ノンデュアリティの世界は、満たされた愛しか存在しない世界──。そこに身を置いて以来、誰からのものでもないメッセージや、至福に似た感覚が自分の中からよく湧いてくると言う、大和田菜穂さん。
それらのメッセージをキャッチし続けながら、ヨーロッパを中心にライブ形式のセミナーで伝えています。そんな大和田さんの日本でのセミナーの合間をぬって、会場で起きていること、今伝えたいメッセージをお聞きしました。

これは情報ではありません。究極のお知らせです

終わったばかりのリトリートセミナーで、一番多く出てきたのは「これは情報ではありません。究極からのお知らせです」というメッセージでした。
どういうことかと言えば、この二元の現実は〝私〟という中心があって、自分と世界があるという分離の世界ですが、元々は一つの現れです。その世界を、私は〝ここ〟と呼んでいます〟そして、その世界には〝私〟がいません。

つまり、私が会場でシェアするメッセージは、「〝私〟がいない究極の世界からのお知らせ」であって、それは、誰かが理解したことを情報として捉えて誰かに伝えているわけではなく、誰かが聞いて自分の人生に生かすものでもない、ということです。
二元の現実を生きる人間は脳が発達しているために、社会の中で当たり前に情報をキャッチして、それをどう生かすかを考えます。それが定着しているために、わざわざ考えるまでもなくそれをします。
だから、〝ここ〟のメッセージに対しても、量子力学の話などと同じように、よい情報として飛びついたり興味をもったりして、自分の人生に生かそうとするんですね。

でも、〝ここ〟からすると、メッセージは人生に生かすような情報ではないし、そもそも情報を捉えている〝私〟はいません。メッセージも、誰かが言っているわけではなく、〝ここ〟で表面的に見えてくること、湧いてくることを、ポインターとして私がシェアしているだけです。
表面的には私が話しているように見えますが、二元の現実では、誰かがやっているように見えることが100パーセント起きるので、そう見えているに過ぎないのです。

「お知らせ」で脳が機能停止状態になって、何かが揺らぎ出す

究極を言ってしまえば、情報として捉えられてしまうことも含めて、起きていることはすべて完璧です。なので、今伝えたメッセージを聞いたからといって、これ以上変わる必要はありません。
では、なぜお知らせという言い方をするかというと、元々、誰かが聞いているわけではないけれども、もしかしたらどこかで聞こえていて、 〝ここ〟の世界の何かに触れることがあるかもしれない、という可能性を示唆しているからです。

だから、理解ではないのです。理解は1回聞けばそれで済んでしまいますが、そうではなく、「何かわからないけど知っている」「なんとなく腑に落ちる」というところで聞くと、たとえばいつも「こうしたい」と頭で決めながらも変わらなかったのに、特に考えもしなかったある日、ころっと変わってしまう、ということが勝手に起きたりします。
私のセミナーがエネルギー的とよく言われるのは、そういうことだと思います。

実際は、原因も結果もありませんが、表面的なストーリー上でそういうことが起きるのは、セミナー会場でのメッセージが、日常では絶対に触れることのない内容だからでしょう。
日常では〝私〟がすべてを聞いていますが、会場では「〝私〟は聞いていない」というところから始まります。それにより、脳が機能停止状態になって、何かが揺らぎ出すのです。

本を読んでも何かを感じることはあると思いますが、本の場合は読んでいる側の理解の度合いになっていくので、ライブで進行するセミナーと違って、ポイントがずれてしまうんですね。
同様に、「そのままでいい」「今ここしかない」「すべては大いなる意識だ」というスピリチュアルでよく聞く表現も、〝それができる誰かがいる〟という視点で語られると、ノンデュアリティで言っていることとは大きく意味が違ってしまいます。
ノンデュアリティは〝誰もいない世界〟ですから、人間の現実からすると究極きわまりない話ですね。だから、究極という言葉がついつい出てしまいます。

メッセージに触れていくと勝手にどんどん良くなっていく

誤解されやすいポイントでもありますが、このメッセージに触れていくと、どんどんよくなることが勝手に起きます。
何が起きているかを表面的にお話しすると、赤ちゃんの時というのは〝私〟というものを持たずに生まれるので、自分がそこにいるかいないかもわからないし、分離もありません。
ですが、成長するにつれて〝私〟がいろいろな知識を吸収して学び、いろいろなことを現実として捉え出します。集めてきたことが現実になり、吸収したことが真実になるのです。

でも、このメッセージに触れ続けると、それがだんだんと剥がれ落ちるというか、「完全に真実だと思ってきたけれど、実際は違うのかも」と揺らぎ出すことが起こります。
社会で生きるうえで慢性的に持っている緊張感が和らいだり、大きな問題と捉えていたことが、大したことではないと思えることが起きたりします。遭遇している出来事が変わるわけではありませんが、自分の中の深刻さが消えるのです。

