2018年11月25日、新大阪の某ホテルでは、さる故人を偲ぶ会のために海外や日本各地から130名もの老若男女が集い、参加者各人は故人との懐かしい思い出にそれぞれが耽っているようだった。
その故人とは、さる7月20日未明に急逝された飯山一郎さんだ。亡くなられる数日前までは元氣だっただけに、多くの飯山ファンはその訃報を信じられなかったに違いない。

不撓不屈のスーパー老人

私がナチュラルスピリットの仕事を通じて、飯山さんと関わらせていただいたのは2012年。あの世界を激震させた東北関東大震災(3.11)の甚大な被害が、まだ冷めやらぬ頃だ。
震災勃発後、飯山さんはすぐにネットを通じて「身体の免疫力増強」の必要性を訴えると、彼の専門分野であった乳酸菌の自己培養法を拡散し、他にもさまざまなアイデアを公開しながら、放射性物質の降り続ける日本で恐怖に怯える多くの人々の救済を果たされた。
彼のブログの影響で、乳酸菌や豆乳ヨーグルトを手作りして自己防衛をした日本人が、当時で200万人はいたのだという。これは後に飯山さんを取材したとき、彼の口から聞かされた数だ。

初めて飯山さんにお会いしたときの印象は、話題がとても豊富なうえに博学で、情報量がハンパではなかったこと。表には流すことのできないような裏情報にもかなり精通し、とにかく会話が面白い! 氣がついたら6時間が一瞬で経過していたことを、今でもよく覚えている。
それもそのはず、『横田めぐみさんと金正恩』でセンセーショナルなデビューを果たした飯山さんならではの持ち味といえるだろう。

このときのインパクトがあまりにも強烈で、それが後にナチュラルスピリットの『Star People』での単独インタヴュー(合計4回)や、連載「新日本建国神話」、著書『飯山一郎の世界の見方、身の守り方』の出版などにつながっていくことになる。
飯山さんの担当として共有させていただいた時間は、取材や著書の打ち合わせなど合計すれば100時間は越えていたと思う。その過程で、彼の博覧強記ぶりを再認識するとともに、「ただ者ではない感」を強く持った。こういう人物を「智慧者」というのだろう。
「新日本建国神話」で使用したタイトル周りのイラストを、飯山スーパーマン(笑)にしたのも、そのときの印象に着想を得ている。

取材のたび、飯山さんはさまざまな質問に答えてくれていた。

ブログの人氣の秘密は「真実情報」にあり

取材してきた6年間で印象深かったことは、取材中にブログの読者から頻繁に相談の電話がかかって来たときの彼の対応だった。相談者は藁をも掴む思いで、必死に救いを求めてくるのだが、飯山さんは緊張している相手の不安や恐怖を取り除くと、冗談を言ってみたり、ときには相手を叱咤激励したりしながら、嫌な顔を見せることもなく親身に対応されていた。
その姿はさながら、第一級のヒーラーと言っても過言ではなかったと思う。

飯山さんはブログランキングに参加してはいなかったが、アクセス数が1日平均で32万あり、存命中の累計が1億5千万を突破していた。それだけアクセス数を集めることができた一番の理由は、彼のブログ『飯山一郎のLittle HP』を読めば「真実の情報」に触れることができるからだ。
その「情報」は、「Information」と「Intelligence」の2つに英訳できる。国家の命運を握る諜報戦争には、本物の正しい情報が不可欠で、世界の諜報機関名に使われるのは「Intelligence」。
大手メディアが「真実の情報」を流さないことに人々が氣づき始めているだけに、飯山さんのブログは貴重で数少ない「真実情報」=「Intelligence」の発信基地で、それが読者の心を掴んだのだと言えるのでないだろうか。

しかし、ときには危険も伴うことがある。飯山さんのブログが昔、某政治家の圧力で2度もサーバーを消されたことや、『横田めぐみさんと金正恩』を出版したことに不満な街宣右翼の連中に、圧力をかけられたり。とにかく「真実情報」の世界は命掛けだ。かなりの危険を冒してまでもタブーに挑戦し続ける姿勢は、亡くなられるまで一貫していた。
「なぜ、それほどのリスクを冒してまでも書き続けるのか?」との問いに対して、飯山さんはこう答えてくれた。
「人の道から外れるような事実があると許せない氣質でね。数え切れないくらいたくさんの困りごとが持ち込まれても、警察は当てにならない。もう、武勇伝を発揮する以外に解決の手立てがないわけ。だから、いつの間にか『困った時の飯山さん』とあだ名がついちゃってさ。そんな氣性が、放射能汚染された日本の救済活動にもつながっているんだろうね」。

探究に次ぐ探究という多忙な生活の合間に、健康に不安がある人たちの相談にものり、大勢の人から慕われていた。

飯山さんが発信し続けた「乳酸菌を摂取することで放射能障害が発症しない健康づくりができる!」という提案と訴えが、後のロングセラー『発酵マニアの天然工房』(きのこ著/三五館)の出版へとつながっていく。
著者は、発酵に関して疑問がある度に飯山さんに何度もしつこく電話したそうで、飯山さんは同書の実質上の監修者とも言える。発酵関係の本はせいぜい数千部売れるのが常態だが、同書は推定でも確実に10万部以上は売れている。この異例のヒット作の裏には、「乳酸菌のカリスマ」との異名をもつ飯山さんの大いなる助力があったことは確かだ。

瀕死の日本を救済するという使命

亡くなられた飯山さんの死因は、急性心不全。実は彼は過去に2度、同じ病状で死の淵を彷徨った経緯がある。それなのに、2度も一命を取りとめたことが意味するものとは?
もしかしたら、3.11による未曾有の危機に直面した日本を救う役割が、彼の今生の使命だったからではないだろうか。
人間の魂は死後、あの世で来世の計画を決めてから生まれ変わるのだという。それを何度も繰り返すことで、魂は成長しながら発展していくのだと。晩年、飯山さんが日本救済のために行った活動の数々が遺した功績は、計り知れない。

ナチュラルスピリットでは飯山さんの膨大な量のブログをメインに、講演会、単独インタビューからなる三本立てで構成・編集した『飯山一郎の世界の読み方、身の守り方』を絶賛発売中。
内容は微生物、豆乳ヨーグルト、ミツバチ、不食、太陽凝視、免疫力、国際情勢など多岐にわたり、放射性物質の降り続ける日本で生き抜く智慧と、今後の具体的な方向性を提言。彼の人生哲学をも知ることのできる貴重な遺作となっている。
飯山さんは疾風怒濤の勢いで、人生の最終章(65〜72歳)を必死で駆け抜けた! 日本、そして日本人のために!

4時間にわたる飯山さんを偲ぶ「飯山一郎氏を送る会」も、しめやかに幕を閉じた。
きっと会場のどこかで、肉体を離れた飯山さんの魂は、参加者一人ひとりを温かく見守ってくれていたことだろう。
*飯山一郎様のご冥福を心よりお祈りいたします。合掌

(この記事を書いた人/丹波-浪速 道)

 

『飯山一郎の世界の見方、身の守り方』
飯山一郎著/ナチュラルスピリット

 

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