ドルフィニスト篤の「本当の自分と出会う悟りへの道」/vol.23 確実性を捨てて流動性の中で生きる

B!

悟りをテーマに活動している、ドルフィニスト篤です。
今回も、私の師匠であるマスター・ゲート氏の教えを交えながら、日常の中で目覚めていくためのポイントを、悟りの観点から綴っていきます。

自我は確実性のある状態を好む

4月は、年度の始まりで、新しい状況や環境に変わるという方も多いと思います。
また、昨今の世界情勢から、世の中的にも今まで経験したことがない変化が生じてくることでしょう。

自我は、状況や環境が変わると、「大丈夫かな~?」と不安や恐怖を感じて、ストレスを受けます。
慣れ親しんだ状況や環境であれば、その後どうなるか予測がつくので、安心できますが、「今までと違う」と判断した時点で、「うまく適応できるのか?」と心配し、焦ってしまうのです。

このように自我は、“確実性があるものが安心を与えてくれる”と思い込んでいて、それを好んで掴み、執着します。身の回りを確実性のあるもので固めたいと望むのです。
予測できない不確実性の中に身を置くことはストレスを受けるので、そうなることを嫌い、避けようとします。
期待していた通りにならない時も、確実性から不確実性へと突き落とされたかのようなショックを受けます。

自我にはそういう性質がありますが、それが悪いわけではありません。
そんな自我の性質を知って、受け入れながらも巻き込まれずに、自我の主としてどのような選択をしていくかが、大切になってきます。

洞察から得られるすべての現象への解答

マスター・ゲート氏は次のようにおっしゃいます。

真理は、自分が持っている確実性の中にすべてを入れてわかるものではなく、不確実性の中に入ってこそ、わかるものです。

自分の持っている確実性というもの、それは実にちっぽけなものです。
しかも、一瞬で消え失せてしまいます。
なのに、それが確実だと言えるでしょうか?

ですから、果敢に確実性を捨てて、不確実だと思えるものの中に、一度入ってみてください。

熱意と切実さで勇気をださない限り、みなさんは自分の考えの中だけを、延々と回り続けることになります。
何かを捨てようと思ったら、果敢に捨ててください。

みなさんが誰かを見捨てたとしても、その人を本当に見捨てることになるでしょうか?
そんなことにはなりません。
みなさんの考えや思い、対象への執着を捨てることになるだけです。

愛する人に代わって、息を吸ってあげられますか?
代わりに、痛がってあげられますか?
代わりに、死ぬことができますか?
できません。
それなのに、愛する人や何かにしがみついて、生きようとしますか?

人生の師となる先生を探しあてても、彼らに何かを求める必要はありません。
自分自身を正しく見ることができれば、そこからすべての洞察が得られます。

釈尊は、何を見たのでしょう?
あるがままの「生老病死」を見ました。

生まれたことを洞察し、老いを洞察し、病いを洞察し、死ぬことを洞察することにより、それらを見たのです。

簡単すぎますか?

しかし、この簡単なことから洞察が始まって、現れているすべての現象に対する解答を見つけたのです。
みなさんは、生まれたのに生まれたことのない人のようで、老いながらも老いを徹底して無視していて、病気になっても治ったら病気のことなどすぐに忘れて、他人の死は平気で見ているのに、自分にだけは死が訪れないと思っています。

私はみなさんに、火葬場に一度行ってみることをお勧めします。
昔は、棺桶が火葬炉に入れられると、棺が焼かれて、衣が焼かれて、死体が炎の中で焼かれている様子を見ることができました。
さっきまでは人間の体をしていた人が、一握りの灰になって出てきます。
みなさんはこれについて、洞察してみたことがありますか?
肉体と火葬後の灰、その違いは何でしょうか?

実は、火葬場まで行ってみるまでもないことです。
そばで寝ている人を見てください。
その姿はまるで、死んでいるかのようです。

人の寝ている姿を見るだけでも、とても素晴らしい瞑想になります。
瞑想というと、特別な姿勢と形式があるものだと思いがちですが、実は洞察を得るための手段が瞑想です。

自分と人生に対する、洞察!
洞察すれば、自然に瞑想になります。
今すぐ、目の前のことを手がかりにし、深く考えて、洞察を得ることです。

人は、息を吸い込む時にこの世に生まれ、吐き出す時に死にます。
生まれる際、初めて息を吸い込んで、死の瞬間、最後に息を吐き出します。
この観点から見ると、すべての瞬間は生と死が連なっているものだと言えます。

それなのに、なぜ、みなさんはそんなに深刻なのでしょう?

何がそんなにストレスで、何がそんなに大変で、なんと事情の多いことでしょう。
みなさんは、何でも全部、ストレスになります。
悟りでさえ、ストレスになるだけです。
自分をいじめたくて、しかたがないのです。

自我は初対面の人に対して、「この人、どんな人だろう?」と疑心暗鬼になったりしますが、性格がわかると安心します。
自分の中で不確実だったことが確実になると、知識として固定することができるので、安心するのです。

流動的で不確実な状況の中を生きる

ところが、不確実性のものは、流動的ですぐに変化してしまいます。
そのため、“ある瞬間にはなくなってしまう”という危うさを秘めています。
“これが私”と思い込んでいた人格でさえも、次の瞬間には変わってしまう可能性があるわけです。
自我としては、いつ裏切られるかわからないので、嫌厭したくなります。

この物質世界では、自分にとって確実性のあるものが安心できるので、そのようなものが好まれ、依存する傾向にあります。
しかし、それは一時的な安心感に過ぎなくて、本当はいつでも消え去ってしまう、儚いものなのです。

逆に、それが安心を与えてくれると思い込み、執着しがちですが、それによって縛られて、いつの間にか延々と同じことを繰り返すことになります。

本質的なものは流動的で、いつでも変化しうるのです。
「生老病死」は人生に起ってくる現象ですが、そこに本質があるわけではありません。

過去にも未来にも執着せずに、「今」を生きる──。
それは「私」を信頼しながら、不確実性の中を生きるということです。
自我に任せているだけでは、知らず知らずに守りの生き方になってしまいますが、熱意と切実さを持って、確実性を捨てていくということです。

 

 

 

ドルフィニスト篤
ドルフィニストアカデミー主宰。京都大学理学部物理学科卒業。京都大学院理学研究科物理学専攻、修士課程修了。2001年より、イルカのスピリットをチャネリングする綾子夫人と共に、イルカのように生きる「ドルフィニスト」を提唱し、全国にて講演活動を行い、人々の目覚めやヒーリングに従事する。現在は悟りのコミュニティにおいて、鋭い論理と慧眼で悟りへと導いている。著書『悟りハンドブックー〈私〉を思い出すこと、それが悟りです!』(ナチュラルスピリット)。

 

 

ドルフィニストアカデミー
http://www.dolphinist.jp/
http://iru-iru.jp/

『悟りハンドブック』
ドルフィニスト篤著/ナチュラルスピリット

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悟りのマスター、マスター・ゲート氏の活動情報はこちら
101キャンドルライト
http://101candle.jp/

『悟りの錬金術』
マスター・ゲート著/アン・テファン訳/ナチュラルスピリット

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