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ハラリ(*)がヴィパッサナー瞑想をしているというのを聞いて、ヴィパッサナー瞑想に興味を持った。
といっても、とあるサイトで、初歩的な練習法を読んだだけで、詳しいことはわからない。この瞑想法は物事をあるがままに見るということらしく、何かを見た時に連想したり、思ったりすることをやめて、見たというところで打ち切るというものらしい。
カレーの匂いがしても、カレーだと思ってはいけないのだ。さらに、今日はココイチに行こうなど、なおさら思ってはいけない。行列に並ぶなど言語道断だ。
*ユヴァル・ノア・ハラリ。イスラエル、ヘブライ大学の歴史学者であり、世界で最も影響力のある知識人と称される。『サピエンス全史』『ホモ・デウス』(いずれも河出書房新社)は世界的ベストセラー。
これ以上ヴィパッサナー瞑想について調べることをやめて、この「物事をあるがままに見る」そして連想しないということだけを考えることにしてみよう。
禅の、二念を継がず、という言葉は、花火が光った時、花火だと思うのをやめるということだ。何か光ったりするものがあるとしても、それを花火という連想に結び付けない。
で、これと似てリモートヴュイングなどでも、正しく見るには連想に立ち入らせないことが重要で、連想が入ることをAOL(Analytical overlay:分析的オーバーレイ)と言う。たいていそこでヴィジョンは間違ったものになるのだ。AOLを取り除くために、いろんな方法を使うと思う。
ブルース・モーエンは、印象を受け取る時に働く作用として、知覚者と解説者という区別をするが、知覚者が瞬間的に何か見た時、直後に解説者が出てきて、この知覚したものに対して説明を始める。
おそらく日常の生活においては、この知覚者のほうを追い出し、解説者のほうのみをもっぱら活用していると思う。
なので、ヴィパッサナー瞑想においても、物事をあるがままに見た時、思考、連想、物思いとしての解説者が見たものを、世界の映像として認識すると思う。
もちろんこれはヴィパッサナー瞑想を始めたばかりの人の状況だと思うし、もっと深めていくと、きっと普通の人には想像もつかないようなところまで行くと思う。
わたしが思うに、何か恐ろしい深淵を覗いたような状況になるのでは。
で、リモートヴュイングでよく使うものとして「0.3秒以内知覚」というのがあって、ターゲットを6桁数字で指定する。どうもこれは、緯度経度を指定する軍の習慣らしい。
直後にヴュアーは、0.3秒以内にイデオグラムを書くというやり方があった。つまり0.3秒経過すると、解説者がやってきて、受け取った印象に対して自分の知識を披露し始めるが、同時に解説者は、印象の検閲、選別などもしていく。
解説者の知識にないものを、知覚者が知覚すると、解説者はすぐさまそれを否定して、印象を忘却させてしまうのだ。
お化けを見るなんて科学的でないという言い方が昔あった。あるいは、UFOはプラズマ現象だという物理学者もいた。解説者の知識の中に、お化けやUFOを説明する知識がない場合には、見たものを即座に否定するか、あるいは異なるものにすり替える。
正直、これではヴィパッサナー瞑想の「ものごとをあるがまま見る」ことにはならない。
物事をあるがまま見るという行為は、とうてい信じられないような印象も受け取るはずで、解説者に内容を改ざんさせたり、忘却させたりすることにストップをかけるので、いつもの世界の光景にあちこち破れ目ができるのではないかと思う。
たとえば、2日前くらいに、わたしは原稿を書いている最中に、首の後ろのほうの空間に、きらきら光る三角形が回っているのが見えた。
これについて説明が難しいのは、首の後ろの空間というよりも、首の後のほうに何か別の次元との穴があって、それが空間をゆがめている印象だ。そして、そこに三角形が回っていたのだ。