子どもというのは、何があるわけでもないのに、楽しそうですよね。
ノンデュアリティのメッセージに触れていると、人生というものに対して知らず知らずのうちにかぶせていた深刻さや重みが剥がれ、何も知らない子どもの頃に返ったかのように、勝手に喜びが湧いてくるようなことが起こるようです。軽やかさが生まれます。
でも、「ノンデュアリティのメッセージを聞くと人生が良くなる」と言った瞬間から、違うものになってしまいます。まるでそこに誰かがいて、その誰かにそれができるといった勘違いが起きてしまうと、再び〝私〟というエネルギーが生まれ、〝私〟そのものでもある求めるエネルギーが再生されてしまうのです。
そうすると、ノンデュアリティのメッセージから、どんどん離れることになります。

〝私〟が究極に求めているのは〝私〟の不在

人はみんな体の中に誰かがいるという感覚があると思いますが、その収縮した感覚が消えて中心がなくなると、まったく違う世界が現れます。
それが〝ここ〟と呼んでいる世界です。特別な感じがするものではないですが、分離の世界とは全然違います。でも、元はひとつの同じものなので、どちらも完璧であることには変わりありません。
〝私〟も完璧な表現です。なので、表現として変わる必要はありませんが、ここで明らかなのは、分離の存在である〝私〟が究極に求めているのは、「自分の終わり」「自分の不在」ということです。
私、大和田菜穂の場合、小さな頃から何をしても消えない居心地の悪さがあって、それが私を探求へと向かわせましたが、その居心地の悪さを感じている〝何か〟の終わりでもあります。

それはどういうことかというと、〝私〟が探しているのは、すでにある愛そのものなんですね。それはいつも〝ここ〟にありますが、〝私〟からすると、永遠に知ることのできない愛なのです。
すでにある愛は、誰かが探し始めると隠れてしまいます。その一方で、〝私〟は個人の幸せを求めるエネルギーであり、次に向かう動きそのものなので、「これじゃない、これじゃない」「まだ違う、まだ違う」と言い続け、まるで究極の愛を避けるかのように次に向かい続けます。
つまり、すでにある愛は〝ここ〟にあって、誰かが知っているわけでも誰かが所有するものでもないために、〝私〟には現れないのです。
このメッセージが正しいというわけではなく、全員に当てはまるというものでもありません。ただ、〝ここ〟からすると、そういったメカニズムが見えるのです。だから〝お知らせ〟という形になります。

苦しんでいる〝私〟が消滅すると無条件の愛の世界が現れる

世の中では、普通に社会で楽しく生きて、ノンデュアリティのメッセージには興味がないという人がほとんどです。
すでにすべてが完璧ですから、それで全然かまいません。でも、人間は行為者なので、たとえば「5分遅刻しちゃった」「書類を間違えちゃった」といった細かなところでも、罪悪感を感じるのは避けられないことです。
良い悪い、正しい間違い、優れている劣っている、といったことが人間の現実には当たり前にある中で、「なんだか疲れたな。重たいな」というのは、気づかないうちに小さな罪悪感といったものが積もり積もって起きているのだと思います。
一見、社会で楽しく生きている人も、気づかないうちに見えない苦しみを感じているのが、〝ここ〟から見えます。本人が気づかないところで、いろいろなことが実は起きているのです。
セミナー会場で、究極からのメッセージが熱く出てきてしまうのは、そういうところに理由があるのかもしれません。

「苦しんでいる〝私〟がいない」というのは、理解することではなく、苦しんでいる〝私〟が消滅することです。苦しみが誰かのものではなくなった時に、無条件の愛しかない世界が現れます。
ノンデュアリティのメッセージとは、そういう世界があるというお知らせなのです。

(この記事を書いた人/佐藤惠美子)

 

大和田菜穂
おおわだなほ/パリ在住。1歳になる前から生きることへの居心地の悪さを感じ、その原因をどこかで探していた。ある日、ノンデュアリティのメッセージに出会い、理由のない居心地の悪さへの理由を見つける探求が始まる。表面的な何年もの探求ののち、突然、不足感を生んでいた幻想が完全に消え、同時に「中心のない全て」が残った。現在、パリと日本を行き来しながら、日本とヨーロッパを中心にメッセージをシェアしている。
書籍『すでに愛の中にある』(ナチュラルスピリット)、『苦しみはナチュラルじゃない』(マキノ出版)、
『愛からのお知らせ』(WAVE 出版)、2018年9月に初の英語本『Between the line』を発売。
https://ameblo.jp/alreadyis/

2019年2月22日〜完全集中リトリートをベトナムの5つ星リゾートで開催!
2月22日から5日間にわたり、ベトナムのニャチャン近郊にある楽園のような5つ星リゾートで、完全集中リトリートを開催します。このリトリートでは、メッセージを深く感じ、Nahoという存在がどのように生きているか、見て感じることを目的としています。観光よりもトークやサットサンにさらに重点を置いた、今までとはひと味違うとても強力なエネルギー的リトリートです。

期間:2019年2月22日〜26日(5日間)
場所: The Anam Resort

<1日の流れの参考>
朝:ヨガとサイレントトーク
午後:リゾートの中でNahoと子供のように遊び、親友のように共に行動します。
夕方:サットサン
夜:星空の下サットサン
※参加者の方は、特別プライベートセッション(30分)を受けていただけます。
※1月22日まで特別価格でお申し込みいただけます。詳細は以下をごらんください。
http://alreadyis.com/vietnamretreat/

『すでに愛の中にある』
大和田菜穂著/ナチュラルスピリット

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