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松村さんの好評本!


次元を超えて隣の地球へ
『人間は宇宙船だ』
松村潔著/ナチュラルスピリット
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フラワー・オブ・ライフは、今ではアクセサリーなども多数販売されており、これは神聖幾何学のひとつだと言われている。
わたしはスピカが球体時間ということで、球体フラワー・オブ・ライフについて最近ずっと書いているのだが、球体時間について書くのはまだ時間がかかりそうで、その間は、球体の表面、すなわちフラワー・オブ・ライフについていろいろと書いている。

このフラワー・オブ・ライフで、もっとも重要な項目とは、ふたつの円の、互いの円周が、相手の円の中心に重なるというもので、このふたつの円の間にできた種のような形のものを、ヴェシカパイシス(魚の袋)と呼んでいる。
人によっては、これが宇宙の創造の法則なのだという人もいるが、あまりちゃんとした説明は読んだことがない。これには強度の抽象的思考力が必要で、生活に忙しい人は、これら神聖幾何学を考える思考の暇がないのだ。

フラワー・オブ・ライフの中には、カバラの生命の樹が埋め込まれている。平面フラワー・オブ・ライフを見てみると、だいたい多くの図形では、左右に5つの生命の樹が並んでおり、わたしはこれをひとりの人間(生命の樹)を維持するための最低限の数と説明している。
ただ、これは肉体を持つ一人の個体ではなく、総合的存在性としての最低単位だ。

生命の樹は、中国の太一陰陽五行の図と酷似していると言われ、どちらが先で、どちらがパクったのかが一部で議論になっていた。この太一と陰陽は、生命の樹では、頂点のケテル(冥王星)と、下の左右のビナー(天王星)、コクマー(海王星)の三角形にあらわされ、これを造化三神と言ってもいい。

中国の陰陽魚は、円の中で、黒い魚と白い魚が互いに反対向きに重なっている図なのだが、これは太一という「唯一」のものが、内部的に陰陽に二極化した姿だ。創造というのは、このように内部分割によって生じる。
しかし、陰陽に二極化しても、もともとの太一が失われるわけではなく、法則説明の時に、よくある話だが、太一と陰陽をあわせて、3の法則が成り立つと考えられる。
これがグルジエフの言う、法則3のアヨコスモスのことでもあり、そこからすると、もともとの太一は、法則1のプロトコスモスということになる。ブラフマンと言ってみたり、1なるものと言ったり、絶対と言ったりする。

サンキヤ哲学では、無としてのプルシャが、有としてのプラクリティを「観照」することで、プラクリティの内部にある3の法則であるトリグナが不均衡になり、これが下なる世界を作り始める。
でも、3の法則とは、もともとの太一と、その内部分割の陰陽の合計を示すので、サンキヤ哲学の、プラクリティの中にある三つのグナという説明には多少矛盾がある。
トリグナのひとつは、プルシャのことなのだ。それに陰陽を足して、トリグナになるのだ。

生命の樹の頂点の三角形を見てみると、中心にケテルがあり、その下の陰陽とも言えるビナー、コクマーは、円周に配置されている。円の中心点を本質、あるいは意識。円周を、質量性、あるいは対象と考えることができる。
太陽にとって質量性としての惑星は、中心点の太陽の周りをぐるぐる回っている。意識は対象に投射されないことには存在できないという理屈からすると、太陽は、惑星を対象として、自分を維持しているのだ。

トリグナは、純質としてのサットヴァ、激質としてのラジャス、鈍質としてのタマスでできている。各々の関係は不均衡で、均衡を取り戻して、この純質としてのサットヴァに回帰すれば、そのまま無としてのプラクリティに戻ることができると言われている。
ラジャスは大変に能動的で、これは生命の樹の右の柱を作り出すと考えてもいい。すると、受け身で、自分から何もしないタマスは、生命の樹の左の柱を作り出す。

この最初の円には、下位の円が従属するが、もちろんヴェシカパイシスを介して、この下の円は上の円に食い込んでいる。生命の樹でいうと、この次の下の円は、中心にダート(土星)があり、最初の円と同じような構造として、下の二極化として、円周に、ケセド(木星)、ゲブラー(火星)が形成される。

