表紙のカバーいっぱいに広がるバラの上に、「愛に生きるために目覚めよ!」という意味合いのタイトルに、きっと性愛についての内容なんだなという想像をかき立てられつつ本を開きました。
無意味な期待を持たせてはいけないので、先に結論を言ってしまいますと、この本は“世界は愛でできていて、そこに存在する私もその本質は愛であるということ。そして本来の私に戻ること、すなわち自分が愛を忘れているだけということを思い出そう”というものです。
ここだけ抽出すると他の類書、ワンネスや悟り系は言わずもがな、愛を説く本の中に必ずと言っていいほど踊っているフレーズです。
ただ、この本のおもしろい点は、カバーの妖艶ともいえる無数のバラの花が暗示するように、恋愛や性愛の地点からそのゴールまでを、リアルに追っていこうとしているところです。
本書では、ヒーラーとして活動する著者が、自分や他者を愛することについて、チャクラやメンタルのケアも含めてさまざまな点からアドバイスしていきます。
ソウルメイトとの愛を皮切りに愛を語り尽くす
まず、著者の別れと出会いの体験を簡単に紹介します。
著者は、長くつきあっていた男性との結婚話がまとまり始めたにもかかわらず、年下の男性と恋に落ちてしまいます。
その相手はソウルメイトだったそうです。それを皮切りに、執着と愛着について語っていきます。
私は読みながら、「ご自身の贖罪の気持ちを込めて書いているのだろうか?」と少々うがった気持ちでいました。しかし、そうでもないのです。
いくつかのポイントをあげてみます。
「愛着」とは継続する情緒的つながりを相手に対して感じることであり、「執着」はそのつながりに感情的にしがみつくことであるから、自分が持っている感情が愛情だと思っていても、それは思い違いかもしれない。
本質的に、愛は相手の幸せを願っているものだからです。そして自分自身を掘り下げ、傷ついている自分を知ることを契機に、自分を愛する作業へといざないます。
また性愛の本質を次のように語っています。
相手との一体感を求める気持ちの向こうにあるものは、まずは母との一体感であり、(たとえ女性であったとしても)安全な子宮への回帰であり、さらには万物との一体感です。
それは、性愛を通して「愛」へと回帰することを求める心。
一般の性的衝動の発露からくる肉体関係とは、一線を画しています。そして、こう表現します。
それは、人が「個」であること、別々の存在として生きているという潜在的な孤独が深く癒される時間となると共に、私たちの中にある根源的な孤独を癒す力を持っています。
愛に目覚めても婚姻制度が立ちはだかることもある
さて、ここではたと立ち止まると、いろいろな課題や個々の価値観に由来する意見の相違が鮮明に表れるキーワードが現れます。
そう、「婚姻制度」についてです。
2人の男女が社会的承認を得て、“各パートナーは相手を裏切るべきではない”という不文律を持つ、婚姻制度の是非です(日本のように一夫一婦制を大前提としてお互いに貞操意識を持つことが、ある種の基準となる社会を限定とします)。
また、その延長線上に見えてくる「家族の在り方」もそうです。
簡単に言えば、“ソウルメイトが見つかったので形は不倫だけれども、内実は不倫ではない”という理屈(悪い意味ではありません)ですね。
例えば配偶者がいて、子どももいる家庭の夫、もしくは妻が「本来の愛につながる性愛に出合った、その人と一緒にいたいし、いるべきだと思う」となったとき、上記の理屈では“本当の愛は相手の幸せを願うものだから、理想の相手に出会った配偶者をその伴侶は手放すべき”となります。
ただ、逆もしかりで、ソウルメイトと思い合う2人も残された配偶者の幸せを願うべきものだから、一概に“不倫相手と一緒にいることを奨励すべきではない”とも言えます。
しかし、こんなことはわざわざ「愛」を引き合いに出さなくても、巷によくある出来事です。婚姻制度、そこから作られる家族って・・・という、人間社会のリアルとは一致しない現実が見えてきます。
婚姻制度は、ただの社会秩序を守るための制度に成り下がるという、かなり悲しい結論にたどり着くわけです。
コミュニケーション能力の高い人たちには、きっとこの本の主旨が合うのかもしれません。こういうことが、“本は読者を選ぶ”と言うのでしょうね。
私はおもしろかったです(冷汗)。
『目覚めよ、愛に生きるために』
本郷綜海著/廣済堂出版
本体1300円+税