ヘルメス・J・シャンブの「“在る”の息吹」/vol.1 新しい風の時代が意味する「夢の実現」

B!

今回より連載をさせていただくことになりました、『“それ”は在る』の著者ヘルメス・J・シャンブです。
新しい「風の時代」の始まりに、夢を実現させることについて、お伝えしたいと思います。


『 “それは在る』
ヘルメス・J・シャンブ著/ナチュラルスピリット
*2月に新刊『ヘルメス・ギーター』を発売予定!

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恐怖から生まれたものではない夢を実現させる

人間である以上、誰でも夢を叶えたいと思っているのではないでしょうか。
ところが、夢を叶えるということは、実際にはどのようなことなのでしょう? 
「私は目標を持ち、何かを達成しなければならない」と考えて行動する時、私たちは自由でしょうか? 自由だから、なんらかの夢を持ち、何かに向かい、何かを得なければならないのでしょうか?

それとも、自由ではなく、自由になるために、あるいは平安や幸福、つまるところ、「私は満たされている」という感覚を得るために、夢の実現を求めるのでしょうか?

私たちが夢の実現を望む時、実際には何が起こっているのでしょうか?
何かを求めるということは、その対象がどのようなものであれ、欲望でしかありません。それが、いかに素晴らしい夢に思えようとも、それは欲望でしかないのではありませんか? 

なぜなら、もしも自由であるならば、何かを達成しなければならない、という意図は起こらないからです。
それゆえ、「達成しなければならない」「こうしなければ、ああしなければ」「もしも、欲しいものを得ることができなければ・・・」と思うようなら、これらはすべて恐怖から生まれたものであり、恐怖から生まれたものが平安や幸福をもたらすことはあり得ないのです。

が、私たちはあまりにも夢や目標を自然に持ったり、「持たなければいけない」と実感しています。それは、まさに、何かに迫られているような感覚ではないでしょうか?

では、恐怖から生まれたものでない「夢の実現」というものが、存在するでしょうか?
つまり、私はすでに自由で、自由であるがゆえに何にも縛られていないその状態での「夢」と、「夢の実現」というものがあり得るでしょうか?

私は「在る」と申し上げたいと思います。そして、それこそが真の夢の実現であると思っています。
が、もしもそこに「これは○○でなければならない」という信念があれば、その信念、その欲望が自らに苦しみをもたらします。

目標や到達地点を決めてしまうと、「そこに到達できなければ、その時には私は・・・」と自らに苦しみと悲しみをもたらしてしまうことになります。
そして、仮に達成したとしても、再び「私は次も○○を得なければ幸せにはなれない」と恐怖に迫られて、次を開始することになるのです。
はたして、これが「夢の実現」なのでしょうか?

理想や目標のない、自由で満たされた「私」だったら?

理想や目標、○○以外の結果は受け入れないという制限付きの願望は、必ず自己を不幸に導きます。
なぜなら、それらは単に欲望に過ぎないからです。あるいは、支配欲なのです。

では、理想や目標のない夢、その実現とは何を意味するのでしょうか?
すでに自由であり、満たされていて、それゆえ求めることがない──。その状態での「夢の実現」とは何を意味するのでしょうか?

「○○になりたい」「○○を手にしたい」というのが、これまでの夢の実現でした。そのような信念、あるいは観念だったのです。

つまりそれは、「私には無いので、得たい」ということであり、もっと極端に言えば、「私は満たされておらず不幸なので、得ることで幸福になりたい」ということです。

さあ、考えてみてください。
いくら、これまでのやり方をしても、決して平安にも幸福にもなれません。なぜなら、このような欲望が満たされることは決してないからです。

さあ、一緒に考えましょう。
すでに自由で、満たされていて、何も得るものも必要なものもない、その状態での「夢」あるいは「夢の実現」が存在するでしょうか?

確かに、それは存在します。そして、それは求める行為ではありません。
つまり、それは与える行為なのです。しかも、「私が与えている」という思いのない、与える行為なのです。
なぜなら、その時、「私」は自由であり、自由ゆえに全てと一つになっているからです。

それは、あたかも風のようです。どこからともなくやってきて、人の頬に優しく触れては、次の瞬間には消えてしまう風のようなものです。

それが自由です。その自由には自我という「私」が存在しないので、抵抗が起こりません。つまり、自分の中に対立が起こらないのです。
もしも「私」がいれば、あれやこれやを邪魔だと言ったり、あそこにだけ行きたいと言うでしょう。けれどもそれは、欲望でしかありません。

真の意味での夢の実現とは愛を表現すること

風が「私」である時、そこには「私」と「風」という分離がありません。分離がないゆえに、私は風であり、風は私なのです。

自由とは何でしょうか?
自分がいないのに、自分がいる。自分がいるのに全てと一つである。その自由の境地にいる時には、何も間違いや問題は起こりません。
なぜなら、全ての不幸の原因である分離が存在しないからです。

そしてその時の「夢の実現」とは、すなわち、愛の実現であり、愛の表現なのです。

真実の愛に間違いが起こることはあり得ません。愛は本当の意味で何が正しいのかを完全に知っているからです。
愛が人を傷つけることはなく、愛が不公平に裁くこともなく、愛が安心をもたらさないこともないからです。

真の意味での夢の実現とは、「私のする行為全てが愛の表現である」という意識を持つことです。
それは仕事の業種にはなんら関係がありません。どのような仕事をしていてもいいのです。

なぜなら、夢の実現とは、「私=あなた」という存在自体の認識であり、それは愛と自由の表現であり、「私=あなた」である世界を自らの光で満たす、ということだからです。

「私=あなた」がありのままに在る──。
それは、内なる不滅の灯台(ハート)の光です。どのような嵐がやってこようと、その光は消えません。
それが愛の実現なのです。そこに努力や苦悩は必要ありません。あるがままの「私=あなた」が愛そのものなのです。

時代はまさに、愛の偉大なる力が吹き荒れることになるでしょう。そして、それを選択するのは、「私=あなた」しかいないのです。

全ての人の「私」が私を愛する時、世界には愛しか見えないでしょう。
その灯台の光が輝く時、その光風は止むことのない永遠の愛の息吹として、存在もしないあらゆる幻想の闇を次々に飲み込んでゆくことになるでしょう。

 

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ヘルメス・J・シャンブ
1975年生まれ。30代前半、挫折と苦悩を転機に、導かれるように真理探求の道に入る。さまざまな教えを学び、寺で修業し、巡礼の旅に出るが、最終的に「全ては私の中に在る」と得心、悟入する。数回に分けて体験した目覚めにより、ワンネス(一つであること)を認識し、数々の教えの統合作業に入る。「在る」という教えは、これまでの師たちの伝統的な教えであるため、師たちの名前を借りて「ヘルメス・J・シャンブ」と名乗り、初著作『“それは在る』を執筆。 その後『道化師の石(ラピス)』も刊行。現在は、ナチュラルスピリットでの個人セッションなどで、探求者たちに教えを伝えている。
https://twitter.com/hermes_j_s

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