【松村潔】身体から飛び出す夢体験と死後の喪失体験、宇宙人から望まれていること

最近、夢の本を書いたのだが、これは夢見ることでどんなことも可能だということを、あらためて強調したかったからだ。お金をかけてセミナーに参加するよりも、毎日の睡眠を利用して安上がりで済ませよう。
人は死んだ時には、エーテル体は身体から剥離する。しかし毎日眠る時には、このエーテル体は肉体から離れることはなく、アストラル体が身体から離れて旅をする。アストラル体はエーテル体のレールの上を移動する。死んだ時とただ眠った時の違いはここにある。
また、眠っている時には、エーテル体は身体と糸で繋がっているので、夢体験はたいてい起きている時に記憶したイメージを借用する。
しかしながら、エーテル体は局在としての肉体と非局在の間を繋ぐので、眠りが深くなるにつれて物質的印象はどんどん壊れていき、起きている時に記憶したイメージも、そのもとのイメージから遠く離れて象徴的なものに変化し、夢は素材を思いのままに切り刻むというところだ。

死んでエーテル体が肉体から離れた時には、この地上で記憶したイメージは使わなくなるので、人間の身体の形さえ急速に失われていく。生前親子だったりしても、親が死ねばその直後から親と子の関係は無効になる。地上の特定の時空間とのつながりの糸はエーテル体にあったので、それが切れてしまうと、その後かつて自分が存在していた地球の場所も時も、探し出すことができなくなる。
でも、自我はすでに肉体から離れたので、そのことをまったく気にする様子はない。

で、夢体験は徹底して地上的イメージを伴う象徴を使いまわすので、それはそれで統一的なのだが、わたしの場合、十代の頃から物質世界と夢の象徴世界の中間的なつなぎ目に、宇宙的生命が割り込んで、話を複雑にしてしまうことが多かった。
どうしてこんな面倒なことをしてしまうのか当初は疑問であったが、この場所に割り込んできた宇宙人は、わたしが精神とか意識体とかではなく、生身で宇宙的に移動するという手法をこの地球上で確立してほしいと思っているようだ。
私が確立すると、多くの人がそれを使う。なかなか無理難題だと思うのだが、このくらいでないと面白くないかもしれないと考える。

わたしたちが住む地上は、事物と象徴は切り離されており、互いが干渉しない。そのうえで、このふたつは混ざることなく接合される。木製で組み立てた構造物に椅子という象徴的な意味を与えるが、象徴はたくさんの事物に乗ることができるので、金属で作った構造物にも椅子という名前を与えることができる。
この事物と象徴の分離は地球上でのみ成立しているもので、よその宇宙ではこれはなかなか珍しい。月がひとつしかないので地球は引きずられて重くなり、その結果として、地球と太陽の間には断絶が生じてしまった。つまり、単独の物質世界が出来上がり、たとえば象徴がまったく結びついていない、意味を喪失した物質が存在するような環境になってしまったというわけだ。

わたしがリリスと呼ぶ存在は、「地球にはハゲ地が多い」と言った。リリスは手元に漁師の網のように繊維の束を持ち、これは地球の植物世界と繋がっている。この植物の束はエーテル体で、このエーテル体が浸透していない大地の場所を、ハゲ地と言うのだ。
西欧ではリリスはさんざん悪く言われるが、シュメールの話のようにリリスは樹の中腹に住み、けっして地上には降りてこない。日本でならば、これは出雲族とか天狗族などを意味するので、リリスは純粋にエーテル的存在で、ハゲ地を嫌がるのだ。

地上ではフィクションと実際は違うとか、象徴は事実をあらわすわけではないというのが常識なのだが、これは普遍的な真実でなく、地球においてのみ通用する特殊事情だ。
つまり、本来精神はそのまま形になり、中身と外見が違うということもない。これは想念によって物質は動くという意味でもあるが、地球では想念によって物質は動かない。物質には決まり切った法則があり、それは精神の法則とは違うのだということを主張しているのだ。
だから、人間の顔形も画一の工業製品のように同じで、中身に応じて手が4本だったり、足がなかったり、顔がふたつだったり、あるいは円錐型だったりする人間はいない。中身だけ見れば、円錐とか筒の形の人などいくらでもいるのに、形はみなと同じく人の形をしている。

わたしが目覚めた直後に割り込んできた宇宙人は、エスプーマのように泡でできた身体を持ち、用がなくなると空中にかき消えるのだが、〝象徴性がそのまま物質体になる〟という統合性を持っていた。地球という宇宙法則があまり反映されていない特殊環境の中で、この象徴の事物への割り込みのシステムを、わたしに確立してほしいらしい。
でも象徴が事物に割り込むというのは、ある意味、地上の秩序の破壊者でもあるというのはあきらかだ。このことに科学的な手法は使えるのかというと、科学が無を先送りにせず、それを組み込んでしまうと、象徴と事物の間の隙間、言い換えると意識と物質の間の無に橋渡しをできて、物質の因果律を強硬に押し切るということをしなくなる。
なので、そこまで科学が発達すれば、科学的に推し進めても、わたしたちは想念で物質をコントロールすることができる。

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