Kan.さん×流奈くん対談/私が楽しいとみんなが楽しい【『StarPeople』バックナンバーより】

悲しみながらも幸せでいる、それが究極であり至福

──政治・経済についてお聞きしたいと思います。
流奈 経済は、私には、人の恐れが具現化したものに見えます。借金だらけなのに、自分たちのいまの生活が変わらないから、本当の意味で「ない」ことに気づいていない。崩壊してから嘆くのはおかしな話です。だって、すでにないのですから。
人は変化に弱い。だから、変化できるように常に自らを対応させていかなければなりません。いまこの世で起きていることはギフトだと思います。
当事者の人たちには本当に申し訳ありませんが、私にとってこの世はすでに天国です。地獄の苦しみがあったとしても、たぶん天国だと思います。私が災害や何かに身を投じることになったとしたら、それは私の役目だと思います。
だけど、当事者に対して、役目なのだからそれを受け入れろ、というのは大きな間違いです。その人がその人たちで学ばなければならないのは事実だけれど、外の人が「あなたの役目だから」とは、絶対言ってはいけません。
それが本人にとって、どれだけ大変なことか。当事者でない私は、その人たちに感謝しています。大変な思いを、私の代わりにしてくれていると感じています。だからといって、私は当事者ではないので、本当の意味で彼らの苦しみや大変さをわかったとは言えません。わかっているふりなんて、傲慢だと思います。
私はただ寄り添うだけです。彼らの思いに心を馳せるだけです。
悲しみや辛さは人それぞれ違います。「大変だ」と言う人がいれば、それはその人にとって真実です。誰の心にしても、思いに嘘はありません。その思いを受け取る心だけは、私は失くしたくありません。
私は災害が起きるたびに、いつもそんな思いでニュースを見ています。だからこそ、私は私の生活を充実したものにすることに余念がありません。
Kan. 政治については、一人ひとりが自分で考えるのがいいと思います。誰かの意見に乗るのではなくて、どれでもいいから等身大の関心事に、自分の意見をもつ。人と違う見解をもつことを恐れないことです。
自分を否定されることを恐れる人間関係が、結局、この国の政治を作っているように思います。身近なところから違いを認め合う土壌を少しずつ育んでいけば、信頼できる政治、信頼できる経済につながっていくのではないでしょうか。
意見が違うことを楽しむことです。意見の相違がすぐに人の否定につながるのは、飛躍のしすぎです。
流奈 相手の政党を諸悪の根源みたいに言うのをやめて、お互いに認め合って、褒め合えばいいのにね。だって、悪くしようと思っている人なんて、ほとんどいないでしょ。良くしようと本気で思っている人は、きっと多いと思う。
だから、それを伸ばしてあげればいいのになと思います。お互いの言いたいことを認め合えれば、もっとスムーズなのにね。
Kan. そこへの扉を開くべきではないでしょうか。

──2014年はどんな年になると思われますか。
流奈 良い年です。事は起き続けていくでしょうし、世の中で言う良い年ではないかもしれませんが、毎年良くなります。
Kan.  人は、良い事だけが起こる年を良い年と思いがちですが、やはり起こるべきことは起こるでしょう。高度経済成長期に作ってきたものがそろそろ寿命になる時期ですから、いろいろとガタがきます。
ガタがくるのは自然なことですし、そうやって常に新しくするのは大事なことです。そのなかで、一人ひとりがいろいろなことを感じて、考えて、行動して、とやっていく。そういう意味で、良い年だと思います。

──2013年は、台風や竜巻による大きな災害に見舞われました。おそらく2014年も悲しい出来事がたくさん起きるでしょう。それでも良い年と思えるには、何をどう考えればいいでしょうか。
流奈 事は、ただ起きているだけです。でも、当事者と、それを見る私たちとは別に考えなければいけません。
当事者は、当事者の問題で考えなければなりません。私たちは私たちで、そこから自分が何をすべきかを学ぶに過ぎません。冷たいように見えても、感情移入するだけが救いではないということです。

──たとえば、人は、肉体を失ったからといって終わりではないという理解が進むと、死の捉え方も変わって、自分がいまここにいる目的、あるいは学ぶべきことの全体像の見え方が変わるのではないかと思いますが、そのあたりはいかがでしょうか。
Kan. 勘違いしてはいけないのは、やはり当事者にとっては100パーセント悲しいわけですから、何かで取り繕うのではなく、ちゃんと悲しむことだと思います。
それはお芝居によく似ていて、「本当に起こっていることではないから、悲しくないのだ」という前提で見ていたら、あらゆるお芝居が面白くなくなってしまいます。
でも、作り物だということはお構いなしに、お芝居に引き込まれ、感情が揺さぶられると、作品を見終わったときに、すごい感動があるでしょう? それと同じで、起こることは全部、起こるべくして起こっているので、受け入れて、ちゃんと味わって、いいも悪いも、悲しみも怒りも等身大で味わう。そうやって全身全霊で生き切ったときに、初めてその人その人の人生が浮かび上がってきます。
それがないまま、いつでも誰かの理論や思想や常識をもってきて、こういうときはこうしないといけないという、いわば眠ったまま生きる生き方こそが、実はいちばん悲惨なことではないでしょうか。
流奈 知識で動いてはいけないということですよね。知識が多すぎると、人は平気なふりをしてしまいます。でも、当事者は、思いっきり悲しんで正解だと思います。私もそうですから。
知識はまず捨てたほうがいいと、私はいつも思っています。頭でっかちになると、感じる心が育ちません。でも、悲しみながらも幸せでいることはできます。それが究極というもの、至福と呼ばれるものです。できればみんなこの状態になると、みんな幸せ、私も幸せ。
Kan. 私も幸せです。

(この記事を書いた人/佐藤惠美子、写真/矢作常明)

Kan.
道教(タオ)に伝わる、覚醒のための秘術「クンルンネイゴン」の正統な継承者。幼少の頃より武術に親しむ。ラグビー選手時代に脊椎損傷、車椅子の生活を余義なくされたが、ある人物がもたらしたワークにより身体の自然に目覚め、完治。その後、本格的に氣の修行に入る。長年にわたり呼吸法の実践指導にあたる傍ら、世界各地の偉大な覚者、神秘家、シャーマン、武術家らと親密に交流を重ね、数々の秘術を体得。2005年、クンルンマスターであるマックスクリスチャンセン氏(Dao Shr)と運命的な出会いを果たす。現在では、彼の噂を聞きつけた世界中のプロモーターから依頼され、アメリカ、ヨーロッパ、イスラエルなど、世界中でワークショップを開催している。師より与えられた道教名は天仙(Heavenly Immortal)。

『時空を超えて生きる—潜象界と現象界をつなぐ』
Kan.著/ナチュラルスピリット

日木流奈
ひきるな/1990年2月11日、横浜市に生まれる。極小未熟児(1480グラム)、先天性腹壁破裂の状態だった。直後の三度の手術のストレスにより脳にたまった水が脳を圧迫し、脳障害となる。新生児けいれん、点頭癲癇の発作が出る。1991年、抗けいれん剤の副作用で白内障となり、両眼の水晶体を摘出。1992年、ドーマン法のプログラムを開始する。1994年、グレン・ドーマン博士の人間能力開発研究所の診察を受ける。1995年、文字盤によるFC(ファシリテイテッド・コミュニケーション)で、他者との意志の疎通が可能となる。1998年、自伝・詩集を手作り本『想ふ月』を自費出版。著書はほかにも『月のメッセージ』(大和出版)など。

『伝わるのは愛しかないから』
日木流奈著/ナチュラルスピリット

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