悟りの様相、次なる進化

『スターピープル』誌の紙媒体を引き継いで、スタピWEB上で愚言録(星の道、あるひは偽善者の道)を書いてみたいと思ふ。

まず・・・

悟りについては、欧米の非二元(ノンデュアリティ)の人たちが明らかにしてきてゐて、おおよそのことがわかりつつある。

悟りについては、二つの段階がある。

一瞥(覚醒)と悟り(ノーマインド)と。

一瞥は、一瞬、主客を超えたものを認識したが、マインド(心)が残ってゐて、マインドがその一瞥体験を重んじ、それについて探求してゐる状態で、まだマインド(心・エゴ)が残ってゐる。

これについてわからないと、何十年も同じ轍(わだち)を踏み続ける。

その体験を(エゴが)大事にしてゐて、エゴが抜け落ちてゐない。

次の段階が、悟り。

ノーマインドの世界。エゴは抜け落ちてゐる。一瞥体験に執着するマインド(エゴ・心)がない。

そこには一瞥を体験する主体がない。

主体(マインド)がない(ノーマインド)故に、すべてが自己(真我。意識)になる。

ノーマインドから人間の進化があると、フーマンは言ふ。

今は、スピリチュアル・エゴを誘発するものが溢れてゐる。

それを乗り越へないと、次なる進化はない。

(今井)

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  1. 詫間 政憲

    ノーマインド(no mind)が、悟り(enlightenment)である、と解るのは素晴らしい。
    アジャシャンティは、覚醒を、non-abiding awakening(一瞥体験)、abiding awakening(本覚醒)、とに分けています。
    彼も、「かつて、一瞥体験を悟りと勘違いして、随分苦しい思いをした」と、述懐しています。