松村潔のアナザーワールド/vol.3 身体から飛び出す夢体験と死後の喪失体験、宇宙人から望まれていること

B!

最近、夢の本を書いたのだが、これは夢見ることでどんなことも可能だということを、あらためて強調したかったからだ。お金をかけてセミナーに参加するよりも、毎日の睡眠を利用して安上がりで済ませよう。
人は死んだ時には、エーテル体は身体から剥離する。しかし毎日眠る時には、このエーテル体は肉体から離れることはなく、アストラル体が身体から離れて旅をする。アストラル体はエーテル体のレールの上を移動する。死んだ時とただ眠った時の違いはここにある。
また、眠っている時には、エーテル体は身体と糸で繋がっているので、夢体験はたいてい起きている時に記憶したイメージを借用する。
しかしながら、エーテル体は局在としての肉体と非局在の間を繋ぐので、眠りが深くなるにつれて物質的印象はどんどん壊れていき、起きている時に記憶したイメージも、そのもとのイメージから遠く離れて象徴的なものに変化し、夢は素材を思いのままに切り刻むというところだ。

死んでエーテル体が肉体から離れた時には、この地上で記憶したイメージは使わなくなるので、人間の身体の形さえ急速に失われていく。生前親子だったりしても、親が死ねばその直後から親と子の関係は無効になる。地上の特定の時空間とのつながりの糸はエーテル体にあったので、それが切れてしまうと、その後かつて自分が存在していた地球の場所も時も、探し出すことができなくなる。
でも、自我はすでに肉体から離れたので、そのことをまったく気にする様子はない。

で、夢体験は徹底して地上的イメージを伴う象徴を使いまわすので、それはそれで統一的なのだが、わたしの場合、十代の頃から物質世界と夢の象徴世界の中間的なつなぎ目に、宇宙的生命が割り込んで、話を複雑にしてしまうことが多かった。
どうしてこんな面倒なことをしてしまうのか当初は疑問であったが、この場所に割り込んできた宇宙人は、わたしが精神とか意識体とかではなく、生身で宇宙的に移動するという手法をこの地球上で確立してほしいと思っているようだ。
私が確立すると、多くの人がそれを使う。なかなか無理難題だと思うのだが、このくらいでないと面白くないかもしれないと考える。

わたしたちが住む地上は、事物と象徴は切り離されており、互いが干渉しない。そのうえで、このふたつは混ざることなく接合される。木製で組み立てた構造物に椅子という象徴的な意味を与えるが、象徴はたくさんの事物に乗ることができるので、金属で作った構造物にも椅子という名前を与えることができる。

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