占い師・田中要一郎の占術談義/6回目〈インド占星術研究家〉清水俊介:インド哲学の教えでは、サットヴァ性が優位になると、少ないもので満たされる人生になります

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17世紀のイギリスの大占星術師による名著『クリスチャン・アストロロジー』(ウィリアム・リリー著、太玄社)の翻訳を手がけ、ご自身も占い師と風水師としての顔を持つ田中要一郎さん(写真右)。
そんな田中さんが、占い界の重鎮クラスのゲストを招いてスペシャルトークするのが、この企画。
6回目のゲストは、インド占星術研究家であり、英語とヒンズー語も堪能で、博士号(PhD北海道大学)を持つ科学者でもある清水俊介さん。日本人でただ一人、インドにある占星術の専門学校「バーラティーヤ・ヴィディヤー・バヴァン」の卒業生である清水さんと、インド占星術も研究している田中さんが、共通のテーマに話を弾ませました。
2人の占術の専門家による、ディープな世界をお届けしましょう。

1年のつもりが6年も滞在したインド占星術学校

田中 清水さんは、インドにある専門学校「バーラティーヤ・ヴィディヤー・バヴァン」(以下、BVB)の、日本人では唯一の「占星術の専門コース」の卒業生ですよね? そのコースは、K・Nラオさんという偉大なインド占星術家が、先生を務めることで有名ですが。

清水 はい、そうです。BVBはインドの伝統文化を教える私学ですけど、インド建国よりも歴史の古い、由緒ある学校です。
その学校には、いろんなクラスがあって、ヨガや日本語コースもあります。僕は英語とヒンズー語が少しできるので、「日本語をウチで教えないか?」なんて言われましたけどね(笑)。

田中 そういう感じなんですね(笑)。卒業してからは?

清水 卒業して、さらに、BVBに居座りました。授業に出たり、ラオ先生の助手をしたりと。
最初は1年の留学予定だったんです。でも、先生から学ぶインド占星術があまりに面白くて、帰れなくなってしまい、2008年末から14年まで、合計6年間いました。

田中 えー、そんなにいらっしゃったんですか(笑)。

清水 人生を捧げてしまいました(笑)。僕の目的は、ラオ先生の本を翻訳したかったんです。彼をリスペクトしていましたから。
ただ、「占星術をしっかり修めないで、中途半端な知識のままで翻訳するのは難しいだろうな」と思ったので、とにかく1年だけ、BVBに留学しようと決めたわけです。

田中 なるほど、そうだったんですね。

清水 現地でラオ先生に、「先生の本をすべて日本語に翻訳させてください」って言ったら、「ちょっと待て」という雰囲気だったので、テーマを変えてこう言いました。
「1年だけ勉強しますので、先生のアーチャリア・クラスに入れてください」と。

田中 「アーチャリア」って何ですか?

清水 アーチャリアは日本語では「阿闍梨」のことで、マスターという意味です。BVBは2年制で、2年目の上級コースにあたります。アーチャリアを卒業できると、資格みたいなものとして日本では権威にもなるので。
「アーチャリア・クラスに入れてください」」なんて、今考えれば、あり得ない発言ですよね。僕が受けた待遇は、今後もあり得ないほど異例なことでした。なのに、なぜか「いいよ」って言われて。

田中 1年飛ばして、飛び級だったんですね!

清水 それで結局、アーチャリアを学び終えることができました。「ジョーティシュ・アーチャリア」というタイトル(称号)が欲しかったのもありますが、実は1年目は本からでも学べる内容で、2年目のアーチャリアは学校でしか学べない内容だったんです。
そのアーチャリアを終えた翌年、滞在をもう1年延期することにして、1年次のアランカー・コースに在籍し、コースを取り直しました。

田中 特別待遇を受けたことに対し、周囲のインド人からのやっかみはありましたか?

清水 やっかみはむしろ、別のところでありました。クラスの中で、僕はノートパソコンを持っていたけど、みんなは持っていなかったので。

田中 え!? 10年前は、インドではそういう状況なんですか?

清水 ええ、10年前はそんなものでした。最初の頃は、ラオ先生と僕しかノートパソコンを持っていなかったので、「お前、いいな」とやっかまれて。でも、僕が日本に帰る頃には、みんな持っていましたけどね。

田中 その後、ラオ先生を日本に招いたんですか?

清水 僕ではなく、僕が日本に招いていたビサリアさんというインド人の占星術家が招いてくれました。
「そろそろ、Mr.ラオを日本に呼ぶ時期だ」とおっしゃって。

田中 そうだったんですか。ラオ先生の来日は2012年のことですよね。僕は2011年から、ビサリアさんの授業に参加していたんです。

清水 そうだったんですね。ちょうどその頃、BVBでも「インターナショナルセミナー」が始まりました。世界中の人を、年に一度、10日間ほど受け入れるコースです。
でも、来たのはロシア人ばかりでした。なぜなら、ラオ先生は90年代後半からロシアに行き始めたからです。ロシア人はけっこう真面目に学んでくれるみたいで、当時のロシア人生徒は教育水準が高く、博士号取得者が生徒50人のうち45人くらいいたそうです。

田中 ええ!? そんなに。

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