サンキヤ哲学では、プラクリティのトリグナは、不均衡によって、次に、ブディ(覚)、アハンカラ(自我)、マナス(思考)を生み出す。
これは生命の樹で考えると、最初の円に対する、下位の二番目の円だとみなしてみよう。純質のサットヴァに対応するような性質が、ここでは純粋知覚としてのブディであり、もちろん円の中心に当てはめることができる。

この直覚としてのブディは、根拠のない中空の知覚だ。
現代人のほとんどは、このブディの知覚意識については理解できない。何か考える時、何かを参考にしたり、反対材料にしてみたり、類似性を求めたり、ともかくエビデンスを必要としており、中空でただ一人、こう考えたということはあまりにも不安で、すぐに取りこぼしてしまう。

でも、夢ではこのブディ意識は比較的積極的に発揮されており、夢の体験というのは、何もかもが根拠のないものだとみてもいい。
わたしは恒星探索を、夢でしてほしいと推薦しているが、そもそもブディは、マクロコスモスの恒星意識のことを指しており、恒星は、どこかの天体の周りを回っているわけでもなく、暗闇の中でただひとり輝いているものなのだ。
誰かに自分の存在を証明してほしいとは要求していない。

ブディ意識は、その根拠を後づけで作り出す。まずは直接こう考え、次に、それを説明するために、質量性として、円周に、アハンカラ(自我)とマナス(思考)を生み出すのだ。
右の柱側なのか、左の柱側なのか、考えてみたが、自我は主張する。そして、この主張を応用的にさまざまに小分けしたものが思考だとすると、アハンカラは右の柱にあり、これは火星に対応するものかもしれず、マナスは左の柱で、木星に対応して、増えていくものだ。
木星は時には図書館などに象徴化される。というような固定的定義は、実はフラワーオブライフではすぐに覆される。これは生命の樹の左右に、ふたつずつの生命の樹が並んでおり、中心の生命の樹の左柱は、左側の生命の樹にとっての、右の柱なのだ。
球体フラワー・オブ・ライフでは、上下の固定的な意味さえ、反転してしまう。

ここで注意書きが必要だが、生命の樹の左右ということについては、背中に背負ったような形式で考えるので、図の左は右とみなされ、図の右側が左とみなされる。

ものごとの道理、定義、因果などは、一次元的な直線時間においてのみ成立することであり、球体フラワー・オブ・ライフのような球体時間においては、この因果法則は、休みなく異なるものに変換される。
なので、右はこうだ、左はこうだと言っても、これはひとつの生命の樹をリファレンスにした時に成り立つ話で、こうした定義づけはあまりフラワー・オブ・ライフ的ではない。

生命の樹は、冥王星を中心にした円、土星を中心にした円、太陽を中心にした円、月を中心にした円という合計4つの円の食い込みで作られている。
ただし、ここでひとつ疑問となるのは、一番下の月を中心にした円では、円周にマルクトという物質界、あるいは大地があり、これが月にとって、質量性、周縁性、いわば月の園の「柵」を示すことは納得できるのだが、すると最初の冥王星を軸にした円では、冥王星のさらに上に、頂点的な円周のポイントがあり、月にとって地面のような、冥王星にとっての端っこは何かということだ。

ヘレニズム時代の宇宙像では、太陽系の惑星を超えると、恒星天としての第八天が想定されている。なので、この頂点に恒星をひとつ当てはめてみるのがいいのではないか。
そもそも冥王星は、楕円軌道を持ち、これは太陽系の外の影響を取り込む呼吸作用をしているとも受け取れる。冥王星は外のものを取り込むという点では、たとえば、身体では、外のものを取り込んだり、外に排出したりする穴はみな冥王星象徴だ。食物を食べる口、外界を見る目、音を聞く耳、排泄器官などは、みな冥王星の意味だ。

カバラ結社は、組織を構成する位階をこの生命の樹の通りに作り上げた。頂点に存在する神殿のシプシシマスは、ケテルの位置にいるが、同時に、クロウリーの説明では、ここに恒星が重なっている。
だいたいカバラの伝統は、エジプト発祥なので、するとこの頂点的な恒星は、ピラミッドにある穴から推理すると、りゅう座のトゥバンか、オリオン三つ星か、シリウスかだ。
ずっと言われてきたことから考えると、女王の間に通じるシリウス(あるいはイシス)がカバラ結社を牽引してきたと言ってもいい。