ありのままに見るというのは、これを否定しないことで、たいてい解説者は「そういうのはありえない、それは気のせいだ」と言うことになる。あるいはまた、内臓に疾患があったり、脳に障害があると思う人もいるかもしれない。こういう「体調に関係ある現象だ」と言うのも、解説者の連想を持ち出したことになる。
二念を継がずということなら、確かに首の後ろに他の次元につながるスリットらしきものが見えて、そして三角形が回っているのが見えたという現実だけがある。
解説者は、0.3秒するとやってくるので素早い。精神世界の解説者なら、確かに首には他の次元との隙間があり、これは上から3つ目のチャクラでもあるので、それを三角形で表現するのは妥当であるという話にはなる。
しかもご丁寧に、三角形は空色だった。上から紫、紺、空色なので「確かに正しいです」と言われてしまう。そのように解説者に説明を受けると、何か楽しくない。回転する三角形を死なせてしまう気がする。
わたしがヴィパッサナー瞑想が面白いと思ったのは、世界の書き割りが次々と倒れてしまうからだと思う。
みんなが現実と思っているものは、連想とか空想の産物で、真の現実とはそんなものではないのだということを思い知らされるのではないか。多くの人の思い込みに対しては、ヴィパッサナー瞑想に鉄拳制裁してほしい。
「視覚は思考の投影である」というのは、シュタイナーの12感覚論を説明したお医者さんのズスマンの言葉だが、思考感覚はおうし座で、視覚はおとめ座に割り当てられている。
土のサインの3つセットで言うと、ここに均衡感覚のやぎ座が加わるのだが、これはいろんなサイズの世界を示す。
やぎ座と支配星の土星は、ひとつのコスモスを独立させ、周囲から切り離し、孤立させると言われている。これは、ひとつの世界の中に、それ自身の均衡を保たせるということだ。
この3つの土のサインのセットは、思考が特定のサイズの世界範囲にあてはめられ、その世界にふさわしいサイズの視覚映像を生み出すということだ。
ヴィパッサナー瞑想の初歩について説明しているサイトでは、何かを見る時に思考を入れないと説明しているが、これは個人の物思いとしての思考を示しており、世界の視覚映像を生み出す根源的な思考を示しているわけではない。
なので、表層思考、根源思考というふうに、言葉でわけておかなくては混乱するかもしれない。
たとえば聖書の創世記で、神が天と地をわけたとあるが、これは根源思考として、神がそのような思考を持った。その結果として、天と地のわけられた映像を見ることになる。
ヴィパッサナー瞑想では、ありのままに見ると、そこに天と地がわけられているのを見る。今日は晴れていると言い始めると、これは表層思考だ。
サンキヤ哲学などで説明される原初の思考であるマナスは、あたかも個人の物思いのような説明のされかたもするので、うまく整理しないと、かなり混乱する。サンキヤ哲学は、宇宙原理を個人に落とし込んで説明したりする語法も多いのだ。
むしろ、ヴィパッサナー瞑想によって、連想機能、解説者などを止めておくと、表層思考が停止するかわりに、そこに根源思考が立ち現れてくると考えるといいのではないか。おうし座の大地がせり上がってくる。
思考は個人所有できないとシュタイナーは言うが、ある時代から人類は思考はまるで個人で持つことができるかのように思い込み始めたという。
この個人所有という概念が出てきたことを、グルジエフは、低次思考センターと高次思考センターにわけることで整理した。
高次思考センターはまったく個人性を持たないので、それは誰のものでもなく、最初から完成しており、それを鍛えたりする必要はない、と。低次思考センターは、「みんなそれぞれ考えは違う」というような、個人所有する思考のことだ。
ヴィパッサナー瞑想は、表層的な個人思考を、根源的な思考に同調させる修行法かもしれない。表層的な個人思考が何をか言い始めたら、即座にはたき落とす。
で、思考は個人所有できないというシュタイナーの発言は、思考は身体の外にあるというイメージに簡単に結びつく。個人とは身体性であり、個人が専有できない思考は、体の外にあるわけだ。
わたしは毎日のように、自分の周囲に応身を見るが、これも身体の外にある「思考体」であると考えるといい。思考体はどこからかやってきて、わたしの身体を通過する。すると、わたしは新しいアイデアとか思考がひらめく。
最近、アトランティス文明に関して書かれた記事を読んだのだが、アトランティスの初期、地球に発生した生命体は、肉体を持たず思念体だったと書かれていた。
その後、彼らはどうしたのかと疑問に思われているが、彼らはそのまま今もいる。わたしの近くに登場する応身、思念体がそれだ。
時間の経過には影響を受けないので、アトランティス初期だろうが、現代だろうがまったくかまっていない。おまけに空間にも影響も受けていないので、彼らは、地球にいる、あるいはどこかの宇宙にいるという区別もない。
わたしはこれまでさまざまな恒星が、地球に降りてくる、あるいは地球の人が故郷の恒星に戻るなどということを勧めてきたのだが、アトランティスについて書かれた文章を読んで、今の地球にアトランティスを型共鳴的に重ねるのは、わりに簡便な通路を作るのではないかと思った。
アトランティス時代に、さまざまな宇宙種族が行き来して、そして、アトランティスでは、いろんな次元に通じていく技術が開発されたと書かれている。このことを読んだ時、思い切り懐かしい思いをした。
出口王仁三郎は、雛形理論として、型共鳴のことをよく言う。同じ型を作ると、異なる振動にあるものが共鳴して、重なってくるのだ。
それで言うと、今、アトランティスが、なんとなく今の地球に重なりつつあるような気がする。
すると、今の地球は、アトランティスの時と同じような運命になる傾向がある。今の地球に比較して、アトランティスは圧倒的に振動密度が高いので(進化しているので)、今の地球種族はただただ追従するしかない。違う方向に向かう選択肢はないと思われる。
それでもかまわないのでは。
というのも、そもそもその前にアトランティスに対しての誤解、勘違いはそうとうに多いので、洪水で滅びるというような話を真に受けてはいけない。技術の乱用があったとか、戦争があったという話ならば、今の地球のほうがもっとひどい。
アトランティスに対する誤解は、おそらくわたしが思うに、時間は一方向に直線的に進むという信念から作り出されたものだ。
アトランティスは、マルチコスモス的で、決まった結末は存在しない。その点では、今の地球がマルチコスモス的に、多岐な未来があると考えるには、アトランティスが重なったほうがうまくいく。
ヴィパッサナー瞑想は、表層的な思考から自由になって、すると型共鳴的に、いろんな次元の層が重なっている世界を見るのではないか。
ハラリがヴィパッサナー瞑想をしているということに興味を持ってしまったのは、ヴィパッサナー瞑想をしているうちに、『サピエンス全史』のような表層思考の体系(解説者の体系)が作り出した書き割りが、あっというまに壊れてしまうのではないかと思ったからだ。
確かに次の著作『ホモ・デウス』について、「我々は不死と幸福、神性を目指し、ホモ・デウス(神のヒト)へと自らをアップグレードする。そのとき、格差は想像を絶するものとなる」と河出書房の書籍案内に書かれている。
ヴィパッサナー瞑想を続けると、世界のレイヤーが次々と透けて行き、究極の原理にまで至るのではないかと思う。
確かにwikipediaでは、ヴィパッサナー瞑想の項目で「仏教において真理とされる無常・苦・無我を洞察する瞑想」と書かれている。
まつむらきよし/1953年生まれ。占星術、タロットカード、十牛図、エニアグラム、ライフシンボルなど、 いくつかの手法を活用して講座・研究会などを開催。アカシックリーディング等でも、タロットカードや占星術を併用すると安定性が高いという考えから、ツールの複合性を提案している。『わたしの運命がわかる地球星座占い』(角川書店)、『ディグリー占星術』『三次元占星術』(以上、説話社)、『土星占星術講座』(技術評論社)など著書多数。
http://www.tora.ne.jp/
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