松村潔のアナザーワールド/vol.19 下降オクターヴ型特有の非個人的な感情と愛の形

B!

前回、人には上昇オクターヴ型と下降オクターヴ型の人がいて、二極化されたものを非二元にするということは、上昇オクターヴ型の人には大切だが、下降オクターヴ型にとってはあまり関心がある話ではないと書いた。

どうもこの内容がずいぶんと興味をひいたようだ。上昇オクターヴ型の人というのは固形物から進化する。固形物とは個人としての肉体があり、これが自分の基盤であるとみなす人だ。

で、わたしはいつも複数の本にしつこく書いているのだが、二極化されたものがもとの一なるものに戻るというプロセスは一回で終わる話ではなく、階層化されているということをよく言う。
ある対談で、わたしがそのことを持ち出した時に、対談相手は、わたしがいたずらに複雑に考えていると言い、それでは真実にたどり着かないと主張していた。
精神世界関係では、ワンネスに至るということをシンプルに考える人も多いのではあるまいか。悟りというのも一種類しかない、と。

二極化されたものがワンネスに戻るというのは、図式では三角形で描くことができる。
下にふたつの極があり、これはプラスとマイナス、陰陽と考えてもいい。その上にひとつの点があり、これが統合化されたものを表し、ゼロのポイントと考えるといい。

階層化された構造を考える時には、参考としてピュタゴラスのテトラクテュスを持ち出すのが一番シンプルだ。
ここでは三角形が9つ、積み木のように積み上げられており、上から見ると頂点に絶対の意識があり、それが二極化して三角を作り、この三角の底部のふたつを各々頂点にして、二回目の二極化が生じて二階層目の三角がふたつできる。
それがもう一度繰り返され、二極化が都合三回繰り返されることで世界が作られるというものだ。
生命の樹とかエニアグラムも、だいたいこの三角形の三度繰り返しということが図示されており、おおまかには共通している。

このとおりに、下降オクターヴ型、すなわち創造の光線の下降というコースに向かう宇宙存在、わたしの言う「スタピ」とか「アントロポース」は、一なるものから二極化(二元化)し、さらに二回二元化することで、地上の人間のレベルに到達する。
下の次元に降りるというのは自己分割することでなされるので、自分を三回切り刻むという印象で、この長い転落の結果、地球に生まれてくることができる。

下降オクターヴ型の人は、このように転落しても、すぐにルーツとしての一なるものに戻ることができるのかというと、この分割された意識である個体に付随する感情、感覚、興味、意識の在り方などにしがみつくと、元に戻るルートを忘れてしまうことはある。
分割されたもの、すなわち重たいものが占有すると記憶を失うのだから。
この場合、つかんでいるものを手放して狭い視野から自由になれば、すぐに上昇することができるし、記憶も再生する。

で、わたしのこの宇宙の階層構造に対して、「複雑に考えすぎている」と主張する人は一人ではないと思うが、そう思う人々はたいてい愛、共感、信仰、祈りなどを大切にし、もっぱら感情を大切にして生きている人々であることが多いと思う。
「四つの道」があると言われているが、そのうちの一つが「水の道」にたとえられる「信仰の道」で、キリスト教徒がアレキサンドリア図書館を燃やして以後、世界中、この知識を否定した信仰の道が席巻したのではあるまいか。
宇宙の階層構造などを考えるのは「火の道」、つまり「哲学の道」を使う人々のやりかたで、キリスト教はこれを退けることで発展した。

わたしたちが愛とか共感を感じるのは、実は自分と同じ振動レベルにある存在に対してのみだ。そもそも同じ振動のものしか目に入らないし、認識もできない。
テトラクテュスの図式で、二極化が3段階進んだ結果、四つの階層世界があるとしたら、このうち、どれか一つの世界に住む人は、横にあるものだけに愛と共感を感じることができる。

日本は何か共感を強いるようなところがあり、これがなかなか脅迫的だと感じている人は多数いると思うが、共感や愛は結合力だとすると、結合力は強くなるとやはり押し付け力にもなるからだ。

で、四つの世界のうち、自分が住んでいる世界でのみ愛を感じることができるので、愛を基準に生きる人は、このテトラクテュスが示すような宇宙の階層性を受け入れることはない。
他の階層があることを考えると、この愛、共感、気持ち、心は傷つけられるか、否定される結果になるからだ。
それに愛が結合力だとすると、複数の階層があると、結合力はちりぢりばらばらにされてしまう。
だから自己防衛するかのように、ワンネスというのは一種類しかないと思い、それが階層化されているなど想像するだけで荒廃した気分になる。

高校生の時、毎日ピアノを練習していたが、ピアノに集中すると、対人的な共感力というのが損なわれていくことに不思議な思いをしていた。
毎日ピアノに集中すると、学校でクラスメイトとはコミュニケーションできなくなる。
で、たとえばJ.S.バッハの平均律クラヴィーア曲集にしても、この音楽はグルジエフの言う「高次な感情成分の宝庫」だ。
この感情の振動レベルに入ると、まったく非個人的な崇高な感情に満たされ、そこに熱中すると、人と話をしたくなくなり、気持ちをあわせることができず、友だちと会っても逃げ出したくなる。

高次な感情の振動はグルジエフのいう「法則12」の振動で、太陽と同じレベルの振動だが、これが行き過ぎると、人間はドットの一つとしか見えなくなる。
非個人的感情というのは、つまりは個人ということを視野に入れないという意味でもあり、つまり個人に共感はしないし、愛も感じない。
このレベルにはこのレベルにふさわしい愛があり、これは神の愛とでも言えるようなものだ。神の愛は大きく広がりすぎているので、そこから見ると人間ひとりを認識できないのだ。
認識できないものに、共感とか愛を感じたりはできない。

占星術には心理占星術という分野がある。惑星は太陽の周りを平たく回っており、わたしはこれをよくピザのように評したりするが、この二次元的なホロスコープを使う時にのみ心理占星術は成り立つが、もしホロスコープが三次元的になったりすると、心理占星術とか心理学は成り立たない。
感情の連続にしても、縦座標が割り込むと、意味が不明なまま心理は中断され、その理由を二次元的な目は解明することができない。
人間は三次元に生きていると言うが、知性や感情まで三次元的に生きているわけではなく、知性や感情はたいてい二次元平面から抜け出していないと思う。

地球は12個あり、この地球から隣の地球に移動する話題で「隣の地球へ」という短編小説を書いてnoteに掲載したが、12個の地球は今の地球の平面的な軌道をトレースしていない。
地球の球体軌道があり、正十二面体のように、12個の平たい大地が敷き詰められていると考えてみるといい。
今の地球の平面軌道にあるわけではないので、つまり隣の地球に移動するにも、これまでの気持ち、共感、心理、愛というものはあらかた崩れていく。

もちろん全惑星意識レベルの愛であれば、この12個の地球を何なく包み込むことはできるのだが、そもそも全惑星意識というのは人間個体から離れているので、個体が抱く愛というものを超越した結果として、無化していると考えてもいい。

西洋の精神世界本は愛という言葉が乱発されていて、日本人の場合には、この言葉を使うことじたい恥ずかしいが、愛という言葉があまりにもあいまいなまま使われるので、確実に混乱はあると思う。
個体を愛するには自分も個体でなくてはならず、しかし個体は狭い時間、狭い空間の中に存在するもので、そこにはかならず狭い視野、偏った考え、利害が発生するので、個体が抱く愛はかならず所有的な愛になり、世界平和のためなら戦争も辞さないというような矛盾行動がかならず出てくる。

で、「宇宙に生きる存在はすべての要素を持っている」と考えて、すべての人は、恒星、太陽、全惑星、惑星、月あるいは火、空気、水、土、金属、鉱物を持っていると考えるならば、あらゆるものへの無償の愛を抱くことはできるかもしれないが、ただこの比率はみな違うので、ある場所への愛は薄くなり、ある場所のものは濃くなり、それに高次な意識の比率が強まると、どうしても下の領域に目が行き届かなくなり、そこでの具体的な状況は把握できなくなり、“希釈されすぎて、もう実感できない愛”になりがちだ。

下降オクターヴ型の人は、故郷の恒星に戻り、そこからまた地球へ降りようとした時に、一番下の身体は固形物に届かない。固形物身体を持っても、それを自分と同一視できず、何かよそもの的に扱う。
すると固形物としての、つまり人の形を持ったうえで成り立つ愛は薄くなるし、それよりも空気の中にいる仲間に対する愛着のほうが強い場合も出てくるだろう。

最近また聊斎志異をキンドルでダウンロードして少し読んでみたが、この本は昔から好きだった。何が面白いかといって、人間、神仙、妖怪、亡霊などが混在していて、それぞれの区別がはっきりしない。
現代は人間中心主義で、それ以外は見えないという視野狭窄症に陥っているが、ほんらい世界は聊斎志異ワールドだったはずだ。

実際のわたしの生活では、最近死んだ人が近くに居座っていて、ほかに宇宙人、応身、シャンバラ人、月の衛星の存在などがたくさんいる。
しかも固形物という概念がないので、時々重なったり、省略して三人が一人になったりする。
互いの存在の区別がつきにくいのはどうしてだろうと思った時期もあるが、そもそも互いの存在の区別をはっきりさせることができるのは、固形物としての縛りがある地球人だけの風習に過ぎないと思ってから、気楽になった。

固形物の拘束がなくなると、このように周辺がよく見えるようになるし、この地点から見ると、多くの人が抱く概念としての愛は、優しさからはもっとも程遠い、およそ暴力に近いもののようにも見えてしまうのだ。

 

松村潔
まつむらきよし/1953年生まれ。占星術、タロットカード、十牛図、エニアグラム、ライフシンボルなど、 いくつかの手法を活用して講座・研究会などを開催。アカシックリーディング等でも、タロットカードや占星術を併用すると安定性が高いという考えから、ツールの複合性を提案している。『わたしの運命がわかる地球星座占い』(角川書店)、『ディグリー占星術』『三次元占星術』(以上、説話社)、『土星占星術講座』(技術評論社)など著書多数。
http://www.tora.ne.jp/

 

『夢を使って宇宙に飛び出そう』
存在の4つのフェイズを縦横無尽に探究する
松村潔著/ナチュラルスピリット

『分身トゥルパをつくって次元を超える』
秘教の体系と神秘体験から見出した不死の身体とは
松村潔著/ナチュラルスピリット

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