世界屈指のスピリチュアル・ティーチャーたちが絶賛する教師として知られる、メアリー・オマリーさん。
ニール・ドナルド・ウォルシュさんからも折り紙つきの新刊『「人生苦闘ゲーム」からの抜け出し方』(ナチュラルスピリット)は、今後の人生に不安を感じる方に、ぜひ読んでいただきたい秀逸さです。
大勢の人を苦悩に満ちた人生から脱出させてきた実力を持つメアリーさんに、前回に続き、2020年3月23日に公開したブログ記事を、シェアしていただきました。
※原文にはなかった見出しを付けさせていただいています。
20秒間手を洗うことの意義
恐怖のウイルスがこの惑星に広がっている中でも、ユーモアを感じる瞬間はあります。
「コストコ」で、蛇のように曲がりくねった、ものすごく長い行列を見たことがあるでしょうか? ちまたでは、「人々が大量の水やトイレットペーパー、手指用の消毒液を買い求めている」と言われています。
手指用の消毒液ならまだ理解できますが、でも、水って? それに、トイレットペーパー?
ウイルスが水道の機能をシャットダウンしたり、トイレットペーパーの使用を増やしたりするなんて、私は今まで経験したことがありません。
恐怖というウイルスは、なんと伝染性があることでしょう。
恐怖は個人だけでなく集団に影響を与え、「みんなが水やトイレットペーパーを買っている」と聞いただけで、お店に殺到してしまうのです。
そして今、あなたはおそらくどこを探しても、ネット上でも、手指用の消毒液が売られてないことを知ったでしょう。
しかし、「CDC(米国疾病予防管理センター)」によると、特に手が汚れていたり、脂っぽいとき、すべての細菌を取り除くには手洗いが効果的であり、20秒間手洗いする方が手指用の消毒液よりも効果的としています。
にもかかわらず、手指用の消毒液が見つからないと、多くの人がパニックに陥ります。
これは興味深いことです。もしかして、「たった20秒間、ゆっくりと手を洗うこと」に人々は抵抗しているのでしょうか?
私たちの忙しいマインド(思考)にとって、20秒は長い時間です。行く場所もすることもいろいろと多いのですから!
思考は常に忙しすぎて、単に手をゆっくりと洗うだけの時間を持つことさえも不可能だと感じたりします。私たちは「何かをする人生」に慣れすぎてしまい、「単に存在する」という癒しを失ったのです。
人生は日々、一時停止へといざなう
それでも、私たちが切望するすべても、真の私たちに関するすべても、“今ここ”で見つかります。
人生にたった今、深く親密につながっていることほど、より現実的な満足をもたらすものはないのです。
エクスタシー(忘我、精神的な至福感)の語源は、ギリシャ語の「ekstasis」。これは、「時間を外すこと」(out of time)を意味します。
つまり、私はこう思います。
人生は私たちに一旦停止するようにいざない、あわただしい思考から注意を引き戻し、過去や未来へと行ったり来たりする思考を“この瞬間”に戻してくれているのだと。
往々にして、時間というのは、「善きもの」がついに到着するのを待ち望むためのものだと。
人生は、“ただこの瞬間にいるように”とあなたをいざなっています。
手洗いするときの水が奏でる音を聞き、石鹸の匂いを嗅ぎ、手を優しく撫でる喜びを感じ、手があなたのためにしてくれたことすべてに深い感謝を捧げましょう。
その瞬間、あなたは時間を基盤にした思考から注意を引き戻され、人生の「今ここ」にグラウンディングすることができ、「今ここ」にこそ、エクスタシー(忘我、精神的な至福感)が息づいていることがわかるのです。
その瞬間に単に存在するための神聖なる実践
そう、ウイルスが猛威をふるうこの時期は、私たちにとって恐ろしい時間になることでしょう。
思考というものは、「未知を恐れることで生命を制御できる」という幻想の中に生きているのですから。
それに、コロナウイルスがどのように展開するかについては、不明なことがたくさんあります。利用できるワクチンがないため、私たちの思考は少々混乱気味です。
でも、たぶん、もしかすると、人生は私たちに「コントロールのグリップを少し手放すように」といざない、代わりに重要な唯一の瞬間につながらせようとしています。
今という「この瞬間」に。
このウイルスが蔓延する時期において、もし手洗いを、自分自身を最も安全な場所にさせる「聖なるリマインダー(お知らせ機能)」として活用するなら、ぜひ、手洗いとたわむれてください。
手洗いは、しなければならないことではなく、今この瞬間にいるための“いざない”だと思ってください。
手を洗う際、「その瞬間」に意識を向けることは、人生で何か重要なことをするよりも大切なことなのだと──。
そのことに喜びを感じてください。
そして、それがいかに困難な挑戦であっても、がっかりしないでください。
「その瞬間にただ存在するだけのことに20秒も費やしている暇はない」と思っていたその20秒間が、手洗いが習慣化すれば魅惑的な時間になり得るのですから。
手を洗うことなど全く考えていなかった日々が、懐かしくさえ思えるでしょう。
そしてこの時期、ウイルスの恐怖がどれほど思考の中で育ったとしても、人は「自分の人生が、何をしているかを知っている」ということを知るのです。
かつて、バイロン・ケイティはこう言いました。
人生は単純です。すべてがあなたのために起きるのです。
すべてが、早すぎたり遅すぎたりすることなく、適切なタイミングで起こります。そのことを好きになる必要はありません・・・そうすれば、たやすくなる(楽)というだけ。
私はこの言葉に深く共感しますが、「好きになれば楽」という部分には同意しません。人生の中の困難な部分を好きになる必要はありませんから。
実際、往々にして私はそんなことはできませんでした。
なので、私ならこう言いましょう。
(人生で起こる出来事を)信頼する必要はありませんが、信頼する方が楽です。
(翻訳/Y-MAYUMI)
著述家、講演家、カウンセラー、グループ・ファシリテーター。過酷な幼少期を経て苦悩に満ちた人生を歩む中で、覚醒にいたる。30年以上にわたり「生(Life)」のために真に存在する技巧を探求し、実践。ワシントン州カークランドを拠点に、Awakeningという団体 での活動を通じて多くの人々を明晰性、慈愛、信頼の中心へと導き、人生でどんなことが起きていようとそこにアクセスできると説いている。
https://maryomalley.com
『「人生苦闘ゲーム」からの抜け出し方』
すべてが「大丈夫」になる10週間のセルフ・セッション
メアリー・オマリー著/喜多理恵子訳