アラン・コーエンのスピリチュアルエッセイ〈9〉情熱と祈り

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世界的なスピリチュアルリーダーであり、「奇跡のコース(A Course In Miracles)」のティーチャーとしても活躍する、アラン・コーエンさん。
スピリチュアルなコーチングの実力で、長年、大勢の人の人生を導いています。
今回も、珠玉のエッセイを発信していただきましょう。

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情熱という祈りそのものの人生

『Dangerous Beauty(邦題:娼婦ベロニカ)』というパワフルな映画には、16世紀のヴェネツィアで貴族たちのハートを虜にした高級娼婦、ベロニカ・フランクルのストーリーが語られています。
ベロニカは美しくウィットに富んでいて、自分の人生と職業に向ける情熱に満ち溢れていました。彼女の「客」たちは彼女の中に素晴らしい生命力を感じ、自分の人生の中にある憂鬱さから抜け出すことができたのです。

異端審問による宗教裁判がベニスで始まった時、ベロニカは魔女の容疑で裁判にかけられます。判事は彼女に「自分が魔女だと告白するのであれば、大目にみよう」と厳しい調子で言いました。

法廷がざわめく中、ベロニカははっきりとこう言いました。
「私は告白します・・・私は祈りの中よりも情熱の中に、よりエクスタシーを感じることを告白します。そして、その情熱こそが祈りそのものなのです」。

“祈りやスピリチュアリティには情熱など必要ない”と教えられてきた、キリスト教圏に暮らす人々にとって、ベロニカの言葉はショッキングであったことでしょう。

ですが、フィリップ・ブルークス(アメリカ合衆国の宗教家)も言っているように「祈りとは、嫌がる神を説き伏せるためのものではなく、神の喜びを体現することへの意欲そのもの」なのです。
であれば、神の喜びを体現することへの意欲とは何でしょう? 人生のあらゆる側面にある、喜びと豊かさの経験ではないでしょうか?

どんなときでも自己表現する若者たち

キリスト教圏では、人々は祈りを捧げるために、毎週教会に通います。得てして退屈になりがちな集会ですが、時おり思いもよらないものが、わくわくさせてくれます。

教会で体験したケース1
その場の空気を変えた、自己表現のパワー
私は、保守性の強い田舎にある教会で、話をしたことがあります。その時、私にはその教会に集まるほぼ全員が同じように見えました。
女性は同じような髪型をしており、男性は同じようなスーツを身に着け、交わされる会話はほどほど社交的に盛り上がって終わる。そういうパターンに落ち着いていました。
『Pleasantville (邦題:カラー・オブ・ハート)』という映画を観れば、イメージが湧くことでしょう。感じは良いのですが、わくわくしたりしません。

その時、オレンジ色の髪をした10代の男の子が教会に入ってきました。
正直に言うと、私はそれまで妙な色に髪を染めた人たちや、口や耳といった身体の中に金属を入れているような人たちを、好ましく見てはいませんでした。
しかしその日は、その彼の登場をとてもうれしく感じました。私が見た限り、その教会の中で、彼は唯一自己表現をしていたからです。

教会で体験したケース2
ハートが高揚するダンスビートの共有

教会で行われた「クリスマス礼拝」の間中、私はずっと退屈して座っていました。
その礼拝が終わり、人々が動き出したとたん、アップビートの音楽が大きな音で流れてきたのです。向かいの家のバルコニーを見上げると、2人の10代の若者がイキイキと、音楽に合わせて踊っています。
その時、私は突然、ハートが高揚するのを感じました。礼拝のために来た教会で、初めて感じ得たイキイキした楽しい感覚でした。キリストもきっと喜んだと思います。

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