ひとつの生命の樹でさえ、このように4つの円で組み合わされているが、フラワー・オブ・ライフは、ヴェシカパイシスつながりで、横にも円が重なっており、この各々で、中心的なものと、周縁的なものの結合があり、しかもここで注視すべきなのは、ある円においての中心、本質は、隣の円においては、質量性に置き換わり、また質量的だったものは、隣の円では、中心に入れ替わるということだ。
中心と周縁性を、主体と客体と置き換えてもいい。十牛図では、第八図で、主体と客体が溶けあったり、入れ替わったり、あるいは主体の複数化が進行するが、ヴェシカパイシス的だ。

ずっと昔、ヘミシンクを聞いていた時、ゲートウェイというCDでは、ガイドを作りましょうというテーマがあったので、毎日、三人のガイドを呼んでいた。
でも、ある日、この三人は姿を消してしまい、そのことについて、スピリチュアル・リーダーのような人に、彼らをガイドにできないのかと質問したら、身体に食い込んでいるので、ガイドは無理だと言われた。

いまでは、これは明確にわかることだが、わたしの半分あるいは三分の二のボディとして、アルニラムのボディがあり、ある時期までは、これを外的なガイドとしてアクセスしていたのだ。
フラワー・オブ・ライフでは、左隣の生命の樹は、中心の生命の樹の中央の柱に食い込んでいる。さらに左隣は、右の柱が、左の柱に食い込んでいる。
ガイドとして考えると、何か質問して、それに答えてくるということだから、これは本人の受容的な左の柱に対して、ガイドが能動的な右の柱としての働きかけをするという点で、少しだけ距離の離れた生命の樹だが、いよいよ身体の中枢(中央の柱)に重なってくるという、ま隣の生命の樹に移行した段階で、ガイドではなく、自分自身の存在性になる。

誰でも左右に、生命の樹が重なっており、これを前世記憶と思う人もいるが、ならば、来世記憶もあるはずで、左にふたつ、右にふたつ、合計で5つの生命の樹がある。
これらが休みなくコミュニケーションを取っているのだが、ギリシャ時代以後、地球人類は、個体という、ひとつの生命の樹に閉じこもることを学習して、左右にある生命の樹の声を聴かなくなった。
個人自我をオープンにすると、これらはいつでもやってくる、というよりは、自分自身に食い込んでいる。

ヒプノポンピア(半覚状態)では、わたしは自分が4つの手を持っていることに驚いたりしていたが、ギリシャ時代以後の教育、あるいはさらに、近代以後の機械論的自然観によって閉じ込められた個人自我は、本来の人間、フラワー・オブ・ライフ的生き方に戻すために、ずれて重なるボディを思い出すのがいい。
これらは空間的に重なっていることもあれば、異なる時間軸にいたり、またシルバーコードを細く長くすることで、ある程度距離のあるところまで離れたりもできる。

フラワー・オブ・ライフを思い出すことは、人間回復であり、囚人ではなくなることだ。
ルネサンスは、ギリシャ・ローマの文化を復興させる言葉だったが、フラワー・オブ・ライフに戻すことは、ギリシャ・ローマが没滅してきたエジプト以前の自我構造をルネサンスすることだ。

 

松村潔
まつむらきよし/1953年生まれ。占星術、タロットカード、十牛図、エニアグラム、ライフシンボルなど、 いくつかの手法を活用して講座・研究会などを開催。アカシックリーディング等でも、タロットカードや占星術を併用すると安定性が高いという考えから、ツールの複合性を提案している。『わたしの運命がわかる地球星座占い』(角川書店)、『ディグリー占星術』『三次元占星術』(以上、説話社)、『土星占星術講座』(技術評論社)など著書多数。
http://www.tora.ne.jp/

 

 

『夢を使って宇宙に飛び出そう』
存在の4つのフェイズを縦横無尽に探究する
松村潔著/ナチュラルスピリット

『分身トゥルパをつくって次元を超える』
秘教の体系と神秘体験から見出した不死の身体とは
松村潔著/ナチュラルスピリット

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