松村潔のアナザーワールド/vol.34 縄文の海での引っ越しと夢が告げる渋谷の新しい村設計

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次元を超えて隣の地球へ
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松村潔著/ナチュラルスピリット
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最近また、中沢新一の『アースダイバー』(講談社)の話題を何度か取り上げた。これは、縄文時代の海は今よりも5メートル高く、これを「縄文の海」とか、「洪積世の海」と言って、今日の複雑な地形とか、文化の形成に大きな影響があることを書いたものだ。

この本を読んで、自分の過去の引っ越しというのは、この海のルートを移動していることがわかって驚いたものだ。そしてあらゆることがこの海のルートで生じていて、いわば海を移動することは、物語を体験するようなものだということだ。

原宿に引っ越して1ヵ月程度、毎日うるさくて眠れなかった。これはボートの音のような騒音で、まるで自分がボートに乗って移動しているかのような。ここからわたしは、原宿は海なんじゃないかと説明していた。というのも、ここは海軍の場所だし、水交会もあるし、そんなに無理な話ではない。

この原宿に移動する前に、目黒に住んでいたが、目黒に引っ越しするきっかけは、そもそも代官山あたりに住みたいと思ってそのあたりをうろうろしていたのだが、気がつくと、目黒に着いてしまい、よく知らない神社の中に入って、椅子で休憩した。
ほんの5分程度だと思うが、家に戻って夜眠った時、何やらじゃらじゃらと石を踏む音がうるさいので目がさめた。その時、庭が白く光っていて、まばゆいばかりに光る人がそこに立っていた。で、わたしは、今後数年間のわたしの予定について説明されたのだ。

このことについて神社関係に詳しい人に聞いてみると、「祀神なんじゃないか」ということになった。わたしが休憩した場所は目黒の大鳥神社で、その祀神はヤマトタケル。
白く光る人はヤマトタケルだったのだ。しかし今は、同等存在である白い鳥とみなし、これは、はと座のファクトに関係すると思っている。

サビアンシンボルに、おうし座22度White dove over troubled waters.[荒れた水の上を飛ぶ白い鳩]というシンボルがあり、わたしの夢ではファクトは、アフリカのほうからすごい勢いで走ってきた。これは、アルゴー船が黒海の入り口で放したハトを表しているともされている。
アルゴー船が危険なシュムプレーガデス岩の間を渡るのを助けたと言われていることなどから、荒れた水、危険な領域を案内するというのがファクトの性質で、ヤマトタケルあるいは白い鳥は、縄文の海を案内するような性質があるのではないかと思う。
というのも、わたしが白く光る人から教えられたのは今後の予定であり、つまり海を移動するルートそのものなのだ。

だいたいこの目黒の一件あたりから、ずっと忠実に、精密に、海を移動しており、すると今後もここから離れられないのではないかと思ったりする。
というのも、離れてしまうと、それまで続けていたことの記憶がぷっつりと切れてしまい、たとえばわたしが今こうして続けているような執筆作業なども、中断する結果になるだろう。

で、最近、左脳と右脳というような脳の右と左の対比について扱ったが、いわゆる右脳、左脳という定義はあまり正しくないと思い、平田篤胤(あつたね)の日本版生命の樹のように、「イザナミ脳」と「イザナギ脳」という言い方をするようになった。

ナミは「波」で波動的。ナギは「凪」で、粒子的。身体全体で言えば、だいたい左側が波動的で、これをドンファン式にはナワールと言う。だいたい右側が粒子的で、これはトナールだ。
ドンファンは、しばしば島と海という対比で説明する。島は海には勝てない。いつかは海の底に沈んでしまうのだ。というのも、島あるいはイザナギ的なものは局在的で、海あるいはイザナミ的なものは非局在的であり、膨大な広さを持っていて、島なんてイチコロだ。

このコントラストを考える時に重要なのは、イザナギとイザナミが別れた「ヨモツヒラサカ」であり、それは海という波動性と、島という粒子性が変換されたり、分離されたり、交流したりする場所なのだ。
日本の伝統的な「坂」という言葉は、裂け目、避ける、さらにはサクラなどにも転じるのだが、物質体に亀裂が入ってエーテル体が侵入してくる場所でもある。

渋谷のスクランブル交差点は、縄文の海の深い部分らしい。わたしはここで、折口信夫の言う「灌木」を見たが、それは針金のように細い女性の姿で、かなり疲れている様子だった。
スクランブル交差点から、少し宮益坂寄りに立っていて、映画『バイオハザード』でもスクランブル交差点で怪物が登場するが、中島美嘉の顔をしているわけではなかった。

このように縄文の海、川などの要所要所にその地域の特性を象徴するかのような守り神がいて、以前はわたしはこれを大地母神だと思っていたが、そうではなかった。
それは大地に接触していない、海の存在なのだ。小型イザナミと言えばいい。
新宿十二社で交通事故にあったが、一年前に夢で予告されていて、これは新宿中央公園がかつて池だった時に、そこに主のように住んでいた大蛇である小笹がしかけてきたものだ。いや住んでいたというのでなく、今も住んでいる(中野長者の娘)。

で、こんな古い話をたくさん思い出して、今書いている理由は、最近夢を見て、渋谷の高層ビル建築はいまやしっかり時代遅れで、渋谷には新しい試みとして、3つほど村が作られているのだと言う。
これはダ・ヴィンチの考案したモデルに基づき、夢の映像では、蝶のように右と左のエリアがあり、この左右の力が、真ん中で複雑模様を持って交流する。組み合わせ方に妙味があり、3つの村はこの組み合わせ方が違うというものだ。ヴェシカパイシス(神聖幾何学)なのかというと、ちょっと違う。

もちろんこの右のエリアと左のエリアは、イザナギ的、イザナミ的なものであり、真ん中で組み合わせるところが、いわばヨモツヒラサカだ(脳梁?)。

日本で高層ビルを建築するのは、イザナギ的な要素を強めて、できるかぎり縄文の海からは距離を離そうとする試みだ。しかしながら、渋谷というとてつもなく怪しい場所では、イザナギ的な要素を強めすぎると、バランスを取ろうとして、イザナミ的な勢力が背後からどんどん力を強めてくる。
ダ・ヴィンチ的モデルは、この両立をしようとしている。というより、その組み合わせ以外に面白いものを作ることはできないと考えているのだ。
小さな意味では、これは左脳と右脳をつなぐという意味だ。

ここの読者のほとんどが知っているように、ヘミシンクとか、バイノーラルビートは、左脳と右脳を同調させることで、無意識にある情報が、盛大に言語的領域に持ち込まれる。そこにはわくわくする面白さがある。そういう坂としての村を渋谷に作るのが、最新の都市設計だと言うのだ。

そもそも日本では、土地の精霊としてのゲニウス・ロキを無視して、建物を建てる。紀伊藩の墓地に穴を開けて作った千駄ヶ谷トンネルなども、結果的にかなり歪んだ空間になる。
イザナギ、イザナミの共存を考えておらず、一方的にイザナギを強調するのだが、もちろんそうすることで、反対に、イザナミの作り出す影は濃くなってくる。

人は見落としが増え、人格は狭量になり、犯罪に走りやすくなる。最近の、あおり運転の話を聞いても、いったい全体、何を考えているのだろうと思う。
あなたたちはそこまで暇なの? イザナミを意識的にとらえず、まったく知覚の埒外からエネルギィだけが侵入してくると、人生は破壊されるのでは? 

イザナミの無視された恨みというか、呪いは半端ではない。わたしからすると、そのようにイザナミを無視して作った場所は、逆に歪み空間として、つまりイザナミの侵入地点としての「脆弱な縫合部」として、リーズナブルな場所だと感じる。
わざわざ扉を開けてくれた。ただし、ここで多くの人が意識の断絶を起こすので、うっかり扱うと、なにかと事故は起きやすい。

土地になんか関心がないのに、どうしてこんな夢を見るのだろう。でも、目黒、原宿、千駄ヶ谷、新宿、今いる代々木など、ずっと「縄文の海」に関わっているので、「渋谷のことなど知らない」と言えないのかも知れない。「今も半身浸かっているじゃないですか」と言われると思う。

正直な話でいうと、宇宙人はこの縄文の海に降りてくる。彼らは固い大地に降りてこない。正確に言えば、惑星人としての宇宙人でなく、恒星から来た宇宙存在は、海の上にしか降りることができない。ヤマトタケル、ファクトは、この海の中でわたしに説明していた。

中沢新一説だと、住居は高いところに、そして商売とかビジネスは、縄文の海でするのがいいという話だ。かつての縄文の海は、ほんのり湿った土地。
住居から事務所に移動する道の途上、すなわち「坂」で、わたしはよく謎の存在と出会う。道の途上で待ち合わせをして、それから事務所に一緒に行く。

謎の存在は人間の形をしておらず、しかもかつて一度も人間になったことがないというものだが、こういうのが一番馴染みやすい。
かつて人間だった存在は、人間的感情を残している場合もあり、そうすると、宇宙法則を純粋に考える行為に対してノイズを乗せてくる。足を引っ張る要素が強く、あまり協力的でない(彼らは単に甘えているだけだ)。

いまや、こうした宇宙存在や応身とのかかわりなしでは、わたしは生きていけないので、重大な協力者とも言える。

今日の夢、さきほどの夢では、わたしはこのいまの人生に40パーセントしか入っていないらしく、残りのリアリティは、別の世界にある。
こことは違う雑誌のインタヴューで、「秋山真人氏は、故郷のカシオペアと大型母船と地球の3つに同時にいると説明していた」という話を又聞きした。わたしはその時、自分ならその大型母船は「中2階」と呼んでると言ったのだが、最近、この同時に複数の場所にいるという話題をもっと盛り上げたいと思っている。

理想としては、タロットカードの「20審判」のカードに基づいて、マックス20箇所だ。このカードでは死者が蘇る、すなわち、時間を過去、未来に自由にアクセスできる。“時空のランダムアクセス”がこのカードの本質で、タロットカードって、よくもこんな高度な話を持ち出すもんだと感心している。

渋谷の新しい村は、これらを行き来する迷路を作り出している。
迷宮都市渋谷。そこは複雑な水路があるベネチアのようで、水に浮かぶゴンドラ、最近のわたし夢では、アヒルボートが、よたよたのんびりと迷路を移動する。セレナーデ歌ってほしい。

渋谷のスクランブル交差点にいる守り神、水の神は疲れていたが、きっとこの新しい村計画が進むにつれて、溌剌としたものに回復すると思うが、しかし元気なイザナミなどというのは、誰も想像できないでしょう。
元気というのは、イザナギ的に人格を閉鎖した時にのみ得られるものであり、水に溶け込んだ存在とは半分死んでいて、活力のかけらもないというのが正解だ。

ならば、“スクランブル交差点の女神は、もっと怖くなる”というのがいいのでしょうか。
ハロウィーンの混乱を制覇できるとしたら、それはイザナギが勝利したということになるが、こちらを抑えると、あちらが爆発することになり、まとめられない。

 

「縄文の海」について書いている記事はこちら

 

 

松村潔
まつむらきよし/1953年生まれ。占星術、タロットカード、十牛図、エニアグラム、ライフシンボルなど、 いくつかの手法を活用して講座・研究会などを開催。アカシックリーディング等でも、タロットカードや占星術を併用すると安定性が高いという考えから、ツールの複合性を提案している。『わたしの運命がわかる地球星座占い』(角川書店)、『ディグリー占星術』『三次元占星術』(以上、説話社)、『土星占星術講座』(技術評論社)など著書多数。
http://www.tora.ne.jp/

 

 

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秘教の体系と神秘体験から見出した不死の身体とは
松村潔著/ナチュラルスピリット

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