みなさん、こんにちは。
『バタ足ノンデュアリティ』『ノンデュアリティって、心のお話じゃないんですよ』(ナチュラルスピリット)をはじめ、ノンデュアリティについて語っています、金森将です。
連載の最後の回となりました。今回は、ノンデュアリティを体感することについてお話をしましょう。
必要なのは“そのままの様子”を感じること
ノンデュアリティと聞くと、多くの皆さんが「心の中を探っていく」というふうに思われています。
あなたも、心の内側へ、内側へと向かって行って、まるで宝探しでもするように、“二つではない一体化した世界”を探し当てるみたいなイメージを持たれているのではありませんか?
そうではないんです。
また、よく言われる「意識がすべてである」「あなたは常に存在の中にいる」「あなたはすでに“それ”である」といった難解な言葉に触れると、夢の世界に運ばれたような心地良さを感じる方も多いでしょう。
その心地良さを否定はしません。無意味だとも言いません。
少なくとも、“癒し”のようなものは得られるでしょう。
けれども、そこに依存すると、次から次に新しい“癒しのメッセージ”を探しまわることになります。その結果、「実際には何も変わっていない」という感覚だけが残ってしまうんです。
本当に必要なのは、私たちが生きている“そのままの様子”を感じることなんです。
空を見れば、空が見える、音が勝手に聞こえてくる、そんなことの中に、のっそり現れるのが“二つではない“という「事実」なんです。
ですから、本来、ノンデュアリティは、難しいものではないはずなんです。
簡単に立ち入ることのできない「心のようなものの奥深く」にあるお話などではないんです。
私たちの想像のおよばない「大宇宙のお話」などでもないんです。
体を持って生まれてきた時から、誰もが知っているはずのものなんです。
すでに満ち足りた世界に生きている
ノンデュアリティは、「知ろう」とすると迷いの中に入っていきます。また、「知って」も意味がありません。
ノンデュアリティは、「触れて、味わう」ものなんです。
ところが、多くの方が「知ろう」としてしまうがために、知らなくてもいいような「知識」をあれこれ集め、かえってわからなくなっているんです。
さまざまな悩みがあったり、苦しみから抜け出したくて、楽になるためにお勉強を始めたはずなのに、迷って、迷って、気がつけば泥沼に浸かって泥まみれ。自分で複雑にしてしまっているんです。
しかも、そのたくさんのことを知って、答えらしきものがわかったり、疑問などが解けたとしても、残念ながら、皆さんが求めているものに触れることはできません。皆さんが求めているものは、「知識」とは別の場所にあるんです。
ノンデュアリティを「知ろう」とするのではなくて、「触れて」みれば、自分がすでに満ち足りた世界に生きているということがわかるんです。
私たちが生きている様子は、本当にシンプルです。何の脈略もなくただ現れた物事を、そのままに受け止め、受け止めた通りに活動しているのが、私たちなんです。
その様子がまぎれもなく、“二つではない一体化した様子”なんです。「考え」や「知識」の中に、“二つではない様子”を見つけることはできません。
奇跡のような喜びの奥底にある動かぬ静寂
ノンデュアリティは、私たちの生きている様子そのものです。
日常生活と別の場所にあるのではないんです。自分が生きている様子を見ること以外に、“二つではない”という「事実」は見えてきません。
これは、難しいことではないんです。風を感じること、空を眺めること、鳥のさえずりを聞くこと、ごはんをおいしく食べること、そんなことなんです。
このことが、まぎれもなく、“二つではない様子”の現れなんです。
私たちは、普段、このようなことを見逃しています。そこに目を戻すだけです。
それによって、やがて、そこに“奇跡のような喜び”があることを知ります。自分がすでに満ち足りた世界に生きているということがわかるんです。
ある時、朝つゆに濡れる葉っぱのあまりの美しさに、胸がじんとする瞬間に出会うでしょう。
手のひらが、まさにこれしかない手のひらとして現れていることに、感動する瞬間に出会うでしょう。
なぜ、こんなことに心が動くのでしょうか?
それは、「戻るべき場所」に戻ったからです。
さらに、あなたは、この喜びの奥底に“動かぬ静寂”があることを知るでしょう。
そして、あなたは気づきます。
「あ・・・、本当に何も起きていなかった・・・」。
そうなんです。すべてが、“何も起きていない”という「事実」のうえで、あたかも起きているように見えているだけなんです。
日常の中にごく普通にある「戻るべき場所」
ノンデュアリティを、実生活と離れたところで学んでも、何の意味もありません。
このお勉強は、精神とか心の世界に癒しを求めることとは、全く違うお話です。常に「事実」と一緒にいながら、まさにその真っただ中に、何ものにも左右されない幸せがいつもあるということを知るお勉強です。
「事実」と徹底的に向き合うお勉強なんです。
そして、この「事実」がはっきりと見え、「これしかない、ただそのようになっている」と本当にわかったとき、うわべだけではない静かな力が湧いてきます。
今この瞬間、「全体/静寂/根源」とひとつになって活動していることに、力が湧いてきます。
自分と別の何かがあるのではなくて、ただこの瞬間だけがある、それだけが感じられます。それは、新しい発見などではなく、実は私たちがずっと知っていることなんです。
この時、あなたは、自分が何にもとらわれていないことを知るでしょう。「自分」という枠がなくなった無限の様子だけがあることを知るでしょう。それがまさに、“絶対的な平安“なんです。
何ものにもとらわれない自由と、絶対的な平安──。
これが、私たちが真に求めている「私たちが戻るべき場所」の様子なんです。
そのために私たちにできることは、ただ「事実」に触れていくことだけです。単純すぎるほど単純なことです。
そして、ある時、その「戻るべき場所」は、すっと現れます。あっけないほどに。
「こんなに単純なものだったか!」と、あなたは驚くでしょう。
それは、日常の中にごくごく普通にあることなんです。いつも目の前にあることなんです。
完璧としかいいようのない「今の様子」です。ただそれだけが存在しています。
そのほかには、本当に何もありません。何も起きていません。
ノンデュアリティのことがもっと広まるために
そのたとえようのない“あたたかさ”を、一人でも多くの皆さんに味わっていただきたいという思いから、私は現在の活動をしています。
私の案内が、少しでも皆さんの助けになれば、これ以上の喜びはありません。
そして、ノンデュアリティというものが、もっともっと多くの人に受け入れられるようになってほしいと思っています。
ですから、最初、私の方からみなさんへメッセージを送るだけだったこの活動が、さらに一歩進んで、「知人から勧められて本を読みました」とか、「家族にノンデュアリティを勧めちゃいました」とか、ZOOMやSNSなどを通じて、皆さん同士でつながってワイワイ楽しまれているといったお話をお聞きすると、喜びを感じずにはいられません。
あなたもお勉強が進んで、もし、周りの人などから「最近、あなた、変わったわね」などと言われるようなことがあった時には、そっとノンデュアリティのことを教えてあげてください。
ただし、ノンデュアリティのメッセージは、すぐには受け取るのが難しいお話も多いので、押しつけにならないように気をつけてくださいね。
そのお相手が興味がありそうな話を「ちらっ、ちらっ」と小出しにしていくのがお勧めです( ^ ^ )
それでも受け取れないだろうなと思うお相手には、無理に語らず、あなたは黙ってそこにいるだけでいいんです。
以上、全6回の連載、最後までおつき合いいただき、ありがとうございました。
私はいつも幼稚園にいます。いつでも遊びにいらしてください。
ノンデュアリティかなもり幼稚園
園長/金森将
かなもりしょう/東京都練馬区出身。30歳を過ぎて願望実現にはまり、40歳を過ぎてケーキ店を持つ。50歳を過ぎて生き方に行き詰まり、あらゆる願望を投げ捨てたある日起きた突然の空白。その後、波のように押し寄せる“気づき”の中身を書きはじめたブログが人気となる。その8ヵ月後の2020年1月、『バタ足ノンデュアリティ』(ナチュラルスピリット)が発売されると、「わかりやすい」「今までにない」と多くの声を集める。ケーキ店の仕事をしつつ、セッションや講演をスタートさせるなど、ノンデュアリティライター、スピーカーとしての活動の幅を広げている。世田谷在住。愛妻家。元サーファー。
https://kanasho.amebaownd.com/
『ノンデュアリティって、心のお話じゃないんですよ!』
金森将著/ナチュラルスピリット
『バタ足ノンデュアリティ』
金森将著/ナチュラルスピリット