高島康司の進化への扉/第25回 エド・デイムス少佐が遠隔透視で観た近未来の地球

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かつてアメリカには、「米陸軍遠隔透視部隊」というものが実在した。それは、遠隔透視(リモートビューイング)の能力を訓練された者たちの部隊で、大きな成果を上げていた。
今回は、この部隊の中心的なインストラクターだったエド・デイムス少佐が見た、近未来の光景を紹介しよう。

対ソ情報戦で結成された遠隔透視部隊

その前に、エド・デイムス少佐と聞いても馴染みのない読者もいると思うので、彼とその背景について簡単に解説しておきたい。
エド・デイムス少佐は、国防省諜報庁の「遠隔透視部隊」に所属する情報作戦の将校だった。

遠隔透視部隊で活躍したエド・ジェイムス。

1970年代初頭、スタンフォード大学に付属する研究機関「Stanford Research Institute」(通称SRI)は、超能力研究の一環として「リモートビューイング」と言われる遠隔透視の研究を行っていた。
この研究の協力者であり、後に研究の一部を指揮するようになった人物がインゴ・スワンで、SRIで多大な成果を残した。

この成果に注目したのが、国防省諜報局(DIA)であり、諜報活動を専門に担当する部局である。
当時は米ソの冷戦下だったため、ソビエトを標的にした情報戦が活発に行われていた。諜報局が対ソ情報戦で優位に立つためのテクノロジーを求めている中、注目したのが、おりしもスタンフォード大学で大きな研究成果をあげていたスワンのチームだった。

そこで、70年代後半からスワンの指揮のもと、陸軍などから派遣された情報将校や科学者が加わり、「国防省諜報局遠隔透視部隊」が結成されることになった。この部隊には、日本でも有名になったジョー・マクモニーグルも在籍していた。
デイムスは、カリフォルニア大学バークレー校を卒業後、米陸軍に志願し、情報将校となった。80年代前半に陸軍から派遣され、遠隔透視部隊の一員になったのだ。

この部隊は、対ソ情報戦において目覚ましい成果を残したとされる。「ソビエト国内の核ミサイル基地の配備状況」を透視したり、「地下秘密基地」の存在を発見した。

だが、ソビエトの崩壊から4年経った1995年、冷戦は完全に終了。もはや、ロシアや他の共和国を敵視する必要がなくなったとの判断から、国防省は予算を打ち切り、遠隔透視部隊の解散を決定した。
その後、部隊は再結成されることなく、現在に至っている。

ポイントはやってきた答えを正しく解釈すること

この部隊は1970年代後半から1995年の約20年間、諜報活動において数々の成果を挙げた。
現在まで引き継がれている最大の成果は、この部隊が遠隔透視の技術をマニュアル化し、「個人の持つサイキックな能力には一切依存しないスキル」として、標準化したことだ。
デイムスも、こう言っている。

当然、ある程度の個人差はあるが、遠隔透視の能力は誰でも持っていて、適切なトレーニングさえ行えば、スキルとして身につけることができる。

 

では、そもそも遠隔透視とは何なのか?
それは読んで字のごとく、遠くにあるものを透視することだが、遠隔透視部隊が開発した遠隔透視の概念は、遠距離にあるものを透視することだけには限定されない。

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