こんにちは。悟りをテーマに活動している、ドルフィニスト篤です。
今回も、私の師匠であるマスター・ゲート氏の教えを交えながら、日常の中で目覚めていくためのポイントを、悟りの観点から綴っていきます。

神であることは特別な状態を意味しない

前回は、ゲート氏の教えの根幹である「一切唯心造」、すなわち「すべての現実は、私が創り出している」という真理について書きました。
これは別の表現をするならば、本当の私は「神」であり、創造主だということです。

この話を聞いて、「その通りだ!」と心から同意される方もいらっしゃるでしょう。
でも、多くの方がそうとは思い切れない自信のなさを感じると思います。

それは、なぜでしょうか? 自分には人に認められるような特別な能力はないし、神のような特別な存在だとは思えないからでしょうか?

このように私たちは「神」に対してそれぞれ勝手なイメージを持っていて、それに当てはまらないと認められないわけです。
しかし、「神」であるとは実はごく自然なことで、何も特別なことではないとしたら、あなたは拍子抜けするのではないでしょうか?

自分が創り出した火花で火傷をしないコツ

マスター・ゲート氏は、次のようにおっしゃいます。

ライターに火をつけると、火花が散るでしょ?
私たちの考えや感情というものは、このようなものです。
ロウソクの炎のように持続的ではなくて、火をつけた瞬間に飛び散る火花のようなものです。
これが、私たちがいつも悩んでいるところの、考えや感情の実相です。

私たちがそこにエネルギーを注ぎ込むと、火花は炎となる。
それが、理性であろうと、知性であろうと、判断であろうと、実体は瞬間的なものなんです。
私たちの知性・理性というものの実相は、このように、しばしピカッと光る火花のようなものです。
そこで私たちが何らかのエネルギーを供給してあげない限り、刹那の間、瞬間的に存在するに過ぎない。

今、意識しながら呼吸している人はいないでしょう?
皆さんはとても自然に息を吸って、吐いている。
考えや感情というものも、そのように自然にしておかなければいけないものです。
しばしの間、パッと光る火花がそのまま消え去るように、置いておいてあげること。
そこにエネルギーを与えて、炎を創り出し、熱くなる必要はないんです。

そうしたら皆さんは、このように反論するかもしれない。
「人間というものは、何か思考して知性を持つべきで、理性を持たなければならず、判断をするためには、ずっと続けて思考して、また考えて、いろいろ感情を創り出すのが自然なことではありませんか?」。

違います。
それはもともとの、私たちの本来の姿ではない。
私たちは、肉体だけに属している存在ではない。
私たちは精神的な存在でもない。
肉体もあるようにさせ、精神もあるようにさせる、そんな存在なんです。
存在をあらしめる存在。
すべてのことをあらしめる存在、ということです。

でも私たちは、何か創られたもの、が私だと思っています。
創られたもの、私だと思っているものがしていることは何だろう?
いつも考え、感情を創り出しておいて、そこにエネルギーを与え、それで自分自身を火傷させています。
考えの辛さに行き当たり、感情に心を痛めています。
実相はこのように、何でもない火花のようなものなのに──。

だから、流し去ってごらん。
そうした時に、皆さんは真に正常になって、かえって理性・知性のような判断がなくても、本当に本質的な理性を持つことになるのです。

 

私たちは毎瞬、考えや感情を絶え間なく創り出しています。
坐禅を組んでみても、雑念が絶えず湧いてきて、頭から離れなかったり、自分の感情に振り回されてしまうという経験があるのではないでしょうか。

ストーリーの正体は不安や恐怖や欲という、一瞬の火花

日常的に創り出している考えや感情をよく見てみると、何らかのストーリー性があって、その考えや感情はもっともらしく、存在意義があるかのように錯覚してしまいます。
それらに陥り、はまっている時は、そのストーリーがまるで現実に起こっているかのように思えて、疑うことはありません。

しかし、それは妄想でしかなく、後から振り返ってみると、夢のように根拠も実体もなく、大した考えでも感情でもないことがほとんどではないでしょうか?
多くの方が映画やドラマが好きだと思いますが、その理由の一つに、ストーリーが展開することで迫ってくる強烈な感情体験や世界観にはまって、浸りたいという願望があるからです。

そのストーリーをよく観察して正体を突き詰めると、不安や恐怖、欲であることがわかります。

不安や恐怖、欲は、本人にとってはリアルで切実だったりしますが、どんなに大きく、問題に見えたとしても、一瞬の火花に過ぎないものです。
しかし、映画を見る時のように、そこから展開するストーリーに心を奪われて、主権を譲ってしまい、そこにどんどんエネルギーを与えて炎にして、ストーリーを存続させてしまうのです。

ストーリーがなくてもありのままの自分でいい

ストーリーはあたかも真実であるかのように迫ってきますが、実際には一瞬の火花なので、まともに扱わなければ、消えていくものです。
そのストーリーから覚めるには、不安や恐怖、欲に無意識のうちに振り回されていることに気づいて、意識的でいることで、その正体が火花に過ぎないことを腑に落とさないといけません。

なぜ、ストーリーに陥り、はまってしまうのかと言えば、どこかでストーリーに自分のアイデンティティを求め、執着しているからです。
ですから、目覚めていくには、「ストーリーがなくても大丈夫だ、特別ではなく、ありのままの私でいいんだ」と信頼を取り戻すことが大切です。

それは、「何も持っていなくても、何かをなさなくても、存在しているだけでいいんだ」という自信であり信頼感です。
ストーリーがどんなにもっともらしく見えても、それに執着や未練を持たずに俯瞰し、手放すのです。

ストーリーから離れて、エネルギーを与えないで超然としていられれば、私たちはただ「神」として考えや感情を創り出しているだけで、本当はストーリーに連続性はなく、今この瞬間しか存在しないことがはっきりとわかるでしょう。

 

 

ドルフィニスト篤
ドルフィニストアカデミー主宰。京都大学理学部物理学科卒業。京都大学院理学研究科物理学専攻、修士課程修了。2001年より、イルカのスピリットをチャネリングする綾子夫人と共に、イルカのように生きる「ドルフィニスト」を提唱し、全国にて講演活動を行い、人々の目覚めやヒーリングに従事する。現在は悟りのコミュニティにおいて、鋭い論理と慧眼で悟りへと導いている。著書『悟りハンドブックー〈私〉を思い出すこと、それが悟りです!』(ナチュラルスピリット)。

ドルフィニストアカデミー
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http://iru-iru.jp/

『悟りハンドブック』
ドルフィニスト篤著/ナチュラルスピリット

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101キャンドルライト
http://101candle.jp/

『悟りの錬金術』
マスター・ゲート著/アン・テファン訳/ナチュラルスピリット

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