こんにちは。悟りをテーマに活動している、ドルフィニスト篤です。
今回も、私の師匠であるマスター・ゲート氏の教えを交えながら、日常の中で目覚めていくためのポイントを、悟りの観点から綴っていきます。

子どもの価値観が教えてくれること

読者の方々の子ども時代の遊びと言えば、缶けり、砂遊び、ブランコ、すべり台、ジャングルジム、ブロック遊び、ママごと・・・でしょうか。
最近の子どもの遊びは、ネット時代とコロナ禍の影響で、ゲームやYoutubeを見ることが多いようです。

子どもはもともと自分の世界観を持っていて、イメージしたその世界の中で遊んでいます。お姫様ごっこやヒーローごっこなど、想像力を膨らませ、遊びと同一化して夢中になることができます。

大人は、子どもの世界観を共有して一緒に楽しく遊ぶこともできますが、現実を完全に忘れ去ってしまうわけではありません。子どもの世界観だけに没頭しない、醒めた自分がいることを知っています。
子どもが遊びに夢中になれるのは、それだけ自分の世界観と同一化し、その中に陥ってしまうからです。

大人は、子どもの遊びに付き合えない時があっても、付き合えない自分が悪いとは思いません。子どもの世界観を否定せず、彼らのありのままの状態を尊重しています。
なぜなら、「子どもの世界観だけが世界のすべてではない」と確信しているからです。

大人と子どもという構図は、様々な示唆を与えてくれます。
子どもが遊びに没頭したり、一つのことに妄信的になって自分の正しさを主張して喧嘩になったり、傲慢になって親が手を焼くのは、よくある話しです。
それだけ子どもは自分の観点が絶対的だと思い込みやすく、視野が狭くなり、自分の価値観が絶対だという思いに陥ってしまいがちです。これは、大なり小なり、大人にも当てはまることですが・・・。

意識が成熟すると多様な価値観を尊重できる

大人と子どもの違いがあるとすれば、大人は自分だけが正しいのではなく、人それぞれ違った価値観を持っていることを知っていることにあります。
それは、子どもよりもたくさんの経験をしているからです。

見る人がいれば、見られる人がいる
話す人がいれば、聞く人がいる
与える人がいれば、受け取る人がいる
売る人がいれば、買う人がいる
教える人がいれば、教わる人がいる
勝つ人がいれば、負ける人がいる
攻撃する人がいれば、防御する人がいる
コントロールする人がいれば、コントロールされる人がいる
上司と部下
先輩と後輩
大人と子ども
加害者と被害者

すべてのことは、片方だけではなく、両方の立場があって成立している──。そのことを、大人は体験を通して知っていて、さまざまな立場での価値観や感情を理解しています。

このようにあらゆる立場を経験し、反対側の立場にいる人の価値観や感情を思いやり、理解できるようになることで、意識が成熟して、一つの価値観だけに偏りにくくなってきます。

場合によっては、片方の立場にい続けることが求められるために、一つの価値観に偏るときもありますが、それは一つの価値観に過ぎないことを自覚していられます。
また、特定の立場や価値観を軽蔑したり、排除せず、尊重できるようになります。

自分は絶対的だと考えると人生は苦しくなる

マスター・ゲート氏は、次のようにおっしゃいます。

なぜすべてのことを、いつも自分の中の観点に閉じこもったまま解決しようとするのですか?
それを見つめる観点に行ってみてください。
苦しいのも結構です。
その苦しいのを見てください。
みなさんにはそれができます。

「おっ!これはできませんが?」
それなら、できないそれをまた見てください。
「これはとてもありえません」
それなら、ありえないと思っている自分を見てください。
すべてできます。
私にできることがみなさんにできないわけがないでしょう?

観点を主張すること自体が、その観点を捨てられるという証拠です。
観点にとらわれるのは、みなさんが観点から抜け出せるということです。
この言い方はあいまいでしょうか?

みなさん、違います。
何があいまいですか?
あいまいだということは、みなさんが確然としたものにもなれるということです。
こんなふうに、どんどん今の位置から跳躍してください。
その中で解決しようとしないで、そこにとらわれたままでいないでください。
これは実に重要な話です。

観点は、「私・個人」が観ている主観に過ぎません。
どんなに客観的に見えても、それもまた、離れたところから見た観点の主観でしかありません。
それは、過去の経験を通して取り入れてきた価値観や、考え方が土台となって構成された集合体であり、そのフィルターを通してあらゆる現象を観ています。

そのため、「自分の観点は真実だ」と信じていますが、物事を偏った視点からしか観ることのできない、視野が狭くなった状態です。
自分ではそんなつもりがなくても、その観点に縛られ、別の観点を持つことが難しくなります。
それによって、他者との違いばかりが目につき、批判・否定したくなり、価値観の衝突や苦しみや葛藤を生み出すことになるのです。

すると、苦しみの多い、硬直した人生になってしまいます。
禅で言うところの「自縄自縛」です。

自我の観点を超えて柔軟で自由な観点へ

ここで重要なのは、自我が主張する観点は、一つの観点であり主観であり、幻に過ぎないということです。
どんなに客観的に見え、絶対的に見え、正当性があるように見えたとしても、魅力的で真実に見えたとしても──。

私たちは成熟するにつれて、いかなる観点も絶対的ではないことがわかっていきます。それは、子どもが経験を積んで、大人になるようなものです。
絶対的で、真実だと思い込み、縛られてきた観点から抜け出し、すべてを包括し、許容するような観点へと自然に研ぎ澄まされ、シンプルになっていくのです。
それは、解放された、柔軟で自由な観点への変容です。

私たちは、前世において縛られてしまった観点を解消するために輪廻しますが、生きている間にその観点から抜け出せれば、輪廻する必要はないのです。

究極的には、「私・個人の観点」「自我の観点」が削ぎ落とされて、いかなる限定もなく、自由で、神としての観点そのものとなるのが悟りです。

 

ドルフィニスト篤
ドルフィニストアカデミー主宰。京都大学理学部物理学科卒業。京都大学院理学研究科物理学専攻、修士課程修了。2001年より、イルカのスピリットをチャネリングする綾子夫人と共に、イルカのように生きる「ドルフィニスト」を提唱し、全国にて講演活動を行い、人々の目覚めやヒーリングに従事する。現在は悟りのコミュニティにおいて、鋭い論理と慧眼で悟りへと導いている。著書『悟りハンドブックー〈私〉を思い出すこと、それが悟りです!』(ナチュラルスピリット)。

ドルフィニストアカデミー
http://www.dolphinist.jp/
http://iru-iru.jp/

『悟りハンドブック』
ドルフィニスト篤著/ナチュラルスピリット

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悟りのマスター、マスター・ゲート氏の活動情報はこちら
101キャンドルライト
http://101candle.jp/

『悟りの錬金術』
マスター・ゲート著/アン・テファン訳/ナチュラルスピリット

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