こんにちは。悟りをテーマに活動している、ドルフィニスト篤です。
今回も、私の師匠であるマスター・ゲート氏の教えを交えながら、日常の中で目覚めていくためのポイントを、悟りの観点から綴っていきます。
尊重し合いたいのに思うようにいかない人間関係
私たちが日々過ごす中で、問題になることのほとんどが人間関係です。
大切な家族と愛し合いたい、尊重し合いたいと心の根底では誰もが思っています。
しかし、いざ一緒に暮らしていると、日々の時間の使い方や価値観、好みの違いなどが目に付き、相手を否定したくなったり、正したくなったりするものです。
奥さんが旦那さんに対して、「子育てを手伝ってくれない」「お皿を洗ってくれない」「気持ちをわかってくれない」など、望みが叶わないことの不満や怒りを抱えているという声はよく聞きます。
会社や組織の中でも、お互いに気持ちよく仕事をしたいと望んでいるはずですが、方針や意見の違いや性格的な相性などで、問題となることはよくあることです。
お互いの良さも理解し合っているのに、受け入れられないことばかりがどうしても気になり、ついつい相手の陰口を言ってしまうものです。
このように、根底ではすべてを受け入れたいと望んでいるのですが、実際は受け入れられない表面的な問題ばかりに影響を受け、囚われてしまうのです。
意識が成熟すると多様な価値観を尊重できる
前回、「観点」の重要性についてお話ししました。
私たちは、「これが絶対だ!」と、ある一つの観点に陥っているとき、それ以外を受け入れられなくなり、思考が偏り、硬直してしまいます。
「このやり方が一番いいんだ!」と固執するほど視野が狭くなり、無意識のうちに自分の観点以外を否定し、排除したくなってしまうのです。
こんなときには、柔軟になれないために、出来事のささいな面に引っ掛かりやすくなり、影響を受けやすく、囚われがちになります。
本人は一つの観点に固執し、確信を持っているため、強い信念を貫いているつもりだったりするのですが、実際は突発的な現象に左右されやすく、脆く、傷つきやすくなるのです。
例えば、誰かからちょっと怒られたり、嫉妬されるだけで「自分が悪いんだ」とひどく罪悪感を持ち、長い間引きずってしまったり、カッとなって相手を攻撃してしまいます。
恐怖から自分を守ろうとして、一つの観点に硬直していくとき、次のように発展していきがちです。
●自分を正当化して、自分の観点に相手が合わせるべきだと考え、相手をコントロールしようとし、傲慢になっていくケース。
●反対に、相手が合わせてくれないためにふてくされて、自分の殻に閉じこもっていくケース。
どちらのケースでも、相手が敵に見え、相手のことが理解できずに、許せず、不寛容になり、排除したくなるのです。
そしてそのような状況は、不調和・不公平で問題ばかりのように見え、結果的に、不平不満や怒りなどの様々な感情を体験することになります。
このように、一つの観点に硬直しているとき、表面的なことに囚われるので、不平不満や怒りなどを体験し、当然のことながら、感謝することがなかなかできなくなります。
「私は不足している」という観点に硬直するときにも、当然のことながら私に対して感謝できません。
自我の殻を取り払い、ハートを開くことが「私」を成熟させる
マスター・ゲート氏は、次のようにおっしゃいます。
私が真実を知ったなら、その次に私は真実を理解しなければいけない。
そして、私はその理解を通してこの上なく楽しくならねばならず、またその楽しさを通して私は本当に幸福であらねばならず、その幸せを通して私は絶対的に満足しなければならない。
そして、その満足を通して私は限りなく感謝しなければならない。これは、そういった状態が私をそのような過程へと自然に導くということであって、このように感謝しなければならないというのは、ただの言語上の表現でしかない。
知識と理解と楽しさと幸福と満足を通して満ちたエネルギーが、私から溢れ始めるときに起こる思いが、感謝なのだ。感謝のエネルギーは、私の枠と私の限界を取り除く。偉大な聖者や師匠たちは、ある特別な因縁からそうした境地に到達したのでも、神の祝福を受けたのでもない。
彼らは自分をとても大切に思って、愛と慈悲、許しと包容で自分をずっと成長させ、成熟させ続けた。
彼らは自分のために献身した。
彼らは自分のために何が最も必要で、自分が何をすべきかを知っていたので、自分を大切に育てたのだ。
「私を愛する」というと、「利己的になるのでは?」と、罪悪感を覚える方がいらっしゃると思います。
なぜそのような誤解が生まれるかというと、自我の安全や安心のために、恐怖から自分を守ることが、自分を愛することだと勘違いしてしまうからです。
もちろん、私を守るために一時的に殻に閉じこもって、他から距離をとることが必要なこともあるので、悪いことではありません。
しかし、私を愛することは、自我の殻を取り払い、ハートを開いていくことによって、私を成長・成熟させ、育てていくことなのです。
それは、一つの観点に固執して、他を排除することではなく、その観点を手放し、受容、包容、許容していくことです。
そのとき、利己的ではいられないでしょう。
本当の私を無条件に信頼し、それに目覚めていく
このように「私」を愛することを通して、「私」を幸せにし、満足させて、成長・成熟させたとき、本当の「私」(本性)に対する確信が満ちてきます。
なぜなら、成長・成熟していくことは、恐怖から自分を守ろうとして硬直してしまった幻想の観点を手放し、何も掴む必要がない本当の私(本性)を無条件に信頼し、それに目覚めていくことだからです。
その結果、出来事の表面的なことに引っ掛かることなく、影響を受けずに流すことができるようになるのです。
他人と意見が違ったとしても、その人を排除するのではなく、相手を理解し、包容することが自然にできるようになります。
誰かから怒られたり、嫉妬されたり、憎まれたり、恨まれても、怒りや嫉妬、憎しみ、恨みを受け取らないで流すことができ、罪悪感からも解放されます。
そして、今まで敵が存在しているように見えていたとしても、それが消えていきます。
このように、本当の私(本性)を受け入れ、認め、許していくことで、現象界に拘束されることなく、解放されていくのです。
「私」を愛することを通して、成長・成熟させ、ある臨界点を超えたとき、ただ存在するだけで自然に感謝が溢れてくるようになります。
私たちは、「誰かにしてもらったこと」に対して感謝することには慣れていますが、「対象に対する感謝」ではない、無条件の感謝には慣れていません。
しかし、本当の「私」は本来、感謝そのものであり、その感謝を思い出すことによって、観点、立場、対象といった二元性が消えていきます。
絶対的に存在しているように見えた二元性が、影のような幻想だったことがわかるのです。
「私は不足している」という錯覚も終わり、自我という限界が消滅し、完全に自由になります。
儀礼的にしたり、表面的にとりつくろって、成長・成熟した大人のふりをしても、感謝は湧いてくるものではありません。
小手先で相手を理解し、包容しようとしても、それを永遠には続けられず、いつか限界がきて破綻するでしょう。
感謝は言葉でも形でも行動でもなく、もっと本質的なものだからです。
ドルフィニスト篤
ドルフィニストアカデミー主宰。京都大学理学部物理学科卒業。京都大学院理学研究科物理学専攻、修士課程修了。2001年より、イルカのスピリットをチャネリングする綾子夫人と共に、イルカのように生きる「ドルフィニスト」を提唱し、全国にて講演活動を行い、人々の目覚めやヒーリングに従事する。現在は悟りのコミュニティにおいて、鋭い論理と慧眼で悟りへと導いている。著書『悟りハンドブックー〈私〉を思い出すこと、それが悟りです!』(ナチュラルスピリット)。
ドルフィニストアカデミー
http://www.dolphinist.jp/
http://iru-iru.jp/
『悟りハンドブック』
ドルフィニスト篤著/ナチュラルスピリット
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悟りのマスター、マスター・ゲート氏の活動情報はこちら
101キャンドルライト
http://101candle.jp/
『悟りの錬金術』
マスター・ゲート著/アン・テファン訳/ナチュラルスピリット
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