Kan.さん×流奈くん対談/私が楽しいとみんなが楽しい【『StarPeople』バックナンバーより】

Kan.さんの初めての著書『時空を超えて生きる』が出版された頃、取材の際にKan.さんがこう言いました。「そういえば日木流奈さんは、いまどうしているでしょうね?」「日本人の覚者を挙げるとすれば、彼は間違いなくその一人」という言葉から、実現したのがこの対談。今や成人となった流奈くんと、Kan.さんが在り方についてのお話を繰り広げます。
『StarPeople』バックナンバー48号「私が楽しいとみんなが楽しい──愉快は地球を救う──」をご紹介しましょう。
*2014年1月時点の内容となります。

あらゆることを楽しみ味わい尽くす

──Kan.さんは流奈くんに、どんな印象をおもちでしたか。
Kan. 世界各国の“人物”と出会いを重ねた上での実感ですが、何を話すにしろ、私が誤解なく通じ合い、〝全開〟で話ができる日本人というのは、流奈さんをおいてほかにいないだろうという思いがありました。
流奈 裸のつきあいができる人。
Kan. そう! そういうことです。私は、マックス・クリスチャンセンというアメリカ人のタオの先生と2人で過ごすことが多いのですが、タオの先生と過ごすというと、みなさん、「どんなことをするのですか? さぞかしすごいことをするのでしょうね」と身構えてお聞きになりますが……。
流奈 遊んでいたのでしょう?
Kan. そうなんです。遊ぶ以外に何があるの? という感じですよね。
流奈 私もボランティアの人と遊んでます。

Kan. みんな格好をつけたがりますが、日々というのはやっぱり味わうためにあるのであって、そこにすべての本質があり、そこが全部なんです。
たとえば共通の趣味や関心事といったツールを介して、人はシンプルに打ち解け合うのが大事なのに、わざと難しくしているところがありますね。
流奈 簡単なのにね。大変なのはわかるけど。私は昔、〝感じる〟ことしかしなかったので、〝感じる〟ことが難しい人がいるのが不思議でした。
そんな私にとって、知識は私を表現する手段に過ぎず、学ぶことは趣味に過ぎませんでした。私が幸いだったのは、誰とも比較されずに来たことです。だから、私は誰かをうらやましく思ったり、自分を嘆いたりしなくてすみました。
私が何をしているかと言えば、ただ、愛されるだけです。私から何かをすることはできないので、ここにいて、みんながしてくれることをただ受け入れます。口が立つので勝手に話して、私が楽しんでいます。
それで、私が楽しいと、みんなが楽しいことに気づきました。だから、みんなも自分を愛すればいいなと思った次第です。そうすると、私が楽しいからです。とても単純です。
愉快は宇宙を救う。これが我が家のモットーです。一貫しています。Kan.さんは、どういうきっかけで愉快に生きることにしたのですか? 愉快ですよね。
Kan. 愉快です、愉快です。私は、途中で身体が壊れたんです。一瞬抵抗しましたが、でも、そうではないなと思って。自分の身に起きることを受け入れるところからしか始まらないことがある、そう思った瞬間ですかね、愉快に生きることにしたのは。

流奈 よく生還しましたね。
Kan. それは自分の力でも何でもありません。命というのは、何ひとつとして自力で生きていくものではありませんから。生還というドラマも向こうに行ってしまうドラマも、自分が決めるものではなくて、自然なことですからね。
流奈 この世に生まれてしまったのですから、やっぱり楽しまないとね。
Kan. そうそう。楽しむという言葉にはいろいろな解釈がありますが、いまここで共感し合っているのは、たくさんあるなかの楽しいことだけを追求するのではなく、あらゆることの全部を楽しむという意味です。
気持ちのいい時は気持ちのいいことを味わうし、でも生きているからには何が起きるかわからないから、それも受け入れる。それができるかどうかに、流奈さんが語る本質があるように思います。
たとえば、自然災害というのは、自然の要素のどれかが勝つことを言いますよね。火が強ければ火の災害になるし、風が強ければ風の災害、水が多ければ水の災害になって、それを人は火災や台風、竜巻や津波と呼ぶわけです。
日本人は温泉が好きですが、温泉にはそのすべての要素があります。言ってみれば、温泉に入ることで、人は自然災害の要素のすべてをバランスのいい状態で体験し、そこでバランスを学んでいます。でも、こんな堅苦しいことを考えていたら、温泉に入っていても楽しくありませんから、普段は言いませんけどね。
流奈 素晴らしい。つまり、理屈はいつでもどこでも、つけられるということです。私も口だけで生きていますので、すべてを何とでも言いくるめる自信があります。

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