こんにちは。悟りをテーマに活動している、ドルフィニスト篤です。
今回も、私の師匠であるマスター・ゲート氏の教えを交えながら、日常の中で目覚めていくためのポイントを、悟りの観点から綴っていきます。

傷つくことで傷を再体験し、罪悪感が強化される

前回の記事では、心に負っている”傷”について、ご説明しました。

人は、傷ついた体験を掴んで放さず、何度でも思い出しては再体験します。
それはあたかも、傷を再体験することで自我の存在を確認しているかのようです。

人は、期待を裏切られると傷つきますが、それは裏切られたと勝手に判断して、もともと握っていた恐れや不安に襲われて、再体験したことを意味します。
実際は相手が裏切ったかどうかは関係がなく、その人はやりたいことをして、自由を行使しただけです。

その他にも、自我は誰かに怒られたり、否定されたり、責められることで、恐れや不安に襲われて傷つきます。
例えば、誰かが知らないうちに自分と比較することで生じる、嫉妬やマウンティング。そのような外側からの影響に自我はさらされ続け、嫉妬による他人の怒りが向かってくるように感じると、責められているように捉え、傷つきます。

そして、「私が悪いから、このような体験をしたんだ」と判断して、罪悪感を持ってしまったり、もともとあった罪悪感を強化してしまうのです。

罪悪感が自分と他者を底なし沼に引きずり込む

罪悪感という傷を掴んでしまうと、嫉妬されることを怖れて自分の能力をセーブしたり、「目立たないように」という心の防御反応が働きます。
いつも「私が悪いんじゃないか?」とビクビクして、言動に自信が持てなくなり、自分を責めて傷つけます。
深刻さ、重さ、制限を内側に生み出して、自分の自由を奪い、惨めさを増幅してしまうのです。

罪悪感という傷があり、惨めになっているとき、「あなたも傷ついて、惨めになりなさい」「あなただけ自由は許せない」と無意識のうちにお互いに傷つけ合い、縛り合おうとします。
そして、自分だけではなく、相手が傷ついて苦しんでいれば安心するという、まさに地獄のような状態になってしまいます。

このように傷を連鎖させ、相手を底なし沼に引きずり込み、留まらせようとする心の作用が生じるのです。
それは、ウイルスが人に感染し、蔓延することで生き残ろうとするように、傷が人の自我にはびこり、その中で生き残ろうとしているかのようです。

全体であり、個である「私」という存在

マスター・ゲート氏は、次のようにおっしゃいます。

皆さんはまだ、同時性と全体性というものを理解できずにいます。
それは個体性がある限りは、不可能なのです。
他のことは頭で理解することができたとしても、私が同時性、全体性の話をすると、混乱してしまいます。
「“この人”とは何で、“あの人”とは何でしょうか?」というように、皆さんはまだ個体に留まっているから、全体と個体について理解できないのです。

「”私”と”あなた”とは何でしょうか?」
「”私”とは何でしょうか?」
「”私たち”とは何でしょうか?」

・・・これが、皆さんの理性と知性の限界なのです。

本来、皆さんは全体の経験をしながら、同時に個体の経験もすることができます。
でも、全体の経験をすることができずに、個体に焦点を合わせた経験ばかりをしているのです。
皆さんは全体でありながら、部分なのですが、部分が「私」だと思っています。
同時に経験できずにいるのです。

私は、皆さんが他人に見えません。
私の中の「別の経験体」として見えるのです。
これを理解できるでしょうか?

「皆さんと私は、別だ」と思っているでしょう?
それは錯覚なのです。
私は皆さんが、私の他の姿として見えるのです。
他の経験体として。
だから私にとっては、皆さんが一つの触角として感じられるのです。

ここまでは、理性と知性では解決できないはずです。
自分自身の根源に入らない限り、これを理解するのは難しいのです。

私は車を運転して、すごいスピードで走ったとしても、いつも同じ場所にいるような感覚なのです。
木を見ようが、何を見ようが、それが私の外にあるように感じられず、いつも私の中にあるように感じられます。

虚空にハエが一匹飛び回っているとします。
ハエはこう思います。
「ああ、広大だなあ、ここには私しかいない。孤独だなあ、ここを私一人で飛んでいる」
ところが同じ「孤独」でも、虚空が感じる「孤独」は、このような感じです。
「ああ、私の中に、なぜハエ一匹しか飛び回らないんだろう?」
ハエの孤独さと虚空の孤独さは、完全に違います。

海で波が立つと、水の泡が生じます。
その水の泡、一つひとつが皆さんです。
それが、「私」だと思っています。
それでふと見渡すと、こう思います。
「水の泡は私だけじゃなくて、他の水の泡もあるね。わぁ、あちらにはあんなにたくさん水の泡があるよ」

でも、真実はなんでしょうか?
水の泡はどこから来たでしょうか?
海からです。
海が動き、作用するから、水の泡が生じました。
その水の泡一つひとつは、「ああ、私は誕生した!  創造した! うわぁ、海は広いんだなあ。あっちの水の泡たちをごらんよ」
そのように、数や量があるように錯覚します。

「あちらまでは遠いなぁ」
そうしたら、距離があるように錯覚します。

「ちょっと前・・・。これから・・・」
そんなふうに、時間があるように錯覚します。

時間、空間、距離、量的概念というものは、水の泡の世界でのみ存在するのです。
水の泡の世界のみ、「私という水の泡」「他の水の泡たち」という個体性が存在し得ます。

けれども、皆さんが根源に戻るならば、それらが幻想であることを理解できるのです。
皆さんが海になったからです。
水の泡の世界にいたら、絶対に理解することができません。
けれども、水の泡はどこから来たかと言えば、根源から来たのです。海に例えた根源から。

「他の人たち」「私」
・・・皆さんは、このような二元的なものに陥っています。
これは、完全な錯覚なのですが、皆さんは絶対的に信じています。
だから、混乱するのです。
これらすべては、根源を理解できないために起きてきています。
自分自身の根源を、海を理解できないために。

けれども、皆さんは水の泡の世界にいます。
では、水の泡はどこと連結されているでしょうか?
根源、海と連結されています。
だから、水の泡の中に入ればいいのです。
すると、水の泡は消えます。
そして、皆さんは海になります。

海になれば、すべての水の泡の世界を理解できるようになります。
水の泡の世界で生じる時間概念、空間概念、量的概念、「生まれる」という概念、「消え去る」という概念、「変わる」という概念・・・。
皆さんが考えている、変化、物相、宇宙の変化などすべては、水の泡の世界でのみ存在するのです。
だから、これらは絶対的な法則ではなくて、完全な幻想なのです。

自分は個だと信じることが苦しみを創り出す

自我が傷ついて苦しいのは、自分は個体だと信じているからです。
罪悪感、劣等感、惨めさ、裏切り、被害者意識・・・。
こういったストーリーは、肉体という個体が自分自身であるという錯覚から生じてきます。ですが、もし、傷ついたり、傷つけられたりする「私」がいなければ、傷は存在することができません。
傷つく私は、実はいないのです。

人は、信じて掴んでいるものを体験することになるので、心の傷を固く信じていれば、それはその人にとっての真実となり、心の重さまで創り出し、自分自身を固定してしまいます。
「傷つけられた」という被害者となって、相手を恨み、憎み、復讐する・・・、その原因となる傷を手放さない限り、傷から生み出されるドラマを再現し続け、誰かの足を引っ張ろうとするのです。

本当の自分は決して傷つくことはない

ありのままの自分では不足だという感覚は、心に傷を負っているということです。
期待する側・期待される側、嫉妬する側・嫉妬される側、責める側・責められる側・・・。
作用する主体と作用を受ける対象という二元が存在している限り、自我が存在し続け、立場を逆転させながらドラマを続けることになります。

それを終わらせるには、「私」に何かが向かってきて被害を被ったり、傷つくというのは錯覚で、個体性はもともと存在していなかったと見破ることです。
作用する主体と作用を受ける対象の区別は、本当はなく、どちらも「私」なのですから。

本当の自分は、不安や恐怖とは関係がなく、傷つくことはありません。

虚空のように完全に自由に臨在するのではなく、個体性という拘束を存続させ、凝縮し続けようとするのには理由があります。それは、心に負った傷や不足感や未練などを、自我が掴んで放さず、執着するからです。

悟りとは、個体性とは関係なく、本来の自分は自由そのものであることを思い出し、罪悪感という傷から自由になることです。

 

 

ドルフィニスト篤
ドルフィニストアカデミー主宰。京都大学理学部物理学科卒業。京都大学院理学研究科物理学専攻、修士課程修了。2001年より、イルカのスピリットをチャネリングする綾子夫人と共に、イルカのように生きる「ドルフィニスト」を提唱し、全国にて講演活動を行い、人々の目覚めやヒーリングに従事する。現在は悟りのコミュニティにおいて、鋭い論理と慧眼で悟りへと導いている。著書『悟りハンドブックー〈私〉を思い出すこと、それが悟りです!』(ナチュラルスピリット)。

 

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『悟りハンドブック』
ドルフィニスト篤著/ナチュラルスピリット

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『悟りの錬金術』
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