仕事柄、朝は通勤電車で出社して、日中は営業で外を回り、夜は仕事が終わると帰宅する。その間、どれだけ多くの見知らぬ人たちとすれ違ってきただろうか。
街ですれ違う人たち、電車の車両で見かける人たち・・・。
彼らはどんな精神レベルの中で生きているのだろうか・・・。
世界の人口はすでに75億人を超えているらしいが、誰もがまったく異なった「現実世界の認識」の中で生きている。
それは、地球に存在する75億通り以上ものパラレル・ワールド(異世界)・・・。
よく、そんなことを考えてしまう自分がいる。
生きる意味を求め続けた先で出会った聖者
自分が精神世界について考え始めたのは、親父が70歳で他界したことがキッカケだった。
それまでは、日々雑多な毎日を生きていて、その忙しさにかまけていた。日本の社会の空氣に流されて、なんとなく生きていたことは間違いない。
でも、たまに去来する心の虚しさ。「なんか生きているの、嫌だな〜・・・」。こう感じたことがよくあっても、何が原因でそうなるのかがわからなかったが。
ところが、親父の死を境にして、それこそいろいろな疑問が心の中から湧き始めてきた。
「仕事をする意味」「臨死体験」「死後の世界」「輪廻転生」「生きる意味」「貨幣システム」「意識」「陰謀論」などについて考え始め、その答えを探して、それこそむさぼるように本を読んだ。
連日、スターバックスコーヒーで何時間も本を読んでいたので、店員さんに顔を覚えられるようになり、あまり長居ができなくなってきて、カフェを毎日変えたものだったが(笑)。
その頃からだろうか、「自分とは何なのか」ということも考えるようになっていった。
ある日、家にテレビがあるのがなんだか嫌になって、テレビと決別。
それから、もう10年が経つ。
自分がラマナ・マハリシ(ラマナ・マハルシ)の存在を知ったのは、ナチュラルスピリットに入社した2007年だった。
その頃はまだ、彼に対してさほど関心が湧かなかったのだが、興味をもつようになったキッカケが、2007年8月18日付けの次のブログだった。
伊勢−白山道
「目に地球を宿す人」
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/a48dbca67c5facb7daaaa9fc24b74401私は年に何回かは、大きな本屋の精神世界コーナーを覗きます。本の背表紙を眺めて、気に止まった本を手に取りパラパラと捲ります。
まず、本を買う事は無いです。読まなくても、本から作者や取り上げられている主人公の霊性を感じ取ります。(中略)私が本物だと観じた一人に、ラマナ・マハリシがいます。近代インドに生まれた伝説の聖者です。
心に稲妻が走り、虚無感が溶解する座右の書
このブログが、ラマナ・マハリシに対しての先入観をガラリと変えてくれた。
その日を境に、たまたまナチュラルスピリット社から彼の著書が何冊も刊行されていたので、読み始めることになる。
そして、その後、不思議なことが!
それまで解決できなかった虚無感が、彼の著書を読むことで、どんどんと溶解していくじゃない!
「座右の書」とは、こういう本を指すと思ったものだ。
この度、1982年にめるくまーる社より刊行された山尾三省さんの名訳の『ラマナ・マハルシの教え』が、野草社より復刊された。
同書では「自己(真我・実在・それ)」について、さまざまな角度から多様な言葉の表現で、シンプルな答えが繰り返されている。
読み始めて、最初は難解かもしれないが、何度も読み返すたびに何かが腑に落ちるというか、心の中のモヤモヤが、何だかスッキリとしてしまうんだよね。
誰でも一度は本当の自分を知りたい、自分探しをしたいと思ったことがあるのでないだろうか。こんな悩み多きこの時代だからこそ、同書を読んでほしい。
心にきっと稲妻が走るだろう!
(この記事を書いた人/丹波-浪速 道)
『ラマナ・マハルシの教え』
ラマナ・マハルシ著/山尾三省訳/野草社