こんにちは。悟りをテーマに活動している、ドルフィニスト篤です。
今回も、私の師匠であるマスター・ゲート氏の教えを交えながら、日常の中で目覚めていくためのポイントを、悟りの観点から綴っていきます。
しがみつき過ぎないほうが幸せになれる
20年にわたり、1万5000件以上のカウンセリングをしてきてしみじみと思うことは、人は幸せを求めているということです。
ホッとする安心感が欲しい人、やり遂げたという達成感が欲しい人、気分が高揚する感覚が欲しい人、人より優れているという優越感が欲しい人・・・、幸せだと思う形は人によって様々です。
この人生での選択を、「自分がしたんだ!」「自分がしているんだ!」という、主人として生きているという感覚があるとき、私たちは幸せを感じるものです。
イヤイヤやらされている、仕方なく我慢してやっているなど、主人というよりは、何かの被害者になっているときには、ストレスを感じ、辛さや苦しみがつきまといます。
なので、もし、何かやりたいことがあるのならば、それを自らの選択で人生の中心に置くことで、幸せがやってきます。
しかし、行き過ぎて、幸せを強く求めて掴もうとするとき、幸せを与えてくれるであろうと信じていることに盲目的に突き進んでしまいがちです。
そうなると、何かうまくいかなかったり、トラブルがあっても、自分が間違っているとは気づかずに「これしかない!」と自己正当化して、そのまま突き進もうとします。
そして、突き進んだ結果、様々なストレスを抱えて心身ともに疲弊し、苦しみを抱えることになるのです。
一つの観点に陥って、盲目的になって硬直するとき、人は自分を正当化し、そのことを信じ込ませ、自己洗脳し続けようとします。
そうなるのは、「本当に幸せになれるか?」という焦燥感からくる不安を克服しようとして、躍起になっているからです。
ノウハウや知識を得ようとしたり、将来の確証を掴もうとすればするほど、不安や不信が追いかけてくる感覚に襲われたことはないでしょうか?
お金や権威・権力など、目に見えることや形ばかりに囚われ、確証のあることだけを信じようとしても、確証が持てなかったり、本当にそれでいいのかよくわからなくなったり、不安な思いを直視できず、無意識のうちに逃げようとしてしまうものです。
それだけ、心は不安と不信の中にいるということです。
中道と中庸の真の意味を知る
マスター・ゲート氏は、次のようにおっしゃいます。
知らないということは、それだけでは存在できません。知っていることがあるから、知らないことが存在できるのです。
知っていることに振り回されているから、知らないことに振り回されるのです。
すべてのことは、相対的に一緒に存在しているのです。皆さんが、確信を握りしめていれば、不信にも握りしめられることになり、無常に留まっていれば、有常にも留まることになるのです。だから昔の聖人たちが、「中道」を維持し、「中庸」を守れと言ったのです。中道と、中庸というのは、なんらかのタオの状態ではなく、真理を言っているのでもなく、どちらか一方に傾くなという、能動性、創造性を否定する言葉です。
ですから、中道と中庸が大切なのではなく、中道を維持することが大切であり、中庸を守ることが大切なのです。すなわち、維持して守ることが大切なのだということです。
これが、本当の中道と中庸の意味なのに、人々はみんな中道と中庸に夢中で、守り維持するという真実を知ることができずにいます。
知る・知らないとか、存在・非存在とか、無常・有常とか、確信・不信とか、それを作っているのは誰なのかと私は説明してきました。
なのに、なぜ、またそこに振り回されるのかというと、さきほど話したように、守れず、維持することができず、どちらか一方に傾いているからなのです。
もどかしさが生じるということは、楽でありたいということを掴もうとしているからとるであり、安定を求めるのは、不安定から逃れようと思うからです。このようなことは全て、しばし現れては消えていくものだと(私は)言ったではありませんか。
なぜそんなものに、またしても一方に傾いて、シーソーしているのかということなのです。中道と中庸を維持し、守ることが大切です。
もう一度強調するけれど、維持し、守ることなのです。ある一方に傾く自らを素早く見つめ、その両方二つともをすべて捨て去ってしまいなさいということなのです。固執せず・・・。
物質世界には、「作用・反作用の法則」というのがあります。
物体を移動させるには、力を加える必要があります。これを作用といい、力を加えると物体は動きますが、そのとき力を加えた側には反作用として、逆向き方向に同じだけの力がかかります。
このように一方向だけに働く力は存在せず、必ずセットで、反対方向にも同じ大きさの力が存在するということです。大きな力を加えれば、その反動が同じだけ大きくかかるということです。
考えや感情の側面にも働く「作用・反作用」の法則
このことは、物質世界で長年過ごしていれば、経験則として誰もが当然知っています。
この当たり前のことが、考えや感情の世界でも当てはまるのです。しかも物質世界と同じように、少しの狂いもなく、厳密にです。
私たちは、常に何かに関心を向けて、考えたり、感じたりして、エネルギーを与えていますが、それが作用と反作用という形で現れてくるのです。それが、二元性の世界の特徴と言えます。
●作用が現れるのは、何かを望んで意図を持って行動した結果のため、自分自身(顕在意識)にとって、因果関係が理解しやすい状態で体験できます。
●しかし、反作用は望んでいないので、往々にして潜在意識に蓄積されて、それに引き合う「問題」という形で現れた現実を体験することになるのです。
例えば、ワクワクしながら、何か目標をもって突き進んでいるときは楽しくて仕方ないのですが、その反作用で、気疲れや肉体的な症状が現れたり、心のストレスを解消するために、甘い物やタバコやお酒が欲しくなったり、衝動買いがしたくなったりします。
先ほどの話で言えば、自我は、確証のあることに囲まれていれば安心できると思い込んで、たくさんの知識や情報を得たり、自分を支えてくれるブレインを集めて、不安を避けようとします。
それによって、一時的に欲しかった安心は得られます。
しかし、しばらくすると反作用として不安が心を占めるようになり、それを埋め合わせるために、確証が得られそうなものを追い求めたくなるわけです。
安心という作用を起こそうとしてやっているのですが、望んだ作用と逆の不安や不信も心に現れてくるため、それに苛まされ、人生を翻弄されることになります。
気分が高揚するときと、落ち込むときを周期的に繰り返す躁鬱病も、これに当てはまります。
作用・反作用に影響されない「本性」に目覚めるために
誰もが、安心を得られる確信を掴もうとしますが、その反作用として、逆に不安や不信を創り出していることに気がつかなければなりません。
私たちの本性は、この作用・反作用がある現象界には全く影響を受けず、あらゆる可能性を内在した自由そのものであり、それこそが実相です。
作用・反作用は、物質世界や考え・感情の世界である現象界にのみ存在し、実際は幻想に過ぎないのです。
本性に目覚めるためには、無意識にいるのではなく、瞬間瞬間に何に関心を向けて、意識を使っているかに気づくことにあります。現象界に現れる作用・反作用のどちらにも傾くことなく、中道と中庸をいつも心がけることが大切なのです。
これは、カルマを作らない生き方とも言えます。
そして、「確信は外側から得るものだ」という観点から、「すでに確信はある」という観点へと移行してみるのです。
そうすることで、「欲しかった幸せや安心感は、すでにここにあった」と知るでしょう。
ドルフィニスト篤
ドルフィニストアカデミー主宰。京都大学理学部物理学科卒業。京都大学院理学研究科物理学専攻、修士課程修了。2001年より、イルカのスピリットをチャネリングする綾子夫人と共に、イルカのように生きる「ドルフィニスト」を提唱し、全国にて講演活動を行い、人々の目覚めやヒーリングに従事する。現在は悟りのコミュニティにおいて、鋭い論理と慧眼で悟りへと導いている。著書『悟りハンドブックー〈私〉を思い出すこと、それが悟りです!』(ナチュラルスピリット)。
ドルフィニストアカデミー
http://www.dolphinist.jp/
http://iru-iru.jp/
『悟りハンドブック』
ドルフィニスト篤著/ナチュラルスピリット
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悟りのマスター、マスター・ゲート氏の活動情報はこちら
101キャンドルライト
http://101candle.jp/
『悟りの錬金術』
マスター・ゲート著/アン・テファン訳/ナチュラルスピリット
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