然整理してあげられるということだ。
借金は、「受け取らないといけない」「返さないといけない」というのが大事なのではなくて、心というものがそれほどまでに大事だという話なんだ。

昔、このような言葉があった。
「陽というものは砂の上に書いて、陰というものは岩の上に書け」。

砂の上に書いたら、一度波が来たら、すぐ消え去ってしまうだろう?
風が吹いても消え去ってしまうものだ。
だから、“返してもらっていないという恨み”は砂の上に書いて、風が吹いて波が来ても消えるように、深く持ち続けずに、すぐになくしてしまいなさいということなんだ。

けれど、誰かに助けてもらったもの、誰かにもらった恩恵、それに対する感謝は砂の上ではなくて、岩の上に書いた文字のごとく、しっかりと覚えておきなさい。

他の人から受けた助けや、他の人たちに対する感謝は、岩の上に書かれた文字のようにしっかり覚えておかないといけないんだ。

 

この2タイプの「心の中の借金」が関係するのが、前回お伝えした「作用・反作用の法則」のお話です。

居場所や承認を得ようとすると疲弊感がつのる

私たちは、望んだ作用と同じだけの反作用を潜在意識に蓄積していますが、そのような反作用としての存在を認識し、刈り取るまで、問題や障害という形となって現れ続けます

例えば、誰かに対して気遣いをしたり、尽くしたりしますが、なぜそのようにするのでしょうか?
軽い親切心からの場合もありますが、自分の居場所や承認という見返りを得るためにしていることがよくあります。無意識にそうしている人もいれば、意識的にそうしている人もいるでしょう。

見返りを求めず、親切心からしていれば、相手に気遣いをしたり、尽くした段階で自分の思いは完結します。
しかし、見返りを求めている場合、期待した通りに認めてもらえないと、イライラして怒ってしまったりします。気遣いが長期にわたる場合、期待通りの見返りがないと、恨みや憎しみが募ったりします。

居場所や承認を得るために自分に鞭を打って、本当はしたくない気遣いをして疲弊し、被害者となってしまう──。
つまり、得られるはずだったものが得られなければ、非難する気持ちを向けることになります。

たとえ欲しかった居場所や承認が得られたとしても、それは一時的なもので消えていき、自分を酷使した疲弊感はぬぐえません。
そのような疲弊感が蓄積すると、病気という形で肉体に現れることにもなります。

心の負債を清算すれば束縛から解放される

このように、外側に求めた分の反作用として、心に負担がかかっていることに気づかないといけないのです。
不足感からくる欲によって自分の外側に求めても、幻を掴むばかりで、本当に欲しかったものは掴めず、あとから襲ってくる反作用に苛まされるのです。

では、どうすればいいのでしょうか?
まずは、反作用として恨みや憎しみや疲弊感などの「心の負債」を、まさに「自分が作ってきたんだ」ということを認めるのです。

相手のせいではないのです。
このことを認めることで、負債の主として、その負債をなかったことにできます。負債を清算し、許すことで、相手も許すことができるわけです。

「借金を返さない相手」に向かっていた恨みや憎しみは、自分の中の負債を清算することで、その束縛から解放され、相手も許すことができるのです。

恨みや憎しみを清算するのと同時に必要なのは、感謝の心を持つことです。
自分自身を疲弊させ、心に負担をかけ続けても、健康でいてくれる自分の肉体を愛おしく思い、感謝するのです。
それまで夢や理想を追い求めて、肉体を酷使してきたかもしれませんが、肉体があるからこそ、すべての体験ができることに気づきましょう。

この当たり前のことに気づくことが、知恵深く生きることに繋がります
自分の肉体に感謝できるよう、居場所や承認も自分に与えてあげられることを認めて、「今の自分でいいんだ!」と不完全な自分を許し、満足し、感謝していくのです。
すると、自分以外の人たちのことも自然に愛おしく思えてきます。

巨大化する反作用から逃れて自由になるには

私たちは、反作用から逃げようとし、それを排除しようとしますが、排除という作用を働かせようとすることで、またその反作用が生じます。

借金を放っておくと利子が重なってどんどん増えていくように、反作用にますます大きな力を与えることになります。大きな力を得た反作用に翻弄され、その被害者になってしまうのです。
反作用から逃げたくて、その埋め合わせのための作用を求めても、もともとあった反作用は帳消しにならず、むしろ巨大化して追いかけてきます。

反作用から逃れて、その埋め合わせのための作用を求める、・・・このようなドラマを、誰もが無意識のうちに何度も繰り返しています。

「このドラマを終わらせたい」と心から発心し、自分がしていたことを素直に認め、心を整理することで、本性に目覚めていくことができます。
そうすると、居場所や承認は求める必要がなく、すでにあったことに気がつくでしょう。

 

ドルフィニスト篤
ドルフィニストアカデミー主宰。京都大学理学部物理学科卒業。京都大学院理学研究科物理学専攻、修士課程修了。2001年より、イルカのスピリットをチャネリングする綾子夫人と共に、イルカのように生きる「ドルフィニスト」を提唱し、全国にて講演活動を行い、人々の目覚めやヒーリングに従事する。現在は悟りのコミュニティにおいて、鋭い論理と慧眼で悟りへと導いている。著書『悟りハンドブックー〈私〉を思い出すこと、それが悟りです!』(ナチュラルスピリット)。

 

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『悟りハンドブック』
ドルフィニスト篤著/ナチュラルスピリット

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『悟りの錬金術』
マスター・ゲート著/アン・テファン訳/ナチュラルスピリット